テルの話

近藤康久


 序に掲げた詩「テル・サラサートの丘に立ちて」は、東京大学イラン・イラク遺跡調査団の生みの親として知られる江上波夫が、テル・サラサートの情景(図1)を描写したものである(江上1986:119-120)。理屈抜きに、名詩だと思う。テルとは何か、なぜ研究者はテルを発掘するのか、そのすべてが一行一行に凝縮されている。思い起こせば、東京大学の西アジア考古学調査のあゆみ(松谷1997)は、テルに始まり、テルとともにあって、現在に至る。しかるに、「テル」という言葉の表すものが一体何であるかということは、日本で広く人口に膾炙しているとはいえないし、また研究者の間で日々顧みられることもない。そこで本稿では、この詩をてがかりにしつつ、最近の研究動向を俯瞰しながら、テルとは何か、研究者はどのようにテルにアプローチするのか、そしてなぜ人はテルに住むのかということについて、考え述べていきたいと思う。

図1 テル・サラサート遺跡。1957年

村落(むら)屍骸(なきがら)
 テルとは何か

 「テル(タル)」は、アラビア語の名詞で、「人工の丘」を意味する。ペルシャ語・トルコ語圏の「テペ(タッペ・デペ)」、トルコ語の「ホユック(ヒュユク)」なども同義である。日本語では「遺丘」と訳される。「遺跡の丘」という意味である。テルは、その語源の地であるアラブ世界のイラク・シリアからエジプトにかけての一帯と、イラン高原およびトルコのアナトリア高原を中心に、西は東欧のハンガリーから、東は南アジアのインダス川流域まで、ユーラシアの中央部に広く分布する(Chapman 1997:139)。

 テルの形状や大きさは、さまざまである。長径が数百メートルに達し、裾部から丘頂までの高さが数十メートルにおよぶような巨大なものから、沖積平野の中のごくわずかな高まり(微高地)としてかろうじて視認できるものもある。重要なのは、それらは人間が短期間の工事で築造した盛り土ではなく、人間の生活・居住の痕跡が長い時間をかけ「堆(つ)み重なって」作られたものだという事実である。ある期間の生活の痕跡がパックされた地層、すなわち文化層は、あたかもパイ生地を重ねるかのように上へ上へと堆(つ)み重なっていくから、原則的には地層累重の法則にしたがって、下の文化層ほど時期が古くなり、上へいくほど時期が新しくなる。たとえば、くだんのテル・サラサート遺跡の第二号丘では、下層で新石器時代のプロト・ハッスーナ期、上層で銅石器時代のウバイド・ウルク・ガウラ期に属する遺構・遺物が発見されている(Anastasio et al. 2004;松谷1997)。このように、テルにはさまざまな時代の「村落(むら)の屍骸(なきがら)」が堆(つ)み重なっている。

 テルは、基本的に泥と石でできている。南西アジア一帯は、一般に、木材に乏しい乾燥地帯なので、粘土と石が主要な建材として用いられるからである。建物の壁には、泥粘土を型枠に流し込み、天日で乾燥させて作る日干し煉瓦が使われることもあれば、粘土層を幾重にも突き固める、中国の版築に似た工法が用いられることもある。どちらも、今日テル近くの村に行けば目にすることができる。これらは、過去一万年近くにわたって息づく建築伝統である。

■発掘調査
 テルを解剖する

 このようなテルを対象とする発掘調査は、ストッカーにたまった新聞紙を整理するのに似ている。読み終わった新聞を順に積み上げていくと、下へいくほど日付が古く、上に行くほど日付が新しい「堆積」が形成される。ここで、一週間前の出来事を調べるには、上から順に新聞紙を取り除いていって、一週間前の日付が入った新聞紙を抜き出し、そこに書かれている記事を読むことになる。テルの発掘調査は、これを数千年の時間幅でおこなっていると思えばよい。遺跡発掘の場合は、土器などの形態変化に基づく時間的物差し(編年)と放射性炭素年代がさしずめ新聞の日付に相当する。

図2 テル・サラサート遺跡発掘風景。1957年

 テルの発掘調査の手順には、定石がある。まず、基準点を設定して、遺丘全体に碁盤目状の座標系(グリッド)を定める。次に、地表面に落ちている遺物をサンプリングして、どの地点の地下にどのような時期の遺構・遺物が埋まっているか推測する。その結果を受けて発掘する場所を決める。発掘区には、グリッドに沿って、長方形のトレンチ(試掘坑)が設定される。トレンチの内部は、表土から順に注意深く取り除かれていく。建物の遺構や貯蔵穴・墓穴などに掘り当たったときは、特に慎重に掘り進め、遺構の全体像が把握できたところで図面を取り、写真を撮って記録に残す(図2)。この作業は、精密な生体解剖にも似ている。これを、一枚一枚の文化層に対して繰り返していく。ここまでは、日本をはじめ世界各地の発掘調査に共通する考古学の基本だが、テルを相手にする場合は、時期の異なる文化層が幾重にも、そして分厚く堆積しているので、層位や遺構の上下(新旧)関係がきわめて複雑になる。そのため、堆積層や遺構ごとに一枚ずつ記録シートを作成して、その層位や遺構の特徴や新旧関係を記録しておくなどといった工夫が必要になる。

 一シーズンの発掘が終わると、トレンチの内壁にはテルの垂直断面図(セクション図)が出来上がる。これを図面に写し取ると、層位や遺構の新旧関係をさらによく理解することができる。東京大学のチームが現在調査しているテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡のセクション図(図3)は、テルの形成過程を如実に物語る。ある時期に使用された建物が放棄され、天井や壁が崩れ落ちると、廃墟の内部に土砂や廃棄物がたまっていく。その後、上面が整地され、その上に新しい建物が作られる。図の一部を拡大すると、床面の張替えや壁の拡張を伴う住居のリフォームが頻繁に行われていた様子が見て取れる(図4)。

図3 テルのセクション(土層断面)図の一例。テル・セクル・アル・アヘイマル遺跡
  囲み枠は図4の拡大範囲を示す。【拡大画像

図4 セクション図に見える住居建て替えの痕跡
  テル・セクル・アル・アヘイマル遺跡

■テル現象(フェノミナン)
 なぜ人々はテルに住まうか

 エベレスト登頂で知られるイギリスの登山家ジョージ・マロリーは、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、「なぜエベレストに登るのか」という問いに、「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという(ウィキペディア 2007)。それでは、もし、研究者がタイムスリップして、新石器時代のテルの住人に「なぜテルに住むのか」と尋ねることができたとしたら、どのような答えが返ってくるのだろうか?

 東京大学の西アジア調査がそうであるように、従来、テルの発掘調査は、「いつ」「誰が」「どのように」そこに住んでいたのか明らかにすることを目的として進められてきた。その結果、住居建築・食料加工・貯蔵・工芸・埋葬・儀礼など、テルの上で行われた活動が、高い精度で復元されるようになった(Verhoeven 1999,2000)。しかし、当時の人々が「なぜ」テルに住んだのかということについては、議論が最近ようやく端緒に着いたばかりである(Bailey1999; Chapman 1997; Hodder and Cessford 2004;Verhoeven in prep.)。

 テルが形成される現象、すなわち「テル現象(フェノミナン)」(Verhoeven in prep.)は、上述した泥と石の建物の廃棄−再建サイクルと密接に関係する。先人の廃屋の上に再び建物を建てる行動は、機能的要因と認知的要因から説明できる(前掲)。まず、機能的に見れば、周辺に比べて少しでも高いところの方が、水はけがよく、眺望もよい。また、既存の建材や基礎を再利用するという観点からも、廃屋の直上に建てるのは合理的である。建築層の再構築に伴い、遺丘が高くなっていくと、そこが景観(ランドスケープ)の中の焦点、いうなればランドマークになる。そこに祖先の暮らした跡が埋もれているということが社会的記憶となって、遺丘そのものが祖先と関連づけられて認知されるようになる(Hodder and Cessford 2004)。さらに、農耕の発展とともに、テルは周辺の耕作地における農作業の拠点となり、エリートが統制する農耕システムの一装置になる(Bailey 1999)。こうして、テルは多重的な象徴性を獲得し、そこを居住の地として選択することが当時の人々にとって特別な意味をもつようになる。ゆえに、人々は繰り返しテルに居を構えるようになる。したがって、テルは人口を誘引する「磁石」(Verhoeven in prep.)の役割を果たしていた、というのが近年の議論の流れである。ただし、このようなテル現象をめぐる議論が一定の結論に到達するには、まだまだ時間がかかりそうである。しかし少なくとも、先史時代の人々は、テルに住む理由として、「そこにテルがあるから」という答えにとどまらない、何らかの意図を持っていたということは確かなように思う。

■科学の魔杖?
 新しい研究手法

 これまで、テルの発掘調査はマンパワーに頼るところが大きかった。しかし、先端技術の導入により、調査方法も少しずつ変わりつつある。最後に、そのような新しい調査方法を紹介し、今後の研究展望を見通して、本稿の結びに代えたい。

 従来、テルの地形測量には、相当な日数と労力がかかっていた。しかし、簡易レーザー測距計(Hayakawa et al. 2007)や高精度の全地球測位システム(GPS;Uno et al. in prep.;本稿図5)を用いることによって、簡便・迅速かつ高精度な測量調査をおこなうことができるようになった。また、電磁気探査(Kamei et al. 2002;本稿図6)など地球物理学的方法の開発によって、発掘にとりかかる前にあらかじめ埋蔵されている遺構の位置・形状を予測することができるようになった。これらのデータは、経緯度や標高などの空間情報を付与することによって、地理情報システム(GIS)上で統合的に管理し、解析し、図示することができる(図7)。発掘図面や写真、実測図その他の記録も同様である。発掘調査で生み出される大量かつ多様な情報がすべてデジタル化され、大規模データベースに一元管理されて、必要な情報を必要な時に取り出して多角的に分析できるようになる日はそう遠くない。

 これらの先端技術は、得体の知れない「魔杖」ではなく、理論的・臨床的な基盤はきちんと確立している。ただし、万能の「魔杖」でもないので、実現できることには限度がある。しかし、これまでに練り上げられてきた考古学の理論と方法とともに、研究者がそれらの技術を通して得られるデータの特性や限界を正しく理解して分析に用いれば、テルから新しい知見を引き出すための扉を開くことができるだろう。

図5 高精度GPSを用いたテル地形測量調査の様子
  ウズベキスタン、ダブシエ遺跡(宇野隆夫氏提供)
図6 磁気探査装置を用いた地下探査の様子
  エジプト、アル・ザヤーン神殿遺跡(東京工業大学亀井研究室提供)

図7 テル・セクル・アル・アヘイマル遺跡の3Dイメージング
  東京大学小口高研究室・早川裕一氏らによるデジタル地形測量成果(Hayakawa et al.2007)に基づく。


謝辞

 「なぜ人々はテルに住んだのか」という議論は、マーク・フェルフーフェン氏が本館でおこなったチュートリアルに触発されている。また、テルの新しい研究手法に関しては、宇野隆夫(国際日本文化研究センター)・山口欧志(中央大学)・阿児雄之(東京工業大学)・早川裕一(東京大学)の各氏からご教示をいただき、あわせて文献・写真等を提供していただいた。ここに記して感謝申し上げる。