東京大学の海外学術調査隊がイタリアのナポリ近郊ソンマ・ヴェスヴィアーナ市のローマ時代遺跡「アウグストゥスの別荘」(通称)で、ローマ時代の「ディオニュソス」と「ペプロフォロス」の彫刻二体その他の古代ローマの遺物を発掘したことは、時代を画する大きなニュースとして世界各地に伝えられています。
本展は、上記の彫刻二体が、愛知万博に出品するため、イタリア政府の特別の計らいで国内に招来されている機会を利して、ソンマでの東大調査隊の発掘成果の一端を学内外に広く紹介しようとするものです。
二体の彫刻を東京一円において一般に公開するのは、もちろん初めてのことであり、また、きわめて貴重な古代遺産であり、今後二度とイタリア国外へ貸し出しされる可能性がないと考えられることから、大学博物館で特別展示を行う意義は充分にあると考えられます。
学内での研究成果を社会一般に向けて公開することは、まさに総合研究博物館の使命そのものでもあり、東京大学全体にとっても意義深い展覧会になるに違いありません。
organizzato da: The University Museum, The University of Tokyo
sotto il patroncino di: Ministero Italiano per i Beni e le Attivit Culturali/ Soprintendenza per i Beni Archeologici delle province di Napoli e Caserta/ Istituto Italiano di Cultura di Tokyo
in collaborazione con: Japan Association for the 2005 World Exposition/ Maeda Corporation/ Center for Evolving Humanities at Graduate School of Humanities and Sociology, The University of Tokyo
Si ringrazia, inoltre, l'Ambasciata d'Italia, Tokyo e l'Istituto Giapponese di Cultura in Roma che hanno collaborato alla realizzazione della mostra.
2003年9月8日,午後4時をすこし過ぎた頃にローマ時代の大理石製彫像(ペプロフォロス)は約2000年の時を過ぎて,南イタリアのまばゆい陽の光を再び浴びることとなった。現場にいた誰もが,彫像と出会う瞬間を経験するであろうとは ? 彫像というものは,美術館・博物館で鑑賞するものであって,発掘現場から,ましてやローマ時代に彫像が置かれていた「その場」から出土するとは ? その一瞬まで思っていなかった。
アントニオとチーロの作業員2人と壁龕の前の掘削に取りかかった時,削岩機によって崩れ落ちた土のむこうに,白く輝くものが見えた。土石流の土に包まれている中で,その白いものは一種異様な光を放ち,私たちの注目を集めた。しかし,まだこのときは,それが彫像の一部であるとは誰しも思わなかった。
即座に掘削を中止し,刷毛でその白いものを掃いてみると,なんだか「渦」がまいている。「これは,もしかして?」と思うものの,半信半疑の状態であった。「彫像ならばいいな」と思う気持ちと,「違うかもしれないな」と言う気持ちが交錯している。
小さな撥に道具を持ち替えて慎重に掘り進めてみると,その「渦」が彫像の頭部の髪であるとわかることに,そう時間は要らなかった。ローマ時代の彫像があらわれた瞬間であった。彫像が出てくれたらという希望が現実となって目の前に現れた瞬間であり,全身身震いのする感動の瞬間でもあった。
雲がかかっていた上空も薄暗くなり始め,いまにも陽がくれようとしている中で,その日の彫像の取り出しはあきらめて,翌日への持ち越しとなった。その日の夕飯時は,もっぱら彫像の話でもちきりとなった。
9月9日。朝から眩しいくらいの青空のもと,調査が始まった。道具を撥と刷毛に持ち替えて,慎重に掘り進めていく。まず,頭の周りから土を取りほぐしながらすすめると,鼻の一部を欠くものの,ほぼ完全な形で顔が残っている。順々に胸部・腰部・脚部へと掘り進める。途中,写真撮影や覆っていた土層の観察などを行いながら,調査は進んでいく。午後2時を過ぎると,ペプロフォロスの全身が見えてきて,鼻と右腕の一部を欠くものの,その容姿は可憐なるものであった。土がこびりつく頬に触れると,まだ冷たい白い大理石の中からぬくもりを感じた。
ペプロフォロスが出土してからおよそ1ケ月後の10月3日。現在の地表面から7m積もる土石流の掘削も終わりに近づき,ローマ時代のモザイク仕上げの床面まであとすこしとなったころ,2体目の彫像が姿を現した。後にディオニュソスと判る男性像の胴部から膝部にかけてであった。胸部や大腿部の筋肉などあまりにも写実的に作られているこの彫像は,欠けている部分が多いだけに,本来の姿に対して,想像をふくらませた。
そして,10月6日,この彫像が判明した。彫像の頭部が出土したのである。ディオニュソスの象徴であるきれいな葡萄が丹念に彫り込まれた頭部は,横向きに倒れて出土した。その数日後には頚部が出土し,白い大理石製の彫像は膝部から頭部までつながり,かつての優美さを取り戻すことができた。その後,この彫像には,1934年および1935年の発掘調査時に出土した肩部と脚部が接合することが判明し,その美しさに磨きをかけることとなった。
年が変わり,2004年。調査の中盤を迎えた9月22日,ディオニュソス像の更なる発見の時が訪れた。いつものように削岩機でコンクリートのように硬い土石流層を掘り進めていると,作業員のアントニオがまたしても,白いかたまりにぶつかった。残念ながらほんの一部分を破損してしまったものの,ほぼ完全な形の左肩部分の出土である。そして,その数時間後,小さな豹の頭部をまたしても彼が見つけた。夕刻,収蔵庫でこびりつく土を取り払っていると,肩部と豹が接合することが判明し,一同歓喜の声に沸いた。こうしてソンマ・ベスビアーナのディオニュソス像は,豹を抱えながら振り向く姿へと戻っていった。