塵埃圏彷徨あるいは学術廃棄物のミクロコスモグラフィア

西野嘉章

 

暴論との誹りを覚悟で、敢えてこのように言おう、この世の中にはモノを集めるのが好きな人とそうでない人のふた通りしかいない、と。もちろん、かく言うわたしは前者に属する。それがため、モノ集めに執着を持たぬ人、 モノを平気で捨てる人の気持ちがどうにも解らない。モノ余りの時代なのだから、せいぜいモノ捨てに励もうではないか。そうした風潮に流され、社会が徒な消費に駆 られるようになって久しい。モノを集めるのは人に生まれたる者の義務である、と時流に樟さすアンチ投棄派の動きがどこかにないものなのだろうか。

わたしの意見に与する人ならすぐに合点もいこうが、モノ集めの好きな人は次のような質問を苦手とする。モノを集めるというが、いったいなにを集めるのか。モノを集めて、それをいったいなんの役に立てようというのか。 こうした問いが発せられるにはわけがある。モノを集めるには然るべき理由がある、との思い込みがあるからである。事実、人の行動はなにかにつけ目的に適うはずであるという、功利的で、経済的で合目的的な思考パターンに多くの人が縛られている。わたしに言わせれば、この見当違いな考えが収集家を苦しめずにおかないのである。モノ集めが好きであるというのは幼児期の影を曳ずる性癖であり、目的を見据えた振る舞いでもなければ、理性や分別に裏付けられた行動でもない。 モノ集めに奔走する人の心根のどこかには、自分の思い描く宇宙こそ世界のすべてであり、他人のことなど どうでもよいとしづ投げ遣りな部分がなくもない。他人 の仕事に対して終生無関心を装い続けたパブロ・ピカ ソは、木片や小石など、の変わったものがうち捨てられているのを見ると、なんでもすぐにズボンのポケットに押 し込んだとい う。後日それらが見事なコラージュ作品に 結晶したからといって、作品制作のためにモノを集めた と考えてはならない。モノへの興味や執着は生半可な 論理や必然で割り切れるものではないからである。

モノとの、およそ偶然としか言いようのない出合いが ある。それを気に入り、さらに別なモノが欲しくなる。モノ集めは遅からず収集癖へと発展する。もっとも、これだ けなら収集に「狂 」を賦さない。「収集狂」となるには、 虫の世界、切手の世界、時計の世界などのように、モノ集めの対象が範例的・系列的に網羅された全体世界を思い描く想像力を持ち合わせていなくてはならない。 それは収集対象の限りない広がりを俯瞰する眼力と言 ってもよい。もちろん、これは一朝一夕で身につく質のも のではない。対象についての該博な知識がまずなによりも必要である。そのため、収集家たる者は、対象世界の奥行きと広がりを知悉し、自らのコレクションのどこに欠落があるのかを視野に入れつつ、それらの補完に邁進しなくてはならない。収集対象をすべて掌中に収めきって初めて顕現する完全無欠の全体世界。この実現不能なイデアに一歩でも近づこうと努力することに自らの存在意義を認める者こそ、「収集狂」と呼ばれるに相応しい人なのである。

博物館というのは、この種のモノ好き人間にとって甚だ居心地のよいところである。そこに身を置いている限 り、収集に奔走していても、他人の誹りを受けることは ない。ばかりか、世間の「常識」 からすれば、ゴミにしか映らぬモノを集めていても、なんとなく格好はつく。集めることになにか奥深い意味があるのではないか、そのように周囲の人々が勝手に思い込んでくれるからである。 もちろん、何故そのようなモノを集めるのか、改めて問われることもない。また集めてどうするという質問に対して も、博物館であるからと答えれば、それで済む。博物館 は貴重なモノからそうでないモノまでなんでも抱き込む巨きな収蔵庫であるという漠然としたイメージが、幸いなことに、広く世間に定着しているからである。それを、現実はさにあらずと言って馬鹿にしてはならない。なぜ なら、そうした素人考えすなわち、アルカイックな博物館観に内包される「縮体された万象」(microcosmos) の イメージこそ博物館の原風景に他ならぬのであり、それを見失ってしまったことが博物館の社会的・学術的な機能不全の原因のーっと考えられるからである。

もとより博物館とは、財力と収集癖が交錯するところに生まれ落ちた豊穣にして混沌とした「器」であった。まずモノを集める。次にそれらを然るべき場所に配置する。そのための架蔵システムが編み出され、最後にその世界を意味づけるための首尾一貫した言説が組み立てられる。カオス( 混沌 ) からコスモス( 秩序 ) へ、博物館はこの宇宙誌 (cosmographia) をコレクシヨンの開陳によ って倣びしてみせる空間としてあった。価値体系や範疇論を楯に執り、 コレクションの選り分けがなされるようになったのは、たかだか近世以降のことにすぎない。 中世のラテン教父イシドルスの『語源論』 と近世初期の自然学者ウリッセ・アルドロヴァンディの『動物図譜』の懸隔にその間の変化が顕れている。前者はキリス卜教的な意味での被造物世界の全体を網羅的・包括的に記述しつくした。それに対し後者は、動物界を毘虫、魚類、爬虫類、四足獣などと門別し、その上で各門を分類的・体系的に詳述しようと試みた。現代のわれわれは、前者より後者すなわち、余所物を閉め出す姿勢をより科学的であるとし、その「近代性」 を肯定しようとしている。

集類にせよ分類にせよ、近世に至ってからの学問はそのシステマティクスへの参入を拒むモノすなわち、中世にあってあれほど生き生きとその存在感を放っていた欄外物(marginalia) をしだいに許容しなくなった。事実、時代が推移するなかで知識や技術の分化に弾みがつき、古くから大学とともに学術の母胎となった博物館もまた、自然、歴史、民族、美術など、そのコレクションを特化させる方向へ流れていった。二十世紀になるとこの流れがさらに加速した。たとえば、美術に特化さた美術博物館の場合には、コレクションが地域や時代、イズムや作家を基に分別され、いまやどこも専門館化が著しく、「総合」 の名に値するところがほとんど見あたらなくなった。そのため、博物館は世界全体を包摂する「器」として機能しずらくなり、コレクション形成に不可欠な想像力も目に見えて衰退してきている。

もちろん、これは独り博物館のみの抱える問題ではない。学術研究を取り巻く環境でも事情は同じである。 現に、大学でも知識の専門分化が極限まで進行し、世界全体を俯瞰的に眺める視座の持ちょうがなくなった。ばかりか、そうした論点を下支えするはずの言説でさえ、いまや瓦解の寸前にある。目先の役に立たぬものが排除されるという現象は、現代の知性がモノの現在を許容する寛容さ、世界全体を眺めわたす幅広い視野を喪失してしまったことの証なのである。

そのことは標本や史料に対する学術専門家の姿勢にも顕れている。なぜ集めるのか、なにを集めるのか。そうした問いに対する彼らの答えははなはだ聞こえがよい。すなわち、学術的な意義を論うのである。たとえば、動物や植物を収集し、同定し、記載し、分類し、ある「種」の成り立ちを系統的に説明するためには膨大なコレクションが必要だから、と。なるほど、そうかもしれない。もちろん、これは形態分類に携わる自然学者の言い分である。先端研究の担い手を標携する学徒なら、そうした古典的な実証研究のはるか先方に展開しつつある生命工学や遺伝研究を引き合いに出し、標本や試料の必要性を説こうとするに相違ない。いずれにしても、標本や史料はある特定の研究目的のために集められるのであり、それ以外ではあり得ない。これが学術専門家たちに共通する考えである。ことばを換えると、サイエンスに名を借りた合目的性こそがコレクションの存在理由ということになる。

しかし、とわたしは敢えて言いたい。そうした科学者特有の論法は一見説得的に聞こえるが、はたして本当にそうなのか。現実はむしろ、モノに対する聞かれた視点すなわち、あるモノを様々な角度から自由に眺める権利を疎外することになってはいまいか。医学の標本や動植物の標本を前に、わたしのようなズブの素人は、そ れらのアイデンティティを問うよりも先にモノそれ自体のもつ形態や組成の面白さに眼が向く。この点においては、「眼の人」 ピカソもまた例外でなかった。彼はそのモノがなにかを問うより先に、かたちを見て、その良し悪 しを吟味していたに違いないからである。たしかに、専門的な知識や幅広い教養があればあるに越したことはない。それはモノを知ること、モノに触れることの喜びを増幅させてくれるであろうから。しかし、逆に学術専門家であるがゆえに視野狭窄を来たし、それが本来有す るはずの多元的な価値のごく一部しか汲み取れない。 そうした馬鹿げた転倒が起こらぬとも限らないし、現に、 こうした危惧は現実のものとなりつつある。

とりわけ、情報への還元主義が幅を利かせている学問分野においてはそうである。標本の姿を観るより先に、付されているラベルを読む。研究者の多くはそうした主知主義的な振る舞いの日常を生きている。ちなみに、博物館の資料庫でホコリを被っている古い標本を素人はどのように見るだろうか。初めて眼にするモノを前に思わずことばを失う光景も想像できなくはないが、 ひと呼吸入れることができれば、あとは形態や表面や材質の全体を直覚し、好きだ、嫌いだという話になるのではないだろうか。もちろん、その汚さだけをもって生理的に反発する人も少なくはないのであるが。いずれであ るにせよ、次のことだけははっきりしている。すなわち、モノの見方は人様々であり、標本についても様々な角度から様々な尺度をもって見ることができるということ。 専門的な見方というのがもし仮にあったとしても、それ は様々な見方のなかの一つにすぎず、それ以上のものではあり得ない。学術的な見方が素人の即物的な見方を超えていると考えるのは専門家の語りである。もしそうなら、「学術的」な姿勢とは、なんと胡散臭く、息苦 しく貧ししものか。モノを自在に見る、その精神の豊かさを放棄してはならないのである。学術性を振りかざす専門家は往々にして片眼でしかモノを見ていない。両方の眼でモノを見る楽しさを忘れがちなのである。

以前あるところで次のような話をしたことがある。すなわち、東京大学の構内には、余所ではとうてい眼にす ることのできぬ「立派なゴミ」がうち捨てられており、それ らは大学における学問の来し方と行く末を黙示する物象である、という趣旨のことを。置き場所がないというだけで惜しげもなく捨てられる古い机、椅子、標本棚などの什器類。教育や研究の現場で用いられてきた教材、試料、材料などの学資材。実験器具や試作模型も同じ理由から、簡単に「不要」のレッテルが貼られ、ゴミの山に投げ込まれる。場合によると、学術標本がゴミの山の一角を占めることもある。研究試料や参照標本としてもはや用をなさなくなった、とい うのがその理由である。 標本に付随すべきラベルや台帳など、出自や来歴に 関するデータの失われてしまったものは、姿形がどれほど立派なものでも、また収集にどれほど時間がかか ったものでも、もはや用無しの「ゴミ」 にすぎないという認識なのである。しかし、ゴミを軽んじてはならない。 それは時代の産物であり、環境の指標であり、生活の反映だからである。ゴミにはそれを吐き出す人間の暮ら しぶりや考え方が映し出される。大学について言えば、 学部や研究所から吐き出されるゴミには、そこで営まれている研究教育の実態や、そこに働く人々の価値観が 投影されている。大袈裟な言い方をすれば、構内に野積みされるゴミは教育研究の現状を伝える「鏡」に他 ならない。

ゴミか否かを巡る議論は、ある意味で価値観の闘いでもある。人はそれぞれモノを価値づける物差しが異なっている。一方にゴミを立派なものと考える輩がいる かと思えば、他方にそれを惜しげもなく捨てる輩がいる。これは一方が勝ち、他方が負けという勝ち負けの問題ではない。あるモノを人がどう見るか、その見方の 違いに由来する問題なのである。現に、わたしのように人文学の、とくに史学系専攻に長く身を置く者は、学術 標本の存在理由を有意的データの有無でしか見ょうと しない理学系研究者の姿勢をどうにも肯じ難い。試みに、過去の歴史を扱う学問がどのようなものを視野に入れているか考えてみるがよい。人間の歴史的所産のなかで年代や来歴の定かなるモノがどれほどあろうか。たとえデータが失われていようとも、それらは間違いなくある時代の人々の生活や思考や技術を知る手がかりとなる。学術専門的に見て無用であるとの理由からゴミ扱いされる歴史的なモノすなわち「学術廃棄物」 には、それらの制作者や収集者の専門的知識、産業的技術、人間的感覚などに関する情報のすべてが刻み込 まれているからである。逸名だから、無名だからといってそれを無用物として投棄することなどあり得ないし、またけっしてあってはならない。歴史的な遺産を無用物として遺滅し去ろうとする「学術の論理」、それが教育研究の現場を陰影の乏しい平板な空間に変えつつある。

思えば、近代を先駆ける時代の知性はそうした学術至上の合目的主義のまさに対極にあった。事実、十六世紀以来西洋の王侯貴族が情熱を傾けてきた「驚異 の部屋」 (Wunderkammer) は、今日的な意味での合目的論などと無縁な世界であった。別に「珍奇物収蔵室」 (Chambre de curiosites) などとも呼ばれたそれは、建築的戸外に対して閉ざされた「器」であったが、 知性的外界に対して驚くほど聞かれた博物学的小宇宙であった。そこには優れた古代美術品も、珍しい自然産品も、いかがわしい偽造物も、およそ考え得るすべてのモノが持ち込まれた。時の流れのなかでモノに降り積もる塵や埃でさえ、それを構成するのに欠くことので きぬ要素と見なされていた。すべてを抱き込まずにはおかないという姿勢、その徹底性の強さと包容力の大きさが、コレクシヨン全体の価値を左右していたのである。 この種の「器」は、要素において多元的であり、方法において網羅的であり、意味において多義的であり、ために財的・知的源泉としてこの上なく豊かである。事実、たとえば、力バラ秘教と錬金術の擬似サイエンスを道案内 に、権力と財力にものをいわせて造り上げられたポへミ ア皇帝ルドルフ二世の「驚異の部屋」は文字通り森羅万象のミクロコスモスに他ならず、その私有化が世界掌握のメタファーとなった。また、書物の形式を借りて「驚 異の部屋」を実現したイエズス会神父アタナシウス・キルヒャーの場合には、全体宇宙を見渡す溢れんばかりの想像力と、それを成り立たせている神の摂理への洞察力を証するものと受け取られた。

そうした博物学的世界 (microcosmos) の存在、さらにはそれを言説として下支えする小宇宙論 (micro- cosmographia) を歴史の過去へ追い遣ったという意味で、近代科学の台頭には罪深いものがある。その先陣を切ったのが十八世紀の植物学者リンネであった。 彼はどのような未知種が発見されようと、つねに一定の 規則性をもって位置づけることのできる分類体系を編 み出し、以来、このシステマティクスは万物を認識し整序する普遍的な方法とされるに至った。それに続いたのは十八世紀啓蒙精神の金字塔とされる「百科全書」 である。主導者ディド口の企図は、地球上に散在する諸々の知識を集大成し、それらの見取図を与えることに あった。人聞が獲得した学術的な知識や職人的な技術をフランシス・ベーコン譲りの分類システムに則って徹底的に記述し尽くす。その目的に寄与すべく掲げられた膨大な図版は、全体から部分へ、自ずと読者の眼差しを領導するように仕組まれている。こうしたシステマティ ックな世界把握法が近代社会の到来とともに広く定着し、自然の驚異と文化の事象のあいだに分明な隔てが設けられるようになった。この分断は現時に至るまで学 術研究の世界で矢効せずに生き続けている。サイエンスを絶対視した現代人はその有効性を過信するあまり、掛け替えのないものを失った。すなわち、世界の全体をミクロコスモスとして象徴的に、寓意的に仮象する表現方法を失ったのである。

もし、この欠落を補い得る者がいるとすれば、それは美術家なのではなかろうか。サイエンスは論理的であること、実証的であることを義務づけられており、人間の知的活動としていかにも不自由である。その点でアートの世界は自由である。サイエンスと違い、アートには真理を探求するという義務もなければ、真実を語らねばならぬという強制もないからである。欧米ではサイエンスの世界へ越境を試みる美術家が最近とくに目立ち始めている。彼らが注目しているのは博物館や研究所の空間そのものであり、またそこに保存されている古い学術標本である。現代美術家がそうした科学的な遺産の利用可能性に眼を向けるのも解らなくはない。彼らにとって学術の遺産は、現代社会のなかで手つかずのままに残されている 稀有の「レディ・メイド」 ( 既製品 ) であり、インスタレーションの構成要素として恰好である。かてて加えて、学術標本は多様であり、見て面白い。ために「視る」ことを促す契機としてなまじの創作物を超えている。また、学術標本には戸籍を備えているという特性もある。その歴史的・学術的なアイデンティティはもとより普遍性概念の上に成り立つものであり、本質的にいかなる言説に対しても聞かれたものとしてある。美術家がそれらを自らの世界観の表明に用いるという方法には、まさきく逆説の面白さがある。さらに、想像の力を借りた美術家の「虚構」 のナラト口ジーと「現実」の学術標本が出会うところこ、虚実を入り交えた複合世界がたち現れる、云々。

専門性や学術性といった言葉を振りかざしはするものの想像力を喪失し、袋小路に陥りつつある今日の学術研究を間の当たりにしているわたしには、それがアートだろうがサイエンスだろうが、いかなるモノに対しても関心の赴くままに接近できる者の自由さが、真に尊いもののように思えてならないのである。

(東京大学総合研究博物館・博物館工学 / 美術史 )

 

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