III エトルリアの納骨容器と青銅鏡


エトルリアの納骨容器を日本の美術館やコレクションで見かけることは非常に稀である。素材はアラバスター、トラヴァージャン、石灰岩、凝灰岩あるいはテラコッタと多様であるが、特にヘレニズム期(前4世紀末から前1世紀初頭にかけて)に、ヴォルテッラ、ペルージャ、キウジなどを中心にエトルリア北部と北西部で需要が高まり普及した。遺灰を収める本体は神話の情景などのレリーフで装飾されることが多く、また蓋には時には銘文で名前も記された被葬者の横臥像が彫刻されることが多かった。


30  納骨容器(未公表):      Fig.89−90
蓋は葉綱とオンファロス型の皿(真ん中に臍のような突起がある)をもつ男性被葬者の横臥像であるが、これはヘレニズム期特有の”オベースス・エトルスクス(太って裕福なエトルリア人)”の類型である。前面縁部には非常に風化したエトルリア語の銘文が右から左へ刻まれている。本体の前面のみ浮彫り装飾され、恐らくアマゾノマキア(アマゾンとギリシア人の戦い)と解釈される3人物像による戦闘の場面が表わされている。左からおそいかかるのは特色ある衣装を着けたアマゾンであり、右から攻める騎手と戦死者は裸のギリシア人である。
前2世紀;アラバスタ−製;恐らくヴォルテッラないしその周辺地域出土;蓋:長さ66cm;幅30cm;高さ36cm;本体:長さ58cm;幅29cm;高さ39cm;神奈川個人蔵

Fig.89 アラバスタ−製納骨容器:前面
Alabasterurne:Vorderseite


Fig.90 アラバスター製納骨容器:蓋部−男性像
Portrait der mannlichen
Deckelfigur im Profil



31  納骨容器(未公表):      Fig.91−92
非常に風化した男性被葬者の横臥像は、“オベースス・エトルスクス”の類型でオンファロス型の皿を手にする。本体前面はアイオリス式柱頭の角柱で枠取りされており、前面および両側面にレリーフ装飾が施されている。前面には、右腕を上げ下半身が2本の魚の尾をかたちどるエトルリア・タイプの有翼の女怪スキュッラが表わされているが、ここでは神話的コンテクストなしの表現である。このモチーフはヘレニズム期のエトルリアでは広く普及していたもので冥界を強く象徴している。両側面にはそれぞれ花弁4枚の大型ロゼッタ文が見られる。
前2世紀;石灰岩製(赤色と金色の僅かな彩色痕);蓋:長さ58cm;幅32cm;高さ40cm;本体:長さ55cm;幅24cm;高さ38cm;神奈川個人蔵

Fig.91 石灰岩製納骨容器:前面
Kalksteinurne:Vorderseite


Fig.92 石灰岩製納骨容器:側面
Kalksteinurne:Schmalseite



32  納骨容器(未公表):      Fig.93
元来は蓋と本体はそれぞれ別の納骨容器に属していたと見られる。キトンとヒュマティオンをまとい頸飾りを付けた女性横臥像は、右手にもはや判別出来ない象徴付随物を持つ。本体は前面のみが、上部と下部の縁どりされた4人物像によるケンタウロマキア(ラピタイ人とケンタウロスの戦い)のレリーフで装飾されているが、中央の岩塊を投げようとするケンタウロスへ向けて3人のラピタイ戦士がおそいかかる場面である。
前2世紀;石灰岩製;蓋:長さ59cm;幅25cm;高さ42cm;本体:長さ58cm;幅28cm;高さ40cm;神奈川個人蔵

Fig.93 石灰岩製納骨容器:前面
Kalksteinurne:Vorderseite



33  納骨容器(未公表):      Fig.94    Pl.27−28
女性横臥像の頭部、肩部、また特に二重のクッションには強い赤色、燈色の彩色痕が残る。蓋の前面縁部には被葬者の名前−Fasti(Vu)tsinei−が右から左へ赤色で記されている。本体前部には、ヘレニズム期のエトルリアで普及していたエヒェトロス神話がレリーフ型を用いて浮彫りされている。このようなもと型を用いて量産されたテラコッタ製の小型納骨容器は本来鮮やかに彩色されており、ヘレニズム後期のキウジとその周辺地域に特有な製品であった。
前2世紀;テラコッタ製;キウジあるいはその周辺地域出土;蓋:長さ40cm;幅19.5cm;高さ15cm;本体:長さ37cm;幅17cm;高さ21cm:神奈川個人蔵
参考文献:M.Sannibale,Le urne cinerarie di etaellenistica.Monumenti Musei e Gallerie Pontificie.Museo Gregoriano Etrusco cat.3(Roma1994)p.124f.,n.628,No.26.

Fig.94 テラコッタ製納骨容器:前面
Terrakottaurne:Vorderseite



34  納骨容器蓋部:      Fig.95
布にくるまり寝台に横たわる男性像であるが、一部に彩色痕が見られる。
前2−前1世紀;テラコッタ製;キウジあるいはその周辺地域出土;長さ46.3cm;古代地中海美術館蔵(カタログn.71)

Fig.95 テラコッタ製納骨容器蓋部
Terrakottaurnendeckel



エトルリアでは、しばしば神話の情景などの線刻装飾が施され、時には碑銘も刻まれた青銅鏡が、アルカイック後期からヘレニズム期にいたるまで広く普及していた。エトルリア青銅鏡の多くは、恐らくは裕福なエトルリア婦人の生存中に実際に使用された後、副葬品として主に女性の墓に収められた。日本の博物館やコレクションでは現在までに少数例が記録されるものの、質的には凡庸な例証がほとんどである。その中で群をぬいて興味深い1例を次に紹介する。


35  エトルリア線刻装飾青銅鏡:      Fig.96
この比較的保存状態の良好な鏡の周縁部には、ロータスの花と蕾のフリーズが巡らされている。波頭文フリーズの上にひとりの裸の青年とひとりの着衣の女性が格闘する情景が線刻されているが、女性の衣服からのぞくペロペロ舌を出す蛇は、彼女の神性を暗示している。この情景は疑いもな2くギリシア神話の女神テーテイスと彼女を自分の妻にと切望するペレウスの戦いである。画像のまだアルカイックを誇張した様式と碑銘の文字のかたちから見て、鏡の年代はアルカイック後期つまり前5世紀初頭と評価されることから、この碑銘はエトルリア青銅鏡に刻まれた最も古い銘文のひとつに数えられる。碑銘に上記の神話の人物ふたりの名前は見られず、鏡の所有者の名前(Larthi Acavis Purtie)が刻まれている。この鏡は今日までほとんど未公表に近い状態にあり、エトルリア青銅鏡の代表的研究家N.de Grummond教授など国際的にも関心が寄せられている。
前5世紀初頭;恐らくエトルリアの墓からの出土;全長23.7cm;最大径15.7cm;古代地中海美術館蔵(カタログn.73)

Fig.96 エトルリア青銅鏡
Bronzespiegel