広島6景

4.広島の橋 〜水の都の最適な試料〜

(元安橋:現・中区大手町、中島町・・・爆心から約150mなど)




 11日。爆心地の島病院から、最も近い橋、元安橋を調査する。欄干の花崗岩に表面の剥離が見られる。元安橋とわかるように写真を撮る。大理石は変化が少ない。上面が全く変化していない(?)。東北方向の隅では、花崗岩の構成鉱物である黒雲母が、多少溶融している。

——「元安橋 ランカン granite ハジケアリ」「photo H4」「marble 変化少ナシ 上面ガ全ク変化ス」「biot. 多少meltス 東北隅」

 渡辺の被爆調査をたどる旅をしていると、常に川を身近に感じる。そして、1時間に何回かは橋を渡ることになる。

 広島は太田川の三角州に作られた町であるために、昔から、そして今でも多くの橋が存在する。それらの橋は爆心からの方向も距離も様々な場所にあり、水の都・広島の最適な被爆試料として、渡辺はその多くを調査対象とした。たとえば、栄橋、京橋、相生橋、元安橋、本川橋、万代橋、明治橋、猿猴橋、三篠橋、横川橋などである。三篠橋と横川橋は、翌年5月に広島に再度立ち寄ったときに調査している。

 それぞれの橋について、爆心からの方向と距離、渡辺の記述について列記してみる。

◆栄橋(爆心から北77度東、1450m)「人造石 granite石柱 変化ナシ」
◆京橋(爆心から北85度東、1350m)「瓦、石柱 変化ナシ」
◆相生橋(爆心から北35度西、200m)「相生橋上shadow西側、半カゲN22W、本カゲN25W」
◆元安橋(爆心から南40度西、150m)「ランカン granite ハジケアリ」「photo H4」「marble 変化少ナシ 上面ガ全ク変化ス」「biot. 多少meltス 東北隅」
◆本川橋(爆心から南55度西、400m)「gr. ワレアト著シ」「人造石ノ表面 粗面トナル」
◆万代橋(爆心から南25度西、950m)「photo 手スリノ蔭 方向N30°E 角度34°」
◆明治橋(爆心から南23度西、1150m)「graniteノ表面 多少孔アキ限界カ」
◆猿猴橋(爆心から南88度東、1800m)「徳山石 変化ナシ」
◆三篠橋(爆心から北5度東、1420m)「コノ下 exfoliation著シクヨゴレタ面、一部ニ exfoliation アラハル」
◆横川橋(爆心から北25度西、1270m)「柱 北側二本 河向キノ面ヨゴレタ部分」

親柱がそのまま使われている現在の元安橋

 graniteやgr.とあるのは花崗岩のことで、徳山石とは山口県徳山産が多く使われている。また、元安橋の説明にあるmarbleとは大理石、biot.(=biotite)とは黒雲母を表している。Exfoliationとは剥離のことで、石の表面がそがれて落ちていることを示している。

 上記のように、川幅が広い広島では、多くの橋は周囲の建造物に遮蔽されることなく、爆発に伴う熱線に晒された。しかも広島の橋の多くは花崗岩という同じ材質で造られていたので、熱線の影響を比較するには絶好な試料となった。

 これらの橋の中でも、橋の両側の飾り灯籠の笠石が右側は右、左側は左にずれたことから、原爆投下後、早い時期から爆心はこの橋の延長線上にあると推定された元安橋では、地学班としての大発見があった。元安橋から採集した花崗岩の岩石薄片を作成し、顕微鏡観察した渡辺は、花崗岩を構成する鉱物である黒雲母が熔融していることを発見したのである。黒雲母の熔融温度は約900度であるので、元安橋近辺は900度以上の熱を受けていることがわかった。また万代橋では、熱線による手すりの陰が路面(アスファルト)に明瞭に観測され、その影の来た方向を測定することで爆心の位置を推定した。

 この他にも、直接名前は出てこないが、己斐から市内に入るときには己斐橋、天満橋を経由したと思われる。




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