新聞紙面の変遷
明治七年合弁会社「日就社」の社長子安峻が創刊した『読売新聞』は、大正六年に「読売新聞社」と改名し、本年創刊百三十周年を迎える。この新聞は判型と表題の変化が大きいことで知られている。館蔵品のなかでは明治一二年発行分がもっとも古く、紙面は現在のものの四分の一以下である。紙質のよい厚手の用紙を二つ折りにし、四頁刷りとなっている。何年かこの判型が続いたようだが、明治一四年発行分になると、判型は二倍以上に拡大される。以降、紙面は少しずつ大きくなり、明治四二年発行分では縦四〇・八センチ、横五五・〇センチとなっている。以後は裁断の仕方によって縦横一センチ幅程度の誤差はあるものの、ほぼ一定の大きさを保つ。昭和一七年八月五日には『報知新聞』と合併し、『読売報知』を名乗る。戦時中は用紙不足に陥り、戦時版『よみうり』は通常紙面の半分となり、頁も四頁となった。
248.日刊紙『読売新聞』 第一四〇三号、明治一二年九月一九日発行
249.日刊紙『読売新聞』 第一五九三号、明治一三年五月一二日発行
250.日刊紙『読売新聞』 第一六七四号、明治一三年八月一七日発行
251.日刊紙『読売新聞』 第二〇八二号、明治一四年一二月二九日発行 252.日刊紙『読売新聞』 第三四二一号、明治一九年六月一二日発行
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