大場 秀章

 

「自然の体系」とは

 地表にみるあまたのもの、すなわち大地そのものをつくるさまざまな岩石とそれを造る鉱物、大地に根を張って生きる多様な植物、それにあまたの動物が加わるが、それらは一体どのようにして生成されたものなのか、このことは古くから人類が疑問に感じた問題であった。多くの民族が万物創生にまつわる神話をもっているのはその証拠である。

 Systema Naturae という言葉は、生物学の父、リンネが著した書物の題名である。『自然の体系』と訳されるが、そもそも自然に体系などあるのか、という疑問を抱かれる人も多いであろう。 自然の多様さを神話の世界から科学の世界へと飛躍させるきっかけに位置づけられるのがこのリンネの著作なのである。自然の多様さについての研究はリンネに始ったわけではないが、リンネの著作を契機にこの問題は近代的な学問 (自然史科学)としての歩みを踏み出したといってよい。だから、Systema Naturaeは自然の体系を解明する学問である自然史科学の出発点でもある。

 リンネはそれまで暖昧模糊としていた自然物の理解に厳密な定義化を導入した。その最も重要な概念は種 (species)で、種を体系化の基礎に据え、あらゆる自然物を種を基準に分類したのである。このことにより、それまでばく然と用いられてきた「種類」と決別することに成功した。 リンネの種は一種の単位とみることができ、永久不変で、類似していて区別できない個体は同一の種に属するものとされた。さらに、種を基準に類似の種は上位概念である属に、属もさらに上位の概念の分類階級に分類することで、自然を階層構造化したのである。これがリンネの自然の体系の骨子である。そしてリンネはあらゆる自然物を鉱物、植物、動物という3つのダループに集約した。

標本の収集と読解

 リンネの著作以降、自然の体系化をより綿密なものへとする動きが生物学や鉱物学を発展させた。どんな生物でも鉱物でも裸眼で標本を観察することで上位の分類階級への位置づけができ、詳しく特徴を調べればその標本がどの種に属するかを決めることができたリンネの「自然の体系」は魅力的であった。 自然史研究を加速したのは大航海時代である。新大陸などからもたらさ れた多量の標本の多くは未知なる生物や鉱物であった。 『自然の体系』に則して多くの新植物や動物、鉱物が発見されたのである。 大航海時代はまさしく標本を読み、自然の体系をより完壁なものへと補強する時代であったのだった。それまでヨーロッパの生物と鉱物を中心に組み立てられたリンネの体系が、新大陸の生物や鉱物の体系上への位置づけにも役立つたことに驚異の言葉を残して いる学者もいる。キャプテン・クックの探検航海に同乗したパンク ス卿もその一人である。

 ところで自然史科学では研究の材料は標本 (specimen) と呼ばれた。 多種多様な自然物の中には氷のように、条件さえ与えればいつでもどこでも水からつくることができるものもある。またどの地域の氷でも同じ属性をもっている。なので氷のような物体では標本を保管する必要がない。だがヒトでは、同じ種に属するとはいえ顔立ちなどには一人々々でちがいがあり、まったく同ーという個体はない。ヒトなら誰にでも共通の事象といっても、個体ごとにちがいはつねに考慮されねばならず、分析には複数の標本がいる。ましてや地域や集団間の変異のような問題の解析にはぼく大な量の標本が必要になる。 これはヒトに限ることではない。あらゆる生物では同種といっても個体ごとにちがいが認められるのである。鉱物にも同様なことが指摘できる。

 「自然」そして「自然の体系」についての知識を共有することが21世紀共生社会の実現には欠かせない。その研究成果を展示するスペースこそは博物館の社会貢献の場である。

 パンクス卿のようにパトロンとなり自然の体系化を支援した王候や貴族は、標本の収集にも積極的に協力した。それまでミューズの神への奉物を収めておく施設だった‘ミューズの館 ' はこうして集められた多量の標本を整理、保管し、研究する「博物館」へと変貌したのである。ヒトがそうであるように、生物の研究では通常どの種にも集団や地域による差があり、厳密な研究には多量の標本の収集が欠かせない。研究を完壁なものにするためには徹底的な標本を収集することが必要である。どれだけ完壁に枚挙できるかが研究の質を決めているといってもよい。

 以上の述べてきたことを要約すれば次のようにいうことができるだろう。

 自然の体系の主役は標本である。標本は自然そして自然の体系を知る唯ひとつの手がかりであり、標本なしには自然の科学的理解は不可能である。「標本を読む」ことは、標本の個体がどの種に分類されるのかを決めることである。 「標本を読む」のに最も大切な道具は、鋭い感覚と理性をそなえた人間の目である。だが、植物、動物、そして鉱物をみる目にはちがいがあり、見方は多様である。その他、様々な機器が標本の分析に援用され、理解の幅を広げ、かつ深めていく。標本が既知のどの種にも該当しないことが判ったとき、それは新種として発表される。新種の発見は、「自然の体系」をより完壁なものに近づけていく。新種発見や分類体系の見直し には、比較や分析のために多量の標本が必要であり、そのためのパックヤー ドが博物館には不可欠である。

神の創造から進化する種へ

 博物館を中心に自然を体系化する研究は進んだ。とくに植民地活動がさかんだった 17・18世紀はばく大な量の標本が植民地からもたらされ、自然史研究を大きく刺激した。それまで神が創造し永久不変と考えられてきた生物の「種」自身が、こうした研究などを背景に、自ら別の種に変わる、すなわち進化すると考えられるようになった。それを代表するのがダーウィンによって提唱された「進化論」である。初めはキリスト教国では神を冒涜するとさえいわれたダーウィンの進化論は、やがて大半の生物学者に支持されるようになった。

 進化論は、もとをたどればあらゆる生物がたつたひとつの祖先の子孫であることを示唆している。つまり、自然の重要な構成物である生物は長い時間をかけて今日にみる多様な様相をもつようになったのである。そのことを自然の体系に反映させようとするなら、従来の体系にはない時間ととも に変わる、系統進化という考え方を導入しなくてはならない。静的であった自 然の体系に時間という動的な視点が加わったのである。類似の程度の評価に基礎をおいた自然分類の考えによる体系化から、共通の祖先からの進化の道筋を示す系統分類による体系化へと転換したのである。

 鉱物では当初は各地の形状の異なる鉱物あるいはそれらが造る岩石の記載が体系化の中心となっていたが、元素とそれがつくる構造によって分類することや実験により個々の岩石ができる条件の特定が試みられるようになった。 こうした研究の進展により岩石・鉱物では生物とは異なる体系化が行われることになった。鉱物学や岩石学の実験的研究でも集積されたぽう大な標本が大活躍している。

 自然を体系化する研究は、やがて生物と鉱物では異なる道を歩むようになった。生物についても、また鉱物についても多様性の概要は明らかになったといえる。 生物は温帯圏を中心に多様性の解明も大きく進んだ。また、系統進化についても大筋は明らかになってきたといえる。こうした研究が進む一方で、地中に棲むダニ、 熱帯の多雨林やサバンナの樹上で暮らす昆虫のグループなど、熱帯圏や海洋、土壌中、あるいは極限環境には未だ体系的な解明さえほとんどなされていない生物のグループも数多 く残されているのである。その存在が科学化されようとしている最中に絶滅してしまった種さえある状況である。

自然の体系化研究と東京大学

 東京大学は1877年に創設された。その時代、生物学でいうと、自然の体系の完成に向けた自然史的研究に取組む一方で、系統進化の証拠となる比較形態学や発生学などの解析的な研究が生理学的な研究とともに進展をみせていた。最先端をめざす教育研究が進められることになったが、生物や鉱物の研究では自然史的研究にも重点が置かれた。 日本にある鉱物、植物、動物の自然の体系への位置づけは、日本で最初に設立された大学としての責務であるとの意識もあったと思われる。日本の生物と鉱物を自然の体系上に位置づける日本動物誌、日本植物誌、日本鉱物誌の完成が急がれたのである。 1897年には京都大学の前身である京都帝国大学が設立されるなど、日本にも多くの大学 が誕生した。明治から大正時代に設立されたいずれの国立大学でも当初は自然史が研究の中心であった。

 多くの業績が生まれ、日本と日本周辺地域の自然の体系は、かなりの部分で細部にいたるまでその全貌が解明される状態になった。本学は日本における自然史的研究を常にリードしてきたといってよい。時代とともに研究が多分野に細分化される中で、 自然史的研究が衰退した時期もあったが、自然史的研究は日本国内から周辺地域、そして1950年代以降はヒマラヤや太平洋地域、南アメリカなど世界的な広がりをみせている。

 多くの分野での自然史研究は本学に多量の標本をも たらした。1960年代には、いたるところで標本が研究室を埋め尽くし、廊下にはみだす状況になっていた。こうした標本を集中的に管理し、教育研究の便に利すために総合研究博物館の前身に当たる総合研究資料館が1960年に学内に設置された。 大学博物館の設置で、集中的な標本の保管と管理が可能となり、とく に1960年代以降盛んになった海外での学術研究では、 総合研究博物館は重要な学内での研究拠点となった。

 収集されてきた標本に新たな光を投げる新しい分析手法も登場し、地球の誕生から今日にいたる進化の全過程を掌中にした「自然の体系」の全体像を描くこともそう先のことではない状況にきている。総合研究博物館はぼう大な標本を単に保管する場所としてばかりでなく、自然史研究の場としてもその重要性を増しつつある。

 地球共生をめざすというのが21世紀のモットーである。人類が他の生物をパートナーに認めた最初の世紀ということができる。広範囲な自然史研究を進めることで「自然の体系」の一層の深化をはかることは21世紀の社会設計のためにも必要だといえよう。

 

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