浅草奥山見世物の引札(仮) 万延元年(一八六〇)
幕末頃によく行われた活人形とからくりの見世物引礼。この興行では、名花草木、虎狩りの景、宮島の景色などが記されてある。絵師は芳艶。
図78
浅草奥山見世物の引札(仮)
乍憚口状
御町中様益御機嫌能被遊御座恐悦至極に奉存候随て引続御好評に奉預候生人形
■■■■からくり殊の外御意に叶ひ大入大繁昌仕候段いかばかりか難有右御礼として何かな御慰
にも相成候義と旧冬より種々工夫いたし初春の御高覧に備んと先ハはやきを第一の■■木に先たつ
栂の魁跡へハ引ぬ英雄豪傑彼の朝鮮の虎狩ハ悉く御評判もよろしく御座候得ば是を其侭
組立置扨むらさき蕨からくり大道具大しかけの義ハ御馴染の芳三郎細工にあきぬ宮島の
景色にたこと何伯の戯れおどり田ことハ其名もいかののぼり登りかけたるマタロスすひかたく申せハ
黒坊主其場所さへも法の庭たミも高きふだらくの山のごとく初日より相替らず仰せあハされ
永当永当の御見物の程ヲ奉希上候以上
生造木偶 細工人 肥後隈 秋立平十郎
大道具
竹田かざり
細工人
竹田芳三郎
同弥吉
{袖}来ル戌の正月上旬より浅草奥山におゐて■■■■([虫喰])覧候
{奥}千秋万歳大入叶
板元■■戸町森田屋万吉
細工物興行の引札(仮)
富士山景勝と東京両国橋納涼の図が描かれたシンプルな細工物の興行引札。
図79 浅草奥山酒呑童子見世物の引札(仮)
活人形で酒呑童子(大江山)の趣向で行われた興行の引札。
図80 浅草奥山酒呑童子見世物の引札(仮)
御町中様益御機嫌能被遊御座恐悦至極奉存候附て春暖日永の折柄
あがな御なぐさみニ相成候事ども種々工夫仕候処往る申年の夏回向院境内ニ
おいて奉入候御覧候御名染籠細工人家長種次郎義当時北雲斎と改名仕
罷在候故。右の趣申入新ニ細工致し呉候様申聞候ヘバ先達て聊御意ニ叶ひ候とて
未程も無之内ニ又候拙き細工仕候段思召の程も恐入候と再三辞退仕候を常々
御贔屓被成候去御得意様より。達て御すすめ被下候ニ付。御存の四天王大江山入の
故事を事細ニ手を尽したる竹一式の籠目細工ニ仕候尤籠細工の名目の義ハ故めかしく
御座候へども今般悉く新規新工夫ニ相改め極精密なる細工ニ致させ奉入御覧候間
何卒御評判被遊御賑々敷御見物
被下置候様偏ニ奉希候以上
江戸 亀井町細工人 太夫元 北雲斎
{奥}当ル三月十五日より浅草観世音奥山ニおゐて奉入御覧候板元森屋治兵衛
浅草奥山歌舞伎見世物の引札(仮) 安政六年(一八五九)
大阪の竹田からくりの興行で、勧進帳や国姓爺などが行なわれた。この引札は、一惠斎芳幾(落合芳幾=新聞錦絵「東京日々新聞」を描いた浮世絵師)が描いている。
図81 軽業興行の引札(仮)
図82 大坂下り百面相 安政四年(一八五七)
浮世絵師西川祐信の絵本『百人女郎品定』にもとづき、様々な女性の人形も出された。人形師は竹田源吉、絵師は国鶴。
図83
大坂下り百面相
大坂下り百面相口上
御町中様益御機嫌能被遊御座恐悦至極奉存候附て此度御覧ニ入候人形の義ハ故人真守仁兵衛
丹情をこらし候遺作にして彼の西川祐信が百人女郎にもとづき上ミハやごとなき下髪粧をはじめ
下ハ婢遊女にいたり女の容をうつしそれにけしきを十寸鏡美女のよしあし形容ハ心の貴賤を眼の
中にふくむ面相取あわせ喜怒愛楽ハ云うもさらなり彼是増補なしたれバ木偶のかずいと多く百面相と
号し折から芝山寺の開扉を付込種々薩の利益を蒙りあれも様の御恵ミに二王二尊の力をそへ
善の徳もて御引立被下置栄当栄当御見物の程伏て奉希上候以上
月日大夫元
人形細工人竹田源吉
{袖}来四月上旬より本所回向院境内ニおゐて興行仕候
{奥}千龝万歳大入叶板元浅草玉楽