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第三部

建築のアヴァンギャルド


藤井恵介(大学院工学系研究科 助教授)

第三部は「建築のアヴァンギャルド」と題して、キャンパスの過去を振り返り、さらにそれを舞台として企画された今回の特別展示のデザインを紹介する。 そもそも、本郷キャンパスは、明治初年以来、東京大学の敷地として数多くの建築・教育施設が建てられてきた。それは間違いなく、重厚な、安定した日本有数のキャンパスとして理解されよう。歴史の重層したキャンパスは、多くの知的生産活動の舞台となったわけで、それ自体が自立した歴史を物語る恰好の素材たりえよう。キャンパスの内部に多くの建築が誕生し、それが毀れ、また新しい建築が誕生する、といった様々な道程の結果、現在のキャンパスが存在していることは確かであって、その歴史を再認識することは、今までの知の在り方をもう一度確認し、再点検する絶好の機会でもある。あるいはうかつにも忘却してしまった重要な課題を再発見する旅でもある。 今回の特別展示は、本郷キャンパス内の幾つかの施設を会場として実施されることになった。従って、展示が一つの建築内部で完結することがなく、大学キャンパス全体を展示空間として再構成しなおす、すなわち「知の祝祭空間」として捉え直す必要が生じた。東京大学の百二十年を越える長い歴史を振り返っても、いままで、この様な企画は実施されたことがなかったと思われる。そのためには、拠点となる幾つかの建築の内外と、それらを連結する街路が新しくデザインされる必要がおきた。むろん、建築は厳然としてそこに存在しているわけで、それが新しく設計されなおすわけではない。存在する建築と街路を展示空間として企画する、すなわち現存する建築群を祝祭空間とするための、仕掛けが必要となったのである。

それに精力的に関わったのは本総合研究博物館のセルジオ・カラトローニ客員教授であった。カラトローニ教授は専門家として、建築、インテリア・デザイン、インダストリアル・デザインに関わる感性の総力をあげて、その設計に没頭した。建築の内部・外部の展示デザイン、建築外部のサイン、街路の仕掛け、各所の案内塔などはその成果である。ポスターに使用された銀杏の葉をあしらう基本デザインもカラトローニ教授の仕事である。この一連の仕事は、実際にキャンパスで実施されている展示をご覧になれば、一目瞭然であるが、大講堂内部では、「安田講堂展示設計」、「サイエンス・スペクトリウム」、「煉瓦倉庫」の展示設計のプロセスを示すスケッチ群を展示した。また、建築外部に設けられた「表示塔」、主要な街路と安田講堂などのライトアップも、この企画の一部である。

次に、過去と現在の東京大学の環境を構成している大学建築群の歴史も、第三部のもう一つの主要なテーマである。まず、東京大学の誕生から現在までキャンパスの変遷を一望できるように試みた。キャンパスの歴史は大正十二年(一九二三)の関東大震災の前後で大きく分けることができる。大震災以後に内田祥三教授によって再建された建築群は、ほとんどが現存し、大規模なキャンパスのグランドデザインとなっている。一方、大震災以前の建築群を知ろうとする時、現存する幾つかの例を除けば、僅かな写真を頼りにせざるを得ない。しかし、幸いなことに明治三〇年代以降に建設された建築に関しては、施設部に設計図が保管されているものがある。これらを素材に、関東大震災で失われた建築群のうち、各学部を代表する個性的な建築を木造模型で復元した。ルネッサンス以来の模型制作の伝統をもつイタリア、ミラノのサッキ工房によって制作された。復元された建築は「医科大学法医学教室」(明治三二年)、「工科大学造船造兵学教室」(明治三七年)、「理科大学動物地質鉱物学教室」(明治四〇年)、「史料編纂所」(大正二年)である。同時に、これらの復元に用いた施設部所蔵の図面を展示し、さらに多くの図面を超高精密ディスプレイによるデジタル画像で表示した。これは今後、建築設計図面をデジタル化して保存する際の実験的な試みでもある。プロジェクト「キャンパス——過去・現在・未来」では本郷キャンパスの百二十年の変遷を、コンピューター画面でたどれるように、古いキャンパス図をベースに画像処理を施した。キャンパスの建築群がどのように出来上がって行ったのか、学部ごとの校舎群がどの様に変って行ったのか、関東大震災の被害とその復興の経過など、操作によって多様な選択が出来る。同時にキャンパスの古い写真が重なって浮かび上がるように設計されている。

東京帝国大学法科大学講義室(模型)
理科大学動物地質学教室(模型)



東京帝国大学法医学教室

東京帝国大学工科大学造船造兵学教室

理科大学動物地質学教室

旧東京医学校本館

東京帝国大学法科大学講義室

安田家寄付東京帝国大学大講堂