付録 〜本郷キャンパス史跡マップ〜




図2 本郷キャンパス史跡マップ


大学構内およびそれに近接して残る江戸の痕跡、石碑および前田家ゆかりの構築物をあげた。石碑の名称については『学内広報』90(1970年)を参考にした。


朱舜水先生終焉の地の碑 朱舜水(1600-82)は明末の義士。儒者として水戸藩に迎えられ水戸学に影響を与えた。

加賀落・水戸藩地境の石垣 弥生門周辺のみに当時の石垣が残る。

蛇塚 藩邸時代に不義の奥女中を蛇を用いて折檻したとの言い伝えがある。

育徳園心字池 加賀藩本郷邸の庭。高低差が大きい山と池によって、深山幽谷が作り出されていた,廻遊しながら景色の移り変わりを楽しむことができた。(U)

山上会館脇石垣 山上会館建設にともない発掘された石垣を移築したもの。江戸初期。絵図には記載がない。石材採掘時のノミ跡と刻印が残り、刻印は金沢城のそれと共通するものがある。

育徳園丘上の碑 「江戸城之北富山太守藩邸…天保6年…」との碑文が刻まれる。

大聖寺藩江戸上屋敷址の碑 大聖寺藩上屋敷にあたる医学部附属病院地点の発掘が契機となって1998年1月にたてられた。碑には大聖寺藩ゆかりの九谷焼の皿が埋め込まれている。

赤門 十三代藩主前田斉泰の正室、溶姫の御殿として1825年に建造された御住居の一部。その防火にあたったのが有名な加賀鳶。(U)

旧前田侯爵邸西洋館の基礎 総合研究博物館増築時に出土したものを移築。明治40(1907)年に建立されたもの。

加賀藩石垣 無縁坂沿いの塀。

井戸 東御長屋の前にあった井戸。18世紀中葉の絵図にも記載されている。この井戸は、参勤交代によって江戸に在住した勤番武士が暮らす長屋、即ち詰人空間で現存する唯一の構造物。

東御長屋石垣 現在のコンクリート壁の基礎部分が当時のもの。石垣の下部に長屋の下水排水口が残る。

懐徳館庭園 前田侯爵邸の庭。現在の和館は戦後の建物であるが、庭園は明治期の姿をとどめている。(U)
高崎屋 宝暦年間(1754-64)から続く酒屋・両替商。「タカサキヤ」の文字を刻んだ徳利がキャンパス内の遺跡からも出土している。
追分一里塚 追分(おいわけ)とは本郷通が岩槻街道と中山道に分岐する地点。中山道の起点日本橋から一里の距離にある。
富山藩の土手 この土手の上に富山藩の御殿があり、下方に詰人空間があったとされる。



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