第2部 展示解説/動物界 REGNUM ANIMALE 高槻 成紀
地上の自然物を収集、保存し、記載しようとしたリンネの偉業は、被造物はすばらしいに違いないという精神 に支えられていたといえる。そこには、このすばらしき世界に無数の動植物が生存し、それを支える大地があり、それを構成する岩石鉱物がある、それらは細部にいたるまで人智を越えた神の技が内包されているに違いな いという肯定的な世界観がある。そのような精神は、被造物は讃えるべきものであるゆえに、それらを収集し、良い状態で保存すべきだと考えたであろう。 リンネが残した偉業のひとつに「二名法」があるが、これはそれまでの記載的な命名とは基本的に違う考え方であった。だがこのことは記載を軽視したからで はなく、むしろその逆に、複雑きわまりない生物の形態を正確に記載することは不可能であって、それは標本を観るしかないという考えかたによるのである ( 今泉 , 1998) 。つまり標本こそが本物であり、記載にはむしろ限界がある、だから確実に標本に辿り着くための必要最低限の表現法として考え出されたのが二名法なのである。 「自然の体系」はその後の生物学全体に大きな影響を与えたが、晴乳類学史にとっても大きな意義がある。 そのひとつにそれまで魚類と考えられていたクジラを正しく晴乳類に位置づけたこと、もうひとつはヒトをも また晴乳類の 1種と位置づけたことである。キリスト教的世界観においてこの後者の一事がいかに困難であるかは、 1世紀後のダーウィンの時代においてさえそうであったことからもよくわかる。そのことを思えば、 改めてリンネの偉大さが理解できる。一方、生態学は 20世紀の学問といえるが、それが博物学の流れを汲 むものであることは、イギリスの偉大な生態学者であり、「生態系」の概念を提唱したタンスレーが指摘するところである。その後生態学は物質の流れを重視する分野や鋭利な仮説検証型のスタイルに影響されたとはいえ、結局は個々の生物についての詳細な知識なしには成り立たないものであることが改めて認識されつつある。それはとりもなおさずリンネが到達した、自然物を徹底的に観察するという精神そのものに重なるも のであるに違いない。さらに、このような被造物を讃える精神の延長線上には 21世紀の重要な課題である、生物多様性が重要性であるという認識を見い出すこと もできる。 このような意味でリンネの時代とその精神についての現代的評価はぜひともなされなければならないことだが、私は生物学には標本が尊重される社会と理論が重視される社会とがあって、それらが時代とともに揺 れ動き、リンネの時代はそのバランスがすぐれてよかったのではないかと思う。自然を正しく把握することに真剣で、あろうとすれば、科学者であれ芸術家であれ、 その目を曇らせないために「現物」を観ょうとするのではないか。このことは生物学を学ぶ者がつねに考え続けるべき課題であろう。 今回の展示では晴乳類の骨格標本を材料としてこの ことを考えることにした。
Copyright 2004 The University Museum, The University
of Tokyo
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