1847〜1901年 (弘化4年〜明治34年) 初代東京帝国大学総長。
府中善行寺町 (現、武生市相生町) に生まれる。医師渡辺静庵の長男。
府中の立教館、福井の済世館で学んだ後、18歳で江戸に出て佐倉の佐藤舜海に師事。
慶應義塾卒業後、会津で英学校を開く。
1870年 (明治3年) 24歳で外務省に入り、翌年岩倉具視らの遣欧使節に随行し、 帰国後太政官・外務省・司法省に勤務。
1885年 (明治18年) 39歳で東京府知事となり、翌年東京帝国大学の創設とともに初代総長となる。
後、オーストラリア公使、衆議院議員、貴族院議員、政友会設立委員となる。
以下は、パリ万博博覧会に出展した東京帝国大学の写真集『東京帝国大学』を 電子化したものである。
また、次の文章は『東京帝国大学』の 巻頭言を活字化したものである。
『明治33年4月仏国巴里において、万国大博覧会の挙あるに際し 東京帝国大学に於いては校舎設備の状況を撮影し 之に総長前総長及其他職員の肖像を加え以て一帖となる其出品の一とせらる 本帖即ち是なり蓋し同大学現時の状況を知るに於いて無比の好資料と云う 可し而して弊店実に之が調整の栄を荷えり依て特に大学の許可を請い 之を出版発売し広く世間同好の諸賢に頒たんとすと云爾』
明治三十三年三月 小 川 一 眞 識
爾来、百有余年の歳月を経た本郷キャンパスは、明治、大正、昭和の各時代に 建立された建物と、イチョウ、ケヤキ、ヒマラヤスギなど緑豊かな大木とに よって調和に満ちた空間を形成している。 建物は、建設された時代の様式と美意識を控えめに主張し、 震災直後に構想された全体計画は広大なキャンパスに秩序をもたらしている。 そして、建築様式の異なりを同化し、配置計画の規則性を和らげる緑陰は、 学習と研究にいそしむ者たちに憩いのひとときを与えるだけでなく、 周辺市民にやすらぎの場を提供している。
研究、教育の発展充実を望む多くの人々の努力によって育まれた 本郷キャンパスは、過去の蓄積を認識させ、それゆえに現代を意識させ、 未来を展望させる空間といえよう。 学問の伝統を、学問の可能性に結び付ける空間、それが大学キャンパスである。 その連結の力が常に更新増大されんことを願って本展は企画された。
以下は、東京大学総合研究博物館の前身である総合研究資料館が 1988年に発行した『東京大学本郷キャンパスの百年』中に含まれる図版を 電子化したものである。
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