1万4,500年前頃以降、地球規模で急速な温暖化が始まった。この温暖化は、西アジア旧石器時代の狩猟採集民の生活を大きく変えた。資源豊かな環境がうまれ、人々は定住生活をするようになった。ピスタチオやナッツといった木の実、ムギ類など穀物がさかんに利用され、一方で、カメや魚をふくむ小動物にまで狩猟の手が伸び始めた。こうした定住的な狩猟採集民をナトゥーフ人とよぶ。気候の温暖化は南部から始まったため、ナトゥーフ文化の集落は現在のパレスチナ地方に多い。その後、前線の北上とともにこの生活様式も北上し、シリアにもひろがった。 我々は一カ所で長く生活するなら家作りにかなりの投資をするし、短期間しか住まないのなら家にはあまりこだわらない。古代人も同じだったらしい。定住を始めたナトゥーフ人は、竪穴住居をつくり始めた。これは西アジアで最初の本格的土木工事である。 西北シリア、デデリエ洞窟でもナトゥーフ文化の竪穴住居が見つかっている(西秋ほか2006)。1万3,000年前頃のものである。デデリエの住居が注目されるのは、火災を受けていたため、その建材が炭化して残っていた点である。当時の家の仕組みがわかる稀有な遺跡の一つである。4m×2.5mほどの範囲の地面を深さ70cmほど掘りくぼめ、内側に石灰岩をつみあげてあった。壁の内側には木材が横にはりめぐらされ、床には木材が部屋の中央に向かって放射状に何本か落ちていた。木材でくみ上げた屋根が作られていたのである。床にはオーロックスやシカなど森林性の野生動物の骨、あるいはピスタチオ・アーモンドといった木の実やコムギなどの植物質の食料残滓がちらばっていた。収穫用の鎌刃・磨り石なども出土している。 このような生活様式は農耕村落形成直前の段階ともいえるが、そのまま農耕村落がうまれたわけではない。その後、ヤンガードリアス期とよばれる寒の戻りがあり、ナトゥーフ人たちの生活も大きな影響を与えた。5〜7℃も気温が下がったとされている。シリアでは、このころ遺跡の数が大きく減少している。遊動民に戻った人たちがいた可能性すら指摘されている。デデリエ洞窟からは人がいなくなってしまった。 再び定住村落が西アジアに広く展開するようになるのは、1万1,500年前頃、気候が再び温暖化に転じてからのことである。最古の植物栽培の証拠が現れ、新石器時代の幕が開く。デデリエのような竪穴住居もはやらなくなり、温暖化とともに住居は地上化し、壁は泥作りとなる。遺丘が形成されるようになるのはこの時以降である。
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Nishiaki, Y., S. Muhesen, and T. Akazawa (2006) The Natufian occupations at the Dederiyeh cave, Afrin, northwest Syria. Abstracts of The Fifth International Congress on the Archaeology of the Ancient Near East, Madrid, April 3-7, 2006. 西秋良宏・仲田大人・青木美千子・須藤寛史・近藤修・米田穣・赤澤威(2006)「シリア、デデリエ洞窟における2005年度発掘調査」『高知工科大学紀要』3号、135-153頁。 |