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ライデン大学植物学博物館

 
 

秋山忍


 パリの国立自然史博物館は1653年に創設されているが,世界の主要な植物標本館や植物学博物館が設立されるのはそれよりずっと後のことである.有名な大英博物館自然史部門でさえ1753年であり,コペンハーゲンの植物学博物館は1759年,ケンブリッジ大学は1761年,ウプサラ大学は1785年,ベルリンのダーレム植物園博物館はさらに遅れて1815年,そして今では世界最大規模の植物標本を収蔵する王立キュー植物園標本室は1853年になってやっと設立されている.
 今日のオランダ国立植物学博物館ライデン大学支部の歴史を駆け足で追ってみることにしよう.


 
ライデン大学植物標本室
 ライデン大学はその当時Leidsche Hoogeschoolと呼ばれていて,植物園の建物の一室にHerbarium Academicum Lugdunumという名の植物標本室があった.それが誕生した時期ははっきりしないが,一説によれば1575年頃だという.いずれにしてもかなり古い歴史を有している.その中には,何冊かの本草学時代の古いおし葉標本帳,現在は他の標本と一緒に一般標本室に収蔵されているファン・ロイエン(Van Royen),さらにヘルマン(Paul Hermann)の標本集があった.しかし今日のライデン大学の植物学博物館はこの大学自身の標本室が単独で拡大したものではない.
 ライデンの植物学博物館が今日の重要性をもつに至った過程に,1830年にオランダ王立植物標本館がブリュッセルからここに移され,1832年に両者の合併が公に決まったことがあるのを見逃してはならない.ライデン大学の植物標本室が王立植物標本室Rijksherbariumという名称をもつことの経緯もこの合併の歴史によるものなのである.


オランダ国立植物学博物館ライデン大学分館
1998年に新築されたオランダ国立植物学博物館ライデン大学分館.
オランダ王立植物標本館  
 この王立植物標本館は1825年3月31日に国王の命令によって当時のオランダの首都ブリュッセルに設立されたものである.このとき定められた王立標本館の利用規定は,館は十分な監督下に植物学を専攻する学生に対して開放されねばならないと規定している.実際に植物学の教授と教授の推薦のある学生の標本利用を認め,植物学の教授は研究のため一定期間,受領書と引き換えに標本を借りることができた.今日の標本館や博物館に近い利用形態がすでにこの時代からとられていたことは注目される.
 しかし,実際の合併が終了したのは1871年になってである.このように合併に時間がかかったのはユンフン(F.W.Junghuhn)ら一部のスタッフが彼らの標本が館長ブリューム(C. L. von Blume)の監督下におかれることを望まなかったためである.

 その館長ブリュームは1862年に亡くなり,ミクエル(F.A.W.Miquel)が後を継いだ.1872年になってオランダ植物学会(Botanische Vereeniging)の植物標本コレクションがライデンに保管されることになった.館長ミクエルがブーズ(L.H.Buse)に申し出てから9年後にやっと実現したといわれている.こうしたことが契機となり,オランダ菌類学会などの公的機関や個人からの標本の寄贈が行われるようになった.こうした寄贈標本に加え,スタッフや政府の研究機関の関係者より収集された標本,他の標本館や個人コレクションの所有者との交換によってえた標本,個人コレクションや自然史探検家から購入した標本が加わり,ミクエル館長の時代にライデンの標本館はその収蔵標本数でも世界有数の規模に達するまでになっていた.


 
オランダ国立植物学博物館ライデン大学分館  
 ライデンが収蔵する標本の中でもとくに重要なものはオランダの東インド会社や旧植民地で収集された標本である.その中には,東インド会社が経営に関わった,今日植物学上マレーシアと呼ばれる,ニューギニアから西ヘスマトラ,ジャワに至る熱帯アジアの島嶼地域やマレー半島,フィリピンの植物のコレクション,シーボルトに代表される日本の植物コレクションが含まれる.こうした標本を基盤としてライデンでは今日に至るまで熱帯アジアの植物,とくにマレーシア地域の植物の多様性,分類などについての国際的センターとしての役割を果たしている.

 1999年にオランダの3大学の植物標本館,つまりワーゲニンゲン農業大学の植物標本館(Herbarium Vadense),ユトレヒト大学植物標本館,そしてライデン大学の王立植物標本室の3つの植物標本館は合併し,オランダ国立植物学博物館(Nationaal Herbarium Nederland)を形成することになった.ただし,合併により,全コレクションを一ヶ所に集中するのではなく,従来通り3つの大学に分散して収蔵と利用を図るのである.これらの3植物標本館は,それぞれ現在の専門分野を維持し続ける.また,ライデンはアジアとヨーロッパの植物標本,ワーゲニンゲンは熱帯アフリカの植物標本,ユトレヒトは新熱帯の植物標本を収集・収蔵する.それぞれの大学での植物分類学関係の講義・教育活動は続けられるが,研究活動と標本管理ではいろいろな面では統合されることになった.大学からそれぞれの分館への資金供給はなくなるが,オランダ国立植物学博物館として政府から補助金を受けることになった.これは,主にコレクションの科学的な管理,熱帯諸国からの学生のための分類学的教育・訓練,ヨーロッパの共同研究に向けた研究を対象としたものである.

 この新しい状況に対処すべく研究グループが再構成された.ライデンでは,2つの研究グループができた.それは,1)東南アジアの維管束植物(以前の熱帯グループとシダ学と花粉学の統合)と2)ヨーロッパの隠花植物と顕花植物(以前の隠花植物研究グループとオランダ植物相研究グループの統合),という2グループである.マレーシア地域の植物相研究は,ルース(M,C.Roos)博士の指導のもとの第一の研究グループの中核となり継続することになった.両グループとも,ワーゲニンゲン分館とユトレヒト分館同様に,系統学,系統生物地理学,バイオシステマティックスの研究プログラムの中に分子分類学を含めることになる.

 上記の合併はライデンの王立植物標本館の予算の大幅な削減案に対して,前向きの回答として取られた改革であったとみることができる.削減案の提案直後から将来に対してしばらく不確実な状況にあったオランダの植物分類学は,再び将来に持続可能な前途を手にしたのである.状況を的確に判断し,適切な措置を講じることができたのは,新しい機構の館長であり,ライデン大学分館長でもあるバース(Pieter Baas)教授の指導力に負うところが大きい.分館となった今,ライデンはユトレヒトとともに,とても良好な状況にある.オランダで最近実施された全大学の生物学科の国際的な外部評価は,ライデンにおける最近5年間での研究は,質,生産性,実用性,将来の可能性に対して優秀であると評価している.

 世界でも指折りの高い植物の種多様性を有するマレーシア地域の植物誌である,『マレーシア植物誌』(Flora Malesiana)を完成するためにライデン大学分館は多大の努力を払ってきた.今後ともこの事業は継続されることになったのは喜ばしい.また,今回のシーボルト標本の東京大学への一部分与などもライデンが進めてきた国際的な協力関係の推進の一環と理解することができる.オランダと日本の植物学での良好な協力関係がこれを契機に一層進むことに期待したい.

教職員食堂
博物館内の教職員食堂.博物館の建物は法学部との共用で,食堂はいつも学生でにぎわっている.

おし葉標本室
博物館内のおし葉標本室.ここでは世界の多くの標本室と異なり,おし葉標本はキャビネット(標本箱)ではなく,小型の衣料箱程度の大きさのケースに収納され,分類体系に従って棚に配架されている.


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