フィールドノートとは
フィールドノートは、地質調査の記憶術である。そこには、調査に当たったヒトの五感の全てが記録されているといっても良い。例えば鉱山での調査のように、鉱脈の掘削が進んで行くと坑内での露頭は失われ、調査は二度とできないことも多い。このような場合に、フィールドノートに記述されているデータだけが調査当時の(失われた)露頭を記憶するものになる。もちろん記憶も大切であるが、フィールドノートに記述された記憶を忘れることはない。従って、地質調査に携わるものは五感を駆使して露頭の観察を詳細に行い、そこで得た情報全てをフィールドノートに記録する。その証拠として試料を採集したり写真を撮影したりするのである。調査から帰った後に、採集した試料を基にして研究を始めることになるが、試料自身の持つ情報以外に、例えば試料を採集した露頭における状況などのフィールドノートに記述された様々な記憶が重要となる。
また調査は地図に書かれていないルートで行うことも多い。例えば、細い山道、小さな沢などで、その場合は、自ら地図を作成しつつ(ルートマップと呼ばれる)自分の足跡と観察事項を書き込んでいく。大学に入って初めて地質調査の実習を行うときには、まずルートマップの作り方を教育される。最初は、歩測から始める。100mの距離を繰り返し歩いて自分の一歩の平均的な長さを決める。次にクリノメータと呼ばれる機械を用いて方向を測る。クリノメータは要するに磁石であり、東西南北と角度が外周に刻まれている。磁針が正しい方向を指し示すためにはクリノメータを水平に保たなければならない。そのために水準器がつけられている。例えば、露頭に地層面が現れている時に、その地層面の方向を次のような方法で測定することが出来る。即ち、クリノメータを地層面に当て、水準器でクリノメータを水平に保ちつつ地層面の方向を測定するのである。さらに、東西南北を刻んだ目盛りの内側にもう一つの角度刻みがある。磁石と同一軸上に自由に回転する指針が取り付けられており、垂直からの傾きを測定したい面に当てて、傾きの角度を計測する。この2種類の角度を測定することによって、ある地層面がどのような方向(strike)にどのくらいの傾き(dip)で存在するかを計測することが出来る。
自分の歩幅が決まり、方向も測定できるようになると、ルートマップを書くことが出来る。スタート地点に立って、次に目標とする場所に向かって正対し、方向を測る。例えば北から東に30°振れた方向であれば、フィールドノートの始点から、分度器で目的の方向に直線を引く(N30Wと記述する)。次に目標点に向かって歩き、距離を測る。始点からの直線上で、計測した距離に対応する地点を記入すると、その点がフィールドノート上で次の目標点への始点となる。そのルートの中に観察した露頭の位置などを随時記入する。露頭では、詳細に観察し、地層の方向や傾きを計測して記入したり、露頭のスケッチを行ったり、試料の採集を行ったりする。試料には、採集番号を記入する。筆者が教えられた番号付けは年月日の6桁の数字とその後にその日の試料の通し番号を振る(例えば渡辺武男の1945年10月15日の20番目の試料であればWT45101520のように)。もちろん、フィールドノートにも番号を記入する。渡辺のフィールドノートには、しばしばスケッチが書き添えられている。地質学の野外巡検ではフィールドノートの書き方を訓練されるが、その中に露頭のスケッチも含まれる。フィールドでスケッチをする代わりに写真で済まそうとして注意されたことを思い出した。良いスケッチが描けるということは注意深い観察が行われているということを意味する。また写真を撮った場合は写真の通し番号を記入する。作業が終わると次の目標点に向かって、同様の作業を繰り返す。結果的に、フィールドノートの上には、調査者が観察した全ての情報を満載した歩測地図(ルートマップ)が出来上がる。このような点から見ると、フィールドノートこそ、研究者の「目」をもっとも顕著に示す記録であることがわかる。
渡辺武男のフィールドノート
渡辺武男が残したフィールドノートは362冊に及ぶ。渡辺のフィールドノートは1975年に秋田大学工学資源学部附属鉱業博物館に寄贈され、1993年に加納博氏によって整理・カタログ化された。フィールドノートは1931年渡辺が北海道大学の助手時代から始まっており、最初の記載は朝鮮旅行であった。渡辺のフィールドノートは上に述べた調査に際しての記録ばかりでなく、調査中のあらゆる情報が記述されている。例えば、旅行の携行品、時刻表、会話の内容などなど。ノートの中に、渡辺が旅行に持参すべき品々のリストを掲げている。これを見てみよう。1931年の朝鮮旅行に際してのメモである。この携行品リストは、当時の調査旅行の実態を示していて興味深い。
身分証明書、割引券、ユカタ(ネマキ)オビ
money
Fieldnote, sketchbook, 万年筆、鉛筆(色 黒 各色)
Knife, 消ゴム、矢立(スミフデ)、吸取紙
Map
測円板、field label, watch
photo (camera, screen, plate)
tracing paper, section paper
綿、麻ヒモ、新聞紙
hammer, sealing wax
タガネ
clinometer, 歩数計、handlevel, 巻き尺
三角定規、goniometer
thermometer, loope, magnet
HCl
コップ、皿、ワン、水筒、カンキリ、スプーン、folk
ハシ、ナイフ
ペンチ、アンゼンピン
クスリ、クレオソート、メンソレ、デスチン
ヒゲノドウグ、クシ、アブラ、石鹸、ブラッシ
荷札
ネブクロ、毛布
冬シャツ
軍手
足袋
ノビマキ、ゴムヒモ、ハナガミ、油紙
ルックサック
細引
フロシキ
懐中電灯
となっている。
被爆調査のフィールドノート
渡辺の1945・46年の被爆調査のフィールドノートを見てみると、当然のことながら、彼の通常の地質調査とは異なる記録のされかたがなされている。地図は残されていなかった。しかし地図に基づいて調査が行われたことは、調査報告書の「地質学において野外調査を実施する場合の方法に従って観察記入撮影及び標本の採取等を行った。各観察点標本採取点にはそれぞれ順に番号を付し、地図に記入してある。」の一節で確認できる。渡辺の残した試料には長崎や広島の地図はあるが、いずれも二万五千分の一であり、互に近接する採集地点を記入して行くには縮尺が高すぎて、二万五千分の一の地図にデータを記入していくことは不可能である。戦前・戦中にあっては、地図は、特に広島や長崎のような軍事関係の施設が多い場所については軍事機密扱いであり、渡辺が詳細な都市地図を調査前に手にしていたかどうかはわからない。
被爆調査のフィールドノートには、採集地点の他に採集した試料の記載(例えば、granite, andesite, 瓦、人造石、タイルなど)、測定した熱線の方向(走向・strikeと傾斜・dip)、写真を撮影していれば写真番号、被爆状況(例えば、ハジケ著シ、表面トケルなど)等が記入されている。また、しばしばスケッチが書き添えられている。被爆調査ののフィールドノートには、通常の地質調査の露頭スケッチとは異なるが、見事なスケッチを残しており、上でも述べているが、良いスケッチが描けるということは注意深い観察が行われているわけであり、そこからも、彼の試料収集の目配りを知ることができる。
また、フィールドノートには、野外での観察記録のほかに、当時の広い意味での調査環境を示す記載がある。例えば時刻表(行動記録を含む)、被爆調査の際に行われた調査委員会での会議内容などである。何時に起床して、どこから何時の汽車・バスに乗って何時にどこに着いて、どこを調査したか。また誰とどこで会ったか、など渡辺の行動を確かめるときに役立つ情報が満載されている。今回のフィールドワークとは直接関係がないが、渡辺は、地質教室での会議やそのほかの出来事について、ノートを作成しており、その記載は詳細である。現時点では、公開を憚られる記載も多いが、いずれ時がたてば重要な資料となるであろう。そこに見える記述の詳細さがフィールドノートのそれと一致する。彼は「食魔」であったばかりでなく「メモ魔」でもあった。今回、被爆試料にみられる多くの「謎」がフィールドノートの記述で解き明かされた。まさしく、フィールドノートは、地質調査の記憶術であった。
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渡辺武男のフィールドノート (秋田大学工学資源学部附属鉱業博物館所蔵) |