緒言
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老田正夫氏は、1936(昭和11年)年11月9日に土川修三氏の三男として東京で生まれる。父親の兄である老田敬吉氏の養子となり、1959年(昭和34年)に東京農業大学を卒業後、敬吉氏の後継者として岐阜県の飛騨高山にある家業の老田酒造店に入社、敬吉氏が逝去した1972 年に社長職を継いだ。家業の酒造業を営む傍らで鳥類の標本収集や野鳥観察に励み、1974年には私設の鳥類資料館「老田野鳥館」を開設し、日本野鳥の会岐阜県支部飛騨ブロックの会長を務めるなど、鳥類分野の発展に寄与したことでも知られる(小林・山崎, 2012)。
鳥類研究者でもあった養父・敬吉氏の生前、正夫氏は野鳥の調査によく同行し、鳥類への造詣を深めるきっかけとなった。敬吉氏(1902年1月9日〜1972年1月22日)は、土川宗左衛門の次男として岐阜県高山市に生まれ、15歳の時に老田家の養子に入った。幼少の頃から野鳥に愛着を持ち、日本の野鳥生態研究の先駆け的人物であった川口孫治郎氏に師事し、飛騨高山地域の多くの野鳥の生態調査や鳥類目録を発表した(老田, 1953, 1956, 1962, 1967, 1986; 藤原, 1986)。野鳥の保全活動でも功績があり、農林大臣表彰を筆頭に、地元の高山市や日本鳥学会、日本鳥類保護連盟などからも表彰を受けている(日本鳥学会編集幹事, 1972; 小林・山崎, 2012)。
1974 年、正夫氏は酒造店に隣接した場所に「老田野鳥館」を開館した。当館には敬吉氏・正夫氏の親子二代で収集された鳥類標本が展示され、飛騨高山地域における野鳥の観察や保護などの活動拠点にもなっていた(藤原, 1986)。コレクションの特徴としては、1920~1990 年代の70 年以上をかけて飛騨高山一帯で収集した約500点の鳥類標本が主体で、その多くは事故等で持ち込まれたものであり、剥製のために採集されたものではないことが挙げられる。また、郷土自然史館的なコンセプトを持ち合わせていたようで、飛騨高山地域に生息する鳥類以外の生物も一部含まれる。ちなみに正夫氏が経営する老田酒造店は、銘酒「鬼ころし」などの蔵元としても知られる創業300年の老舗であり、正夫氏は県酒造組合連合会長を歴任、地元の活性化のためにラジオ番組の構成やDJを約10年間も務めるなど、飛騨高山の名士でもある。
その後、老田野鳥館は老田酒造店の店舗移転などに伴い、2008年に閉館した。収蔵されていたコレクションは、我孫子市鳥の博物館(鳥類45点)、山階鳥類研究所(鳥類207点)、東京大学総合研究博物館の3つの機関に分けて正夫氏より寄贈された。東京大学総合研究博物館には、2008年に鳥類約300点が寄贈されたが、合わせて昆虫標本、主にチョウ類標本もご寄贈頂いた。
この老田野鳥館旧蔵の昆虫標本は、大型ドイツ箱26箱に収納されたチョウ類898点とテントウムシ類3点で構成される。1970年代に地元の飛騨高山地域で得られた標本が大部分を占め、北海道産や東京産、南西諸島産、台湾産などの個体も含まれる。また、ほとんどが高山市在住のチョウ類研究者・浅野好和氏による採集標本で、一部に書籍「岐阜県の蝶」で著名な西田眞也氏やキタアカシジミの種小名に献名された小野 泱氏による採集品などもある。現在では絶滅あるいは激減した産地で得られた種(ギフチョウ、ゴマシジミ、雌雄型を含むコヒョウモンモドキ)が見られ、貴重な標本も少なくない。
現在、東京大学総合研究博物館では昆虫コレクションをデータベース化して、出版物やウェブにより公開する計画が進められている。この老田コレクション目録も本プロジェクトの一環として行なわれたもので、登録作業が完了したために本館の標本資料目録として出版するとともに、本館HPのウェブミュージアムに公開することにした。本目録におけるチョウ類の学名は猪又ほか(2013)に準じた。これらの情報を活用することで、分類学や形態学、生物地理学、保全生物学などの様々な自然史分野の他、郷土学などの研究にも寄与し、学術標本の重要性を広く認知させるものとなれば幸いである。
謝辞
本目録を作成するにあたり、老田酒造店社長の老田正夫氏には貴重な昆虫標本を東京大学総合研究博物館にご寄贈頂いた。Mark Williams教授には英文校閲でお世話になった。山崎剛史博士および市田忠夫氏には貴重な資料や情報をご提供頂いた。原田一志氏には編集作業でご尽力頂いた。
各氏に心よりお礼申し上げる。
参考文献
- 藤原英司, 1986. 解説・飛騨の鳥雑話. 全集日本野鳥記, 11: 389-392. 講談社, 東京.
- 小林さやか・山崎剛史, 2012. 山階鳥類研究所の寄贈標本 ─老田敬吉・正夫氏収集標本目録─. 山階鳥学誌, 43: 205-221.
- 猪又敏男・植村好延・矢後勝也・神保宇嗣・上田恭一郎, 2013. 日本昆虫目録 第7巻 鱗翅目(第1号 セセリチョウ上科 − アゲハチョウ上科). 櫂歌書房, 福岡.
- 日本鳥学会編集幹事, 1972. 紙碑–老田敬吉氏の訃. 鳥, 21 (91/92): 380.
- 老田敬吉, 1953. オシドリ二題. 野鳥, 18 (5): 31.
- 老田敬吉, 1956. 高山市城山公園の鳥類目録. 自費出版, 高山市.
- 老田敬吉, 1962. 北アルプスの鳥類目録. 自費出版, 高山市.
- 老田敬吉, 1967. 高山市附近の鳥類目録. 自費出版, 高山市.
- 老田敬吉, 1986. 飛騨の鳥雑話. 全集日本野鳥記, 11: 171-271. 講談社, 東京.