土器工房


 西アジアの土器作りは遅くとも8,900年前頃に始まる。当初の土器は各戸で細々と作られていたのか、遺跡に工房らしきものは見あたらない。まれに簡単な穴窯が見つかる程度である。8,000年前くらいには昇焔式の窯が現れたという主張もあるが、はっきりしない。明らかな工房が見つかるようになるのは銅石器時代(7,400-5,000年前頃)以降である。

図1 シリア、テル・コサック・シャマリ遺跡のウバイド期土器工房(7,000年前頃)

 1990年代に発堀したシリアのテル・コサック・シャマリでは銅石器時代の保存がよい土器工房か折り重なるように見つかり、当時の土器作りの様子やその発展を詳しく調べることができた(Nishiaki and Matsutani 2001,2003)。なかでも7,000年ほと前の建物は火災を受けていたため、当時の陶工たちか残した道具や作品が生々しく残されていた。工房は2.4m×4.2mほどの大きな部屋を一端にもち、残りは約1.8m四方の小部屋で構成されていた。大きな部屋には窯や成形の道具、絵の具を溶くパレットなどがおかれており、製作室であったことがわかる。同時に、倉庫としても利用されていたようで200点を超える未使用の土器が保管されていた。小部屋のうちの一つも倉庫であったらしく、20点ほどの土器が見つかっている。興味深いことに、小部屋は穀物倉もかねており、大量のコムギやオオムギが仕分けして納められていた。

 
図2 工房から出土した土器。大小200数十点の完成土器が保管されていた。 図3 作りや模様がそっくりな器が何組か含まれている。

 土器を200点以上も保管していることからすると、この工房は一家族の家内工房であったとは見えない。では、土器作りを商売とする職人の工房だったかというと、そうとも考えにくい。テル・コサック・シャマリは直径が80mほどの小村落であって、村内で商売するには市場が小さすぎるからである。また、この遺跡のように保存がよくないとはいえ、同時期の村はほとんどが土器工房をもっている。したがって、他の村に土器を売りにいっていたとも思えない。結局、7,000年前頃の工房というのは村内の共同作業場であったとみるのがよいようだ。本物の職人が登場するには6,000年前頃以降、都市という大消費地が出現するのを待たねばならなかったのだろう。

西秋良宏


図4 別の倉庫から出土した20点ほどの土器

 
図5 土製の土器整形具。土器の中に大切にしまわれていた。 図6 パレットの上に絵の具を混ぜる棒をのせたままになっていた(7,200年前頃)

Nishiaki Y. and T. Matsutani (eds.) (2001)Tell kosak Shamali The Archaeological investigations on the Upper Euphrates, Syria. Volume Ⅱ: Chalcolithic Techiology and Subsistence. UMUT Monograph 2. Oxford: Oxbow Books.

Nishiaki, Y. and T. Matsutani (eds.) (2003) Tell Kosak Shamali The Archaeological Investigations on the Upper Euphrates, syria. Volume 1: Chalcolithic Architecture and the Earlier Prehistoric Remains. UMUT Monograph 1. Oxford: Oxbow Books.