新聞紙・新聞誌・新聞史

西野嘉章

 

 日々発行される新聞は、読まれると、たちまち用無しになる。雑誌と違い、記事の大半が速報性に重きを置く情報でなりたっているからである。この消費サイクルの短さは、新聞の誕生以来、すこしも変わっていない。とはいえ、われわれの時代すなわち、資源リサイクルの必要性が叫ばれ、循環型社会に向かって世間が足並みを揃えるような時代になり、それが一挙に加速されたように感じられるが、どうであろうか。いまや新聞は、社会における消費財の代名詞と言えなくもない。しかし、というよりむしろ、だからこそ、敢えてこのように問いたい。新聞はただ単なる消費財なのだろうかと。読み終えた新聞は、循環型社会を実現するための「リサイクル資源」に過ぎないのだろうか。

 社会情報基盤のデジタル化が進むにつれ、高速通信ネットワークを介したニュース配信が新聞に代わるものとして、われわれの生活のなかへ徐々に浸透してきている。そのため、新聞とはそもそもなにか、と正面切って質することが憚られるような時勢である。現に、新聞とはなにかを外形的に定義しようとしても、もはや一元化的な答えは導き出しにくい、それほどまでに新聞の様態は多様化し、機能が多元化しているのである。

 そこでわれわれは、活版輪転機の導入からデジタル印刷プロセスの登場までのあいだの新聞を、便宜的に「近代新聞」と呼ぶことにするが、これについては、次のように言えるのではないだろうか。「近代新聞」とは文字や画像の印刷された紙、すなわち「モノ」である——そればかりか、目方があり、嵩があり、手触りがあり、しかもそれが古いものである場合には、臭いさえあり、紙として大判であり、癖がなく、扱いやすく、廉価であり、その気になればどこにでも見出され、包み、被せ、覆い、詰めるといった用途に適い、さらにほどほどの緩衝性と吸湿性がある、ために日常の生活財として、この上なく重宝な「モノ」である、と。

 もちろん、こうした物性的な側面だけをもって「近代新聞」を論うわけにはいかない。情報論的な観点からも、また社会史的な観点からも、それらの比類ない価値を認めねばならないからである。事実、文字や罫線や画像で埋め尽くされた紙面には膨大な情報が盛り込まれており、その情報量の多さと情報密度の高さにおいて、新聞は他の印刷メディアを圧倒している。

 ことに古い新聞はそうである。貴重な紙幅を最大限に生かすため、各所に工夫が凝らされており、そのことが情報密度の高さと、紙面構成の美しさの実現につながった。印刷プロセスの機械化によって発行部数を飛躍的に拡大した「近代新聞」は、発行当時の社会の状況や、大衆の気運を、機能的な紙面構成のなかに横溢させているという意味で、他のものに代え難い歴史的・社会的・審美的な価値を備えている。

 古い新聞を眼にすると、発行された当時の社会の様相がまざまざと甦ってくる——より正確に言えば、甦ってくるように感じられる。新聞タイトルや発行年、巻号の重要性は言うまでもない。大見出し、小見出し、記事、写真、雑報、連載、広告、案内、告知、彙報、さらには用紙の質感や色合、紙面の起伏や触感、活字の種類やインキ、われわれ読者の五官を刺激するすべての知覚的要素が協奏しあい、「時代」の全体状況を彷彿とさせる、それが新聞なのである。たしかに、古い書籍についても似たようなことが言えなくはない。しかし、「近代新聞」は、一般の書籍と違って、大判の紙に刷られていることもあって、匂い立つようなアウラ、独特の時代喚起力がある。すくなくとも、わたしにはそのように感じられるのである。

 あらためて言うまでもないが、新聞は、政治、経済、社会、文化、教育、科学など、日々の暮らしのさまざまな局面と密接なつながりをもっている。そのことを考えるなら、なんら驚くに当たらないが、新聞に関する学術研究、あるいは新聞を拠り所とするそれは、新聞学を標榜する学問を筆頭に、マスコミ論、コミュニケーション論、メディア論から、文学、美術、映画、写真、演芸、漫画、広告、風俗等の研究まで、人文科学と社会科学の両分野に跨るかたちで、実に多様な展開をみせている。

 いずれの系統に属するものであれ、これらの学問分野では、ほとんど例外なしに、古い新聞は貴重な歴史情報を担架する一次史料と見なされており、したがって、それらの「保存」に努めなくてはならないという点で衆目は一致している。一般書籍類と違って、多分に「社会財」的な性格の強い近代新聞資料を然るべきかたちで「保存」していこうとする姿勢に対して、それらについての研究を専門とする研究者ならずとも、首肯する人は少なくないはずである。

 しかし、こうした文脈で言われるところの「保存」の必要性というのが、実のところ、曲者なのである。なぜなら、上掲諸学が必要とするのは、もっぱら文字情報(テキスト)や画像情報(イメージ)であり、とどのつまりが記号情報でしかない、「モノ」としての新聞すなわち「新聞紙」ではないからである。マイクロ・フィルムや縮刷版で用は足りる、といった類の言い回しが日常化していることからも解る通り、新聞から記号情報(テキストとイメージ)が取り出せれば、それで充分であるという安易な考え方が蔓延しているのである。しかし、はたしてそれで本当によいのだうか。

 たしかに、古い時代の新聞を、写真版、縮刷版、マイクロ・フィルム版で次世代に継承しようとする事業は、かなり以前から有力な図書館、専門研究機関などで始められており、それが利用者のあいだで定着をみていることは紛れもない事実である。また、新聞の発行プロセスが完全にコンピュータ管理されるようになってからは、新聞のコンテンツそれ自体が、そのままデジタル・アーカイヴのなかに蓄積され、一般利用者の便に供されるというシステムも確立している。しかし、こうした新聞保存のあり方が、本当に望ましいものなのかどうか、今一度考え直してみる必要があるのではないか。

 マイクロ化にせよ、デジタル化にせよ、記号情報化の流れが進めば、いずれは紙(モノ)としての新聞の潰え去る日が来るだろう。そればかりか、こうした流れは過去の新聞資料の恒久保存の行く末さえ、危ういものにしつつある。現行の新聞のデジタル化とともに、過去の新聞資料の記号情報化もまた、なるほど、抗い難い時代の流れなのかもしれない。しかし、だからといって、すでに紙(モノ)として存在している昔の新聞をみすみす遺滅させてよいわけはない、というよりむしろ、それを促進するような風潮をこのまま黙過しておいてよいのだろうか。わたしの見るところ、古い新聞資料を取り巻く環境は、まさに危機的な状況にある。というのも、マイクロ化やデジタル化の済んだ古い貴重な新聞が、保存スペースの狭隘化、資料管理者の不足など、通り一遍の口実の下で廃棄処分されるといった、およそ信じがたいことが実際に起こっているからである。

 モノとしての新聞すなわち「新聞紙」は、案外、残り難いものなのかもしれない。試みに、普段の暮らしのなかでの新聞のありようを思い起こしてみるがよい。古い新聞が家庭内に蓄積される可能性として、どのようなケースが考えられるか。たとえば、家人の誰かがある特定の関心や趣味に導かれ記事を切り抜き、貼り込み帖を作っているケース。これなどは、わかりやすい。日々の紙面に連載される小説や記事のスクラップ、あるいはスポーツ、芸能、舞台、映画、人物など、それこそ読者の多様な関心に沿ったスクラップが、ときとして古書市場などに現れるのは、新聞のそうした受容形態がいつの時代にも変わらずに存在していることの証である。

 また、社会的大事件や自然災害を報じた新聞、あるいは親類縁者に関する記事の掲載された新聞を、どこかにしまっておくという場合もある。時代を画する出来事を報じた新聞、とくにセンセーショナルな見出しを伴う号外の類は、変哲ない雑報で埋め尽くされた新聞より、保存される確率がはるかに高い。人の記憶に深く刻み込まれるような出来事を報じた新聞は、なんとなく捨てがたいという思いを抱かせるからである。こうした、多少なりと意識的な保存行動と別に、たまたま後世に残されるケースもある。大掃除のときなど、畳の下やタンスの底などからカビ臭い昔の新聞が出てきたり、普段使わない食器等の箱に詰め物として古新聞が使われているのを発見したりする、といった経験を引き合いに出せばすぐにも合点がいくだろう。

 もちろん、一般家庭の生活圏内に保存される可能性は、上記以外にも、いくらでもあり得る。とはいえ、運良く、昔の新聞が発見されることがあったとしても、いまの時代では、昭和三〇年代以降の新聞がせいぜいで、それ以前に遡るものになると、よほど特殊な条件が整わない限り見出しがたい。新聞は日々の暮らしに近すぎるため、簡単に処分される。廉価な紙に刷られ、しかも判型が大きい。住宅事情が悪ければ、嵩張る新聞は邪魔になる。というわけで、どうしても「保存」は他人任せになりがちである。

 発行元の新聞社、あるいは図書館などの公的機関ではどうか。まず前者の場合、すなわち、発行元の新聞社には、当然、然るべきかたちで保存されていているものと、誰しも考えたくなるが、この期待は見事に裏切られる。古い新聞の価値があらためて認識されるようになったのは、早くても昭和三〇年代のこと。それ以前については、必ずしもその限りでない。新聞社の社会的使命の第一は、日々の新聞を発行し続けることにある。したがって、自社の発行物について、恒久保存の必要性は自覚されても、それは後日参考資料として役立てるため、さもなくば読者への情報提供サーヴィスのためにそうするのであって、それ以上ではない。すなわち、「史料」として、オリジナルの状態で保管してはいないということ。大手の新聞社でさえ、現物保存については、盤石の責任を持ち得ないのが実状である。

  ならば、新聞の保存収集に特化した博物館、資料館、研究所等の公的機関の場合はどうか。社会財としての印刷物をシステマティックに蓄積する役割を担い得るとすれば、こうした機関をおいて他にはないのであるが、これらもまた、あまり当てにできない。合冊製本という最悪の保存法を採っているところが多いからである。これは定期刊行物などの資料保存の方法として定着して久しいのではあるが、新聞資料については、判型が大きいこともあって、そうした保存法の採られていることが多い。資料の散逸や劣化を防止するためというのが表だった説明であるが、しかし、現実には、「保存」というより、「破壊」に近い資料管理法である。

 新聞資料を合冊製本することの最大の欠陥は、二つ折り紙面の中央にある「柱」の部分のデータを遺滅させてしまうことにある。これは明治中期から大正初期にかけて発行された新聞の場合には、致命的である。当時の新聞では、「柱」の部分に、気象情報、時刻表、占いなどの雑報が印刷されており、時には大見出し、広告、記事まで、そこに組み込まれていたからである。また、製本のさい、小口を揃えるために三方が裁断されていることも多い。そうした場合には、元々の紙面サイズという基本的なデータさえ、満足に把握できないことになる。

 合冊製本による「保存」の弊害は、こうした物象的な側面のみに限らない。新聞研究の方法そのものにまで、悪弊を及ぼしているからである。現に、新聞各紙がタイトルに従って年代ごとに製本されていると、同時代の新聞各紙、あるいは同日に発行された新聞各紙について、共時的な比較研究を行うことが、甚だしく困難である。たとえば、ある時代の新聞広告について研究を行おうと考えたとしよう。新聞各紙に掲載された広告には、当然のことながら、その時代に通有な気運すなわち、「時代精神」というものが見いだされるはずである。タイトルに従って分類され、しかもそのタイトルごとに合冊製本された資料では、複数の同時期資料を並列的に揃えることが難しい。ましてや各紙を同時に眺めつつ、個々の異同を総覧することなど、望むべくもないのが実情である。

 さらに言えば、着目された記事が掲載紙のなかでどのように扱われているかという、部分と全体との間テキスト的な関係の把握も、合冊資料では難しい。マイクロ・フィルムになると、さらに深刻である。「記事が読めるから」という、マイクロ版についてしばしば用いられる言説は、欠陥だらけの資料保存のなかで、かろうじて許されている研究の、その限界を露呈しているとも言えるのである。

 要するに、昭和三〇年以前の「新聞紙」については、それを組織だって、継続的に、しかも信頼するに足るかたちで保存してくれている公的機関や新聞社があまりに少なすぎるということ。主要全国紙の中央版ですら、「紙」として完全保存がなされていないという現実。そればかりか、それらの各県版やブロック版、廃刊されて久しい大新聞、短命に終わった小新聞、各地の地方紙、業界別の特殊新聞、旧植民地で発行された現地語版新聞や現地語併用版新聞など、文字通りの稀少新聞になると、様々な経緯が災いして現物の存在すら確認し難いことが多い。幸いにして保存されている場合にも、マイクロ・フィルムや断片史料による調査しか行い得ない、とはすなわち、記号情報(テキストとイメージ)しか取得できない、これが新聞保存の偽らざる現在なのである。

 「新聞紙」の保存におけるこうした貧しい現状は、新聞を情報学的な側面からしか眺めようとしない人文諸学の、偏った姿勢からもたらされた結果である。新聞は、紙であり、とどのつまりが「モノ」なのだ、という自明の事実に眼をつむることで、新聞という「モノ」の有する、もっとも美味しい部分をつかみ損ねている。わたしの眼には新聞研究の現状が、そのように映るのである。

 現代の新聞研究は、書誌学研究、メディア論研究、新聞社史研究、人物研究など、いくつかの方向に分かたれているが、それらのどれもが記述や記載の域に安住して憚らず、歴史の言説を紡ぎ出し、思想の枠組を築き上げる努力を怠っている。この遠因を探ると、「新聞紙」の総体を記号情報に還元縮体する資料保存のあり方に帰着する。「新聞紙」への物性論的な関心を覚醒させぬ限り、新聞学は「新聞誌」の域にとどまり、「新聞史」となり得ないのではないか。

 資料の保存管理は研究の第一歩であり、研究はその管理の仕方次第で、面白くもなり、詰まらなくもなる。新聞学のさらなる発展のために、いまいちど「新聞紙」という原点に立ち返って、新聞資料を顧みる必要があるのではないだろうか。

 

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