人・祖先・動物

新石器時代の西アジアにおける儀礼

マーク・フェルフーフェン


■はじめに

 近年、西アジアでは、装飾を施された人間の頭骨や、巨大な儀礼用建物、装飾付き石柱、漆喰塗り塑像など、新石器時代の儀礼に関わる考古学的証拠が、予想を超える形で次々に発見されている。本稿では、これらの発見について概説し、さらに最新の考古学・人類学理論に基づいて、新石器時代の西アジアにおける儀礼の構造とその意味するところについて若干の洞察を加えたい。

 最初にここで扱う地域と時代区分について簡単に述べ、ついで先史時代の儀礼研究の背景、つまり儀礼とは何か、どのような理論的アプローチがあるか、考古学者は儀礼をどのように取り扱うかという理論面について簡単に説明する。そして最後に、先土器新石器時代と土器新石器時代のレヴァント・シリア・南東アナトリアにおける儀礼の諸事例を取り扱う。理論編で紹介するいくつかの重要な概念と着想を適用して、データの意味づけを試みる。その際、儀礼に関わる遺物のコンテクスト、特に物品と物質的な構成要素(エンティティー)の間の特殊な象徴的関係には十分な注意を払うことにする。

■ここで扱う地域と編年

 本稿は、地理的にいえば、西アジアの西部と北部、すなわちレヴァント地方(特にイスラエルとヨルダン)およびシリア、南東アナトリア(西は現在のガズィアンテプ、北はエラズー、東はバットマンの各都市を結ぶ、おおむね三角形の地帯)を対象とする。これは、この地域から新石器時代の儀礼に関する数々の重要な新発見がもたらされたためである。さらにいえば、先土器新石器時代B期(PPNB)のレヴァント・シリア・南東アナトリアは、物質文化と儀礼行為で多くの共通項を有する。土器新石器時代には、南東アナトリアと北東シリアが緊密な文化的紐帯で結ばれるが(ハラフ文化)、レヴァントと南東アナトリアの関係はさほどはっきりしない(たとえば、ハラフ文化はレヴァントには見られない)。ただし、儀礼行為に関していえば、レヴァントのPPNBと土器新石器時代の儀礼が異なるのと同じように、南東アナトリアでも両時期の儀礼は異なる様相を呈する。もちろん、レヴァントと南東アナトリアでもPPNBと土器新石器時代の間に違いがあるが、同時に多くの共通点も存在するので、社会経済活動と儀礼については共通基盤があったとみられる。

 編年、すなわち時間的枠組みについて述べると、新石器時代は先土器(無土器)新石器時代(紀元前10,500〜7,000年頃)と土器新石器時代(前7,000〜5,000年頃)に二分される。先土器新石器時代はA期(PPNA;前10,500〜8,600年)とB期(PPNB;前8,600〜7,000年)に細分される。これにくわえ、南レヴァントでは、これに後続するC期(PPNC;前7,000〜6,200年頃)が設定されている。

 PPNBはさらに前期(前8,600〜8,200年頃)・中期(前8,200〜7,500年頃)・後期(前7,500〜7,000年頃)に分けられる。中央・南レヴァントにPPNB前期が存在するかどうかという論点は議論の余地がある(Cauvin 2000)。なお、本稿で言及する年代はすべて較正値である。

■儀礼を研究するための理論と方法

儀礼についての基本的理解
 まずはじめに断っておくが、儀礼に明解な定義を与えることはできない。これは、非常にフラストレーションのたまることであるが、同時にかなり興味深いことでもある。実際、儀礼人類学と呼ばれる分野は多種多様なアプローチから成り立っている。各々が各々の定義をもち、儀礼に想定されるさまざまな側面、たとえば知性、情念、機能性、象徴性、構造主義、認知的アプローチ、マルクス主義的アプローチ、関係論もしくは全体論的アプローチ、パフォーマンス的アプローチ、プラクシス理論のうち一つに着目する(Verhoeven 2002c)。かくも別々のアプローチがなされることは、そもそも儀礼が多次元的な現象であるということと、特定の一側面に着目するよりもむしろ、儀礼のさまざまな側面を理解できるような分析手法でもって研究を進めるべきであるということを示している。実のところ、よく用いられるフィフスの一般的定義に従うと、儀礼は以下のように定義される。

  「(儀礼は)人事をコントロールするためにパターン化された行動の一種であり、非経験的な指示対象を伴うという性格ゆえに原則として象徴的なものであって、かつ社会的に規定されたルールとして作用する」(Fifth 1951:222)  

 この定義では、複数の異なる側面、すなわち形式主義、明示的な象徴性、超自然的存在の参照、社会的コントロールに言及がなされている。これらに付け加えるべきものは、伝統主義、厳格に定められた不変性、規則による支配、およびパフォーマンスである(Bell 1997:138-169)。

儀礼に対する全体論的アプローチ
 儀礼の多次元性を最もよく表象するのは上述の関係性/全体論的アプローチなので、本稿の第2部ではこのアプローチを新石器時代の儀礼に関わる遺物を解釈するために用いることにする。
 世界の多くの人間集団において、多くの異なる構成要素が、互いに孤立しているというよりもむしろ連関し関係し合っているというのは、人類学的な事実である。たとえば、典型的ではっきり分かたれた西洋流の自然—文化あるいは聖—俗(つまり儀礼—非儀礼)といった二項対立は、多くの社会においてまったく無意味である。例を挙げると、マレーシアの熱帯雨林に生きるチェウォング族によれば、動物と精霊は意識をもつ存在であり、言葉や判断力をもつという(Howell 1996)。このような全体論(holism)的事例は枚挙にいとまがない(Descola and Palsson eds. 1996;Ellen and Fukui eds.1996)。実際、デスコラ(Descola 1994)は、(アマゾン地方には)「自然によって構成される社会」があって、そこでは人間と動植物が同一のルールに従い、いわゆる社会—宇宙(コスモス)共同体、すなわち宇宙(ユニバース)の一部をなすと主張した。つまり、多くの西洋的でなく近代的でもない「全体論的社会」では、政治・経済・宗教・人間・動物・精霊などの間に、西洋では当然存在すると考えられているような細別が、明確に区別されることはないのである。

 全体論的アプローチでは、儀礼は他の事柄に影響を与えるものと見なされる。

    (儀礼は)この社会 — 宇宙(コスミック)のユニバースを構成する関係性に沿った物事の循環である」(Barraud and Piatenkemp 1990:117)  

 したがって、儀礼はあらゆる種類の関係性(たとえば人々、祖先、神、死者の関係)を生み出すプロセスである。周知のように、日本のアイヌのいわゆる精霊送り儀礼は、多くの人にとっては無関係な構成要素(あらゆる種類の物品、神、人々)の間に全体論的(相互的)関係があるという典型例である(Akino 1999;Ohnuki-Tierny 1999;Utagawa 1992)。

 全体論的/関係性アプローチに従うと、儀礼と象徴性が(社会 —宇宙的)関係を創生し操作する際に決定的な役割を果たす。ここにおいて、儀礼は人間世界と非人間世界の中間的(境界的)位置を占める(図1)。筆者は、このアプローチが西アジアの新石器社会に特に適すると考える。なぜなら、以下に示すように、「全体論的関係」と呼ぶべきものが多数存在するからである(あわせてVerhoeven 2004を参照されたい)。

図1 人間界と非人間界の関係を確立し操作するための媒体としての儀礼

儀礼の分析と理解—フレイミング
  前節では儀礼に関する人類学的理論を提示したが、これらの考え方は考古学的な儀礼関連遺物とそのコンテクストにも応用できる。だが、考古学者はそのような人工遺物とコンテクストをどのようにすれば理解できるのだろうか。

 筆者は別稿(Verhoeven 2002c、また Renfrew and Bahn 2004:223を参照されたい)で、先史時代の儀礼を分析するためのモデルを紹介した。このモデルでは、フレイミング(framing)の概念が最も重要である。ティリー(Tilley 1999:264)は、以下のように指摘する。

   「人が何か違和感を覚えるとき、物質のかたちに最も注意がいく。(中略)そういうことはふつう特別な状況、つまり儀式や儀礼といったパフォーマンスを伴うコンテクストでしか起こらないが、そのような状況下では物質に付随する隠喩(メタファー)がはっきり前面に出てきて、談話の主題となることがある」  

 これを受けて筆者は、フレイミングを、人々および/または活動および/または物品が、儀礼という日常向きでない目的のために他の物事から切り出される様態ないしパフォーマンスと定義する。違いが作られると、特別な瞬間が創り出される。フレイミングは主として特別な場所と特別な時間を作り出すことと、普段は使わない物品を使うことによって成し遂げられる。たとえば、舞台が設営され、特別な衣装を着て、目立つ品々を陳列することなどがこれにあたる。墓というのはどう見ても明らかにフレイミングされた儀礼コンテクストである。建築や物品、堆積物など、考古学的記録におけるフレイミングの証拠は、調査がなされた遺跡で「特別なコンテクスト」であることを示唆するような何らかの一般的属性に注意を払うことによって理解されるはずである。

 儀礼の最中は生活のあらゆる側面から逃避することができるということと、多くの「日常(ケ)」(フレイミングされていないこと)の物品が儀礼と非儀礼両方の側面を有するということは周知の通りだが、議論の出発点として、それらの儀礼における「内容」を割り出して分析するのは実質的に不可能なので、先史時代の儀礼を分析するにあたってはまずハレの場を示す物品と堆積を識別することから始めるべきであるということを主張しておきたい。これらの物品と堆積が検出され、記述/解釈されれば、コンテクスト化、すなわち考古学的記録の他の要素との関連づけがなされるはずである。それから、弁証的なやり方でもって、フレイミングされた要素とフレイミングされていない要素の相互に対する意味づけがなされる。フレイミングはおそらく儀礼行為と考えられる物事を浮き彫りにして理解するための概念にすぎない。それはあくまでも出発点である。解釈に際しては、そのような行為から意味を得なければならない。つまり、儀礼の機能と意味を分析しなければならないのである。

 以下の節では、フレイミングの概念にのっとって、儀礼関連遺物の同定にアプローチする。主として本節で概略を述べた全体論的アプローチに基づいて解釈を行う。