[第二部 コンテンツ]
薬学
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薬用ニンジン図(本草図譜、岩崎常正) |
薬の始まり
アフリカ大陸に棲むチンパンジーの中には、その含まれる成分や味などからとうてい食物とは考えられない植物を元気のない個体が好んで口にし、他の食物をとらずに安静にしているものが観察されるという。その植物の成分を分析してみると、抗菌作用を示す化合物が検出され、「チンパンジーがある植物を自分の体の不調を癒すための薬と認識している。」ということが示唆されている。
人類にも、同様のことが有史以前から起こっており、最初は試しに食べてみたり(疲れているときに酸っぱいものを要求するように)、それを見ていた個体が学習してまねるということが繰り返されていったと考えられる。一方、毒草を食べた個体が苦しんで死んでいったことも同様に語り継がれたに違いない。このようにして、壮大な人体実験が長期間行われ淘汰されて残ってきたものが、現在生薬として定着している薬と考えることが出来る。
神農本草経 中国最古の本草書
後漢の時代(25〜220)には、生薬に関する知識の集大成ともいえる神農本草経がまとめられた。本書には365種の生薬が収載されており、上薬、中薬、下薬の3群に分類されている。上薬120種は「君であり、生命を養うを主とする。天に応じ、無毒、多服久服しても人を傷わない。身を軽くし、体力を益す、不老長生の薬」と規定され、今日の保健薬の概念にあたる。中薬120種は「臣であり、性を養うを主とし、人に応じて無毒と有毒があり、適宜配合し、病を防ぎ、体力を養う」とされ、今日の強壮・予防薬といえるであろう。下薬125種は「佐使であり、病を治すを主とし、毒性も強いので、長期の連用はつつしむべし」と規定され、治病薬というべき薬物に当たる。この神農本草経は、後世の本草書すべてに影響を与え、本草書の祖本ともいうべきものである。
日本の薬学(有機化学)は生薬の成分研究から始まった
本学薬学科薬化学講座初代教授長井長義は、ドイツから帰国後、マオウからephedrineの単離に成功(1887)し、後にその構造決定、合成をともに完成し、日本の有機化学・天然物化学の幕を開いた。その後、日本の生薬学研究は生薬・薬用植物の有効成分の単離・構造決定という天然物化学を志向した有機化学研究の基礎を築いた。
総合研究博物館薬学部門
薬学部門では、これまで本学薬学部で研究対象とされてきた生薬をはじめとして1万5000種の生薬標本とそれらの原植物の錯葉標本3万種が保存されている。
今回のデジタルミュージアム展ではもっとも有名で高価な生薬である薬用ニンジンを取り上げ、その生産から利用までを紹介したい。
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薬用ニンジン野生品標本(中国、吉林省) |
生薬とは
植物、動物、鉱物など天然物に由来する薬用材料を、新鮮なものをそのまま、あるいは乾燥したり、抽出や蒸留などの簡単な操作を加えて、直接医療に供したり、または医薬品原料に供するもの。
生薬は植物基原のものが多い
生薬は、その基原により植物生薬、動物生薬、鉱物生薬に分類されるが、植物生薬が数の上では大部分を占める。
また、その発祥により漢薬、和薬、西洋生薬に分類される。漢薬は中国から伝来した薬物で、種類が多い。和薬は漢方薬に配合されない我が国独自の生薬で、センブリ、ゲンノショウコなど古くから民間で使われてきた。西洋生薬は、ジギタリス、ゲンチアナ、センナなど文字どおり西欧から我が国に導入されたものである。
生薬標本、錯葉標本
山で美しい花を見つけたとき、その植物の名前はどのようにして知ったらよいのだろうか。現在ではカラー写真の植物図鑑があるので、それで調べるのが簡単に思える。しかし、実際の植物の種類は多く図鑑ではカバーしきれない面も多い。その場合、すで同定済みの錯葉標本と細かい特徴を比較してその種類を同定することになる。同様に、生薬についても植物を加工したものであるので錯葉標本と同様に生薬標本と直接比較する必要がある。また、同一の生薬でも産地、品種により差があるので、生薬研究者だけでなく、薬学を学ぶ人、生薬の流通に携わる人たちは、なるだけ多くの標本に触れる必要がある。
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薬用ニンジン(5年生根) |
薬用ニンジン(朝鮮人参)
薬用ニンジンは神農本草経の上薬に分類され、古来からもっとも珍重された生薬である。強壮、強心、健胃補精、鎮静薬として広く賞用され、多くの処方に用いられている。基原植物はウコギ科(Araliaceae)のオタネニンジン(Panax ginseng C. A. Meyer)で、長野、福島、島根の各県と、韓国、北朝鮮、中国などで生産されている。日本では、国内生産量の約10倍を輸入しており、価格的にも高価な生薬である。
その成分については、主としてprotopanaxadiolと-triolをアグリコンとする配糖体が単離されているが、微量成分が現在も続々と発見されている。
バイオテクノロジーによる生薬の生産
薬用ニンジンが高価なのは、畑で栽培し生薬として出荷するのに最低5〜6年かかり、連作を嫌うのでその畑では以後十数年間ニンジンを作れないためである。近年、植物組織培養技術が進展し、そのひとつのターゲットとして薬用ニンジンが選ばれた。現在では200トンタンクでの培養に成功している。この培養ニンジンは医薬品としてのニンジンと較べると、成分、薬理効果という面では同等性が認められるが、形が異なることから、現在医薬品としては認可されておらず、健康食品、健康ドリンクとして商品化され、販売されている。
新しい医薬資源を求めて
近年、抗生物質や生物製剤の割合が増えてきてはいるが、植物由来の医薬品の重要性が減るものではなく、新たな抗腫瘍医薬品としてイチイ属植物からのタキソールやニチニチソウからのビンクリスチン、ビンブラスチンなどが発見されている。このように、薬用資源としての植物の研究はすでに完結したものではなく、未だ発展途上である。世界的に見れば従前からの遺伝子資源の奪い合いは許されなくなり、資源を持つ国との国際協力が必要になっている。
(海老塚 豊)
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