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古物

(中国・朝鮮)


14 画像


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灰陶
中国
漢時代(紀元前2〜紀元後2世紀)
縦45.5cm、横33.3cm
厚さ5.0〜5.7cm
大正9年11月17日、工学部建築史講座受け入れ。
資料館建築史部門(K1004)

戦前に工学部建築史教室の有に帰し、同教室の関野貞教授によって漢長方として紹介されたものである(関野1938、134頁第42図)。は煉瓦、画像は紋様を施した煉瓦である。

胎土は灰色でやや粗く、焼成は良好である。日本の須恵器に比べれば、軟質であるが、土器としては硬質の部類に属する。紋様はの広い面の片側にのみ施され、他の面は無紋である。

紋様はすべて型押しによっている。面の中央部に、図像を刻んだ2種類の横長のスタンプを縦方向に隙間なく6列押しつけ、その周囲を、平行に刻みを入れた棒状の施紋具を押しつけた紋様で満たしている。

スタンプによる図像の1つは横22.2センチ、縦6.2センチ。異なった冠を被った3名の人物が、長剣を脇に置いて座っている。左の人物は左手に笏のようなものを持って話しかけ、中央の人物はコップ形の盃を持って話に聞き入っているようである。右側の人物は話に加わらず、別の方向を向いて左手を持ち上げている。図の両端には、酒を入れた壺や、料理を盛った皿が表わされ、また人物の間には耳杯(酒の盃や肴の小皿として用いる把手付の楕円形の皿)や、尊(酒を宴席に供する筒形の容器)、杓などが表わされている。全体として宴席の様子を表わしているようであるが、中央上部には鳥が飛んでいるさまも表わされている。この紋様が上から5回繰り返されている。

この図像の下に配されたもう1つの図像は、横23.2センチ、縦4.5センチで、4つの頂きのある不定形の起伏の間に、兎・虎・猪・犬(狼か?)など8頭の動物を表わしている。

これと法量・紋様ともほとんど同じものがいくつか知られているが、出土状況が知られるものはない。近年、中国の学術雑誌で2例が紹介された。1つは伝陝西省鳳翔県出土といい(北京1976)、1つは1907年にやはり陝西省鳳翔県から出土したものという(賈麦明1986)。日本では天理参考館に同様のものが2点所蔵されている(天理1986)。いずれも出土状況は不明である。

このは、図像の表現や内容が、漢時代の画像・画像石、その他の器物に表わされた図像と通ずるところから、漢代に作られたとみるのが普通であろう。中国では戦国秦ないし統一秦の時期とみる見解がある(北京1976、賈麦明1987)が、論拠は示されていない。従来発表された資料による限り、これが漢代前に溯るとみるのは無理ではないかと思われる。

このの図像は漢代の図像の知識から解釈を進めることが可能である。まず下段の図像であるが、これは漢代の青銅製あるいは陶製の博山炉(香炉)などに表わされた山岳紋と通ずるもので、漢時代人があこがれた不老不死の神や仙人の住む世界を表わしたものであろう。また漢代の図像では、死後の世界の情景にしばしば鳥を登場させており、ここに表わされた宴席の図もあるいは死後の世界での快楽を祈る意味が込められているのかもしれない。

この画像の本来の用途は不明であるが、漢代の画像の通例からして、建物や墓室の床に敷かれたり、壁にはめ込まれたりしたものであろう。

(谷豊信)

参考文献

関野貞、1938、『支那の建築と芸術』、岩波書店
北京汽車製造廠工人理論組・中央五七芸術大学美術学院美術史系、1976、「略論秦始皇時代的芸術成就」『文物』1976年6期、北京
天理大学・天理教道友社、1986、『ひとものこころ 天理大学附属天理参考館蔵品 第1期第3巻 画像』、天理教道友社、天理
賈麦明、1987、「西北大学収蔵一方秦画像磚」『考古与文物』1987年1期、西安


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