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大正から昭和初期に活躍した加藤正世博士は、東京・石神井に隣接した自宅に「蟬類博物館」を開館して、展示を通じた昆虫学の普及とともに、多くの論文や著書を世に輩出した稀代の昆虫学者である。趣味の昆虫採集を通じた教育普及活動にも力を注ぎ、たくさんの少年・青年たちに影響を与え、社会現象にもなった昭和初期の昆虫黄金時代を築き上げた主要な人物としても知られている。特にセミ・ツノゼミに造詣が深く、多くの新種・新亜種を記載したり、これまで謎に包まれていた生態を次々と解明したりして、「セミ博士」の愛称としても親しまれていた。
加藤博士は、1898年4月19日に栃木県塩谷郡北高根沢村(現・高根沢町)で加藤(旧姓三沼)幹實の三男として生まれる。父・幹實は津田仙の弟子としても知られる。1916年に東京の攻玉社中学校を卒業後、国民飛行会(帝国飛行協会)の記者となった。1920年には記者として在籍しながら、千葉県津田沼の伊藤飛行機研究所練習生となる。1922年には三等飛行機操縦士の免許を取得すると、ほぼ同時に同研究所内で知り合った高田秀子と結婚。その翌年(1923年)、昆虫研究のために台湾へ渡る。ところが、同年9月の関東大震災により仕送りが途絶え、生活のために台湾総督府中央研究所嘉義農事試験支所および台北中央研究所で農業害虫の研究に従事、昆虫学者として著名な素木得一博士を中心とする研究者の下で昆虫学の基礎を積んだ。1928年に帰国して京都衣笠に居住、1930年に東京(世田谷区野沢)に移り住み、「趣味の昆虫採集」を発刊して、これが好評を博し、重版を重ねて1945年には26版に及ぶ名著となった。本書の監修者は東京文理科大学の岡田彌一郎博士で、1930-1932年に加藤は岡田博士の研究室で研修生をしていた縁がある。1932年には「昆虫趣味の会」を設立し、翌年には「昆蟲界」を創刊、これが1962年まで続く機関誌として、プロ、アマ問わず、多くの昆虫学者や昆虫愛好家の登竜門の場を提供した。同年には他に「蟬の研究」、「分類原色昆虫図鑑I」などの大著も出版している。1935年には東京・石神井公園の隣接地に転居し、自宅に「加藤昆虫研究所」を設立し、1938年には同敷地内に「蝉類博物館」を開館して一般公開し、後年は昆虫学の教育普及に努めた。1940年以降は巣鴨商業学校や富士見中学高等学校で教鞭を執り、理科教育に熱心だったことから、日本生物教育会理事、日本生物教育学会理事、東京都生物教育研究会幹事なども歴任している。1956年には専門書の大著「蝉の生物学」を発行し、これにより1958年に北海道大学から理学博士の学位を授与された。1962年に長年のセミ類に関する生態研究および博物館等における社会教育への貢献から藍綬褒章を授与されている。1967年11月に胃癌により69歳で逝去、富士霊園に納骨されている。
加藤博士の没後、「蟬類博物館」に展示されていた標本・資料等のコレクションは、長野県茅野市の「加藤正世記念昆虫館」に移された。それ以降、この貴重な標本・資料はご遺族により長年管理されていたが、2010年11月に当時の管理者であった加藤博士の五女・鈴木薗子氏から東京大学総合研究博物館に寄贈され、現在まで多くの研究や展示に寄与しながら、大切に保管されている。
加藤博士のコレクションは、半翅目だけに留まらず、昆虫全般やその他の動物、植物、菌類までをも網羅しており、その種数も約6万点と膨大なものである。また、多くの新名(属、種、変種、型など)を命名しているため、本コレクションには約400頭のホロタイプ標本も含まれる。その多くがセミ・ツノゼミ・類などの半翅目であるものの、数種のチョウ類の命名も行っている。橋本ほか(1981)によると、加藤博士が記載したチョウ類として以下が挙げられる。
これらのうち、現在でも安定的に用いられている名称はルーミスシジミ台湾亜種Arhopala ganesa formosana Kato, 1930のみかもしれないが、いずれにしても加藤博士がチョウ類の分類学にも寄与してきたことが伺い知れる。
ジェネラル・コレクションには、1930年代の石神井を中心とした東京近郊で採集されたものが多く、当時の関東平野の生物相を知る上で非常に重要な資料と言える。また、1923〜1928年の台湾および1928〜1930年の京都衣笠に住んでいた頃の標本も多い。
注目すべきチョウ類標本として、東京の代々木山谷(現・渋谷区)、原町田(現・町田市)、井の頭(現・三鷹市)で得られたオオウラギンヒョウモンが挙げられる。いずれも1930年代の採集品で、当時はこれらの地域に広大な草原地帯があったことが裏付けられる。横浜近傍や神奈川県小机のラベルが付いたヒメシロチョウも見られる。これまで横浜市では万騎が原とその周辺が唯一の既産地で、この地とはやや離れた横浜都心部での記録は大変貴重なものとなる(矢後, 2015)。その他に、静岡県立農事試験場の果樹害虫研究者、矢後正俊により1939年7月に採集された伊豆・天城山のチャマダラセセリ♂の標本がある。伊豆からの本種の記録は他になく、この標本が伊豆唯一の記録である可能性が高い(矢後, 2015)。
台湾産チョウ類では、主要なチョウ類がほぼ収められており、当時としては入手困難だったフトオアゲハやホッポアゲハ、ワタナベアゲハなどが並べられている。戦前のオオカバマダラ、オオムラサキマダラ、キアゲハなども見られるが、いずれも近年の記録がなく、特に前2種は台湾から消滅して久しいため、とても貴重な標本となっている(矢後, 2015)。
東京大学総合研究博物館では、世界の様々な研究分野に寄与すべく、加藤コレクションのデータベースを作成し、出版物やウェブ上に公開する計画が進められている。2014年にはその第I部として、まずは膜翅目(ハチ・アリ)標本をデータベース化し、本館ホームページ上で公開発信するとともに、本館の標本資料報告にて出版している(Nagase et al., 2014)。この膜翅目目録の出版・公開に続き、第II部となる鱗翅目チョウ亜目の目録を本館の標本資料報告としてここに出版する。本目録は本館ホームページのウェブミュージアム内にある博物館データベースで先行公開も行っている(Yoshida et al., 2015)。この目録にリスト化されている標本群は中型ドイツ箱90箱に収められ、計2,578点からなる。目録内の種の同定および学名の表記は主に白水(1960, 2006)、矢田ほか(2007)、猪又ほか(2013)に準拠し、補足的にD’Abrera (1981, 1987a, 1987b)、Sands (1986)、Tuzov (1997a, 1997b)、Parsons (1998)、周(1999)、小岩屋(2007)等も用いている。
本データベースの出版は分類学や形態学、生物地理学などの分野に貢献し、さらには生物多様性保全やその他の環境問題を考慮する上でのインベントリーを提供することができる。つまり、このようなデータベース作成が加藤コレクションの学術標本としての価値を一層高めるとともに、学術標本やミュージアムコレクションの重要性を公共の場に幅広く認知させるものになることを期待したい。
本目録の作成にあたり、加藤正世博士の五女・鈴木薗子氏ならびに孫・鈴木真理子氏には、貴重な標本・資料等のコレクションを東京大学総合研究博物館にご寄贈頂いた。また、徐 堉峰教授(国立台湾師範大学)および高 尚均氏(韓国)には一部の産地の読み方でご協力頂いた。Neil Moffat氏(東京)には英文校閲でお世話になった。各位に心よりお礼を申し上げる。