I エトルリア葬祭絵画のファクシミリ(複製画)、透写図、
  線描画および水彩画、またそれらと関連の深い古書

(在ローマ、ドイツ考古学研究所図書館古文書資料室蔵)

9  キウジ、猿の墓:      Fig.58−63    Pl.11-16

ジュゼッペ・アンジェレッリによる主室の絵画の縮尺水彩模写4点(各54×42cm;1:5)および1翼室の平面図と縦断面図、また建築デッサンと絵画の水彩模写2点(各42×54cm)である(1846)。この、キウジの最も有名な墓は1846年1月に発見されたが、同年中にトスカーナ大公国政府は、フィレンツェのウフィツィ宮のためにトスカーナの画家アンジェレッリにその装飾絵画の水彩模写を委託した。同画家は後に、考古学情報研究所の秘書エミル・ブラウンの命により“未公表の記念物(V,1850,Pls.XIV−XVI)”に発表する銅版画のためにこれらの模写画をもう一組制作している。
 同墓の絵画はアルカイック後期のタルクィニア葬祭絵画に比べ質的に劣るとはいえ、故人を記念して挙行された運動、音楽、曲芸による葬祭余興が生き生きと描出されている。墓名は藪の中に座る小さな猿に由来する。

前480年頃;主室の大きさ:長さ4.10m;幅5.13m;高さ3.24m;ME pp.50ff.,198ff.n.XVl;EM n.25.

Fig.58 キウジ:猿の墓:奥壁右側と右壁左側
Chiusi,Tomba della Scimmia:Ruckwand rechts und rechte Wand links


Fig.59 キウジ:猿の墓:右壁右側と前壁左側
Rechte Wand rechts und Eingangswand links


Fig.60 キウジ:猿の墓:前壁右側と左壁左側
Eingangswand rechts und linke Wand links


Fig.61 キウジ:猿の墓:左壁右側と奥壁左側
Linke Wand rechts und Ruckwand links


Fig.62 キウジ:猿の墓:縦断面図と平面図
Langsschnitt und Grundriβ


Fig.63 キウジ:猿の墓:1翼室の建築デッサンと絵画
Architekturzeichnungen und Malereien einer Nebenkammer



10  ヴルチ、フランソワの墓:      Fig.64−72

ニコラ・オルティスの線描画をもとにバルトロメオ・バルトッチーニによって完成された薄いトレース紙に描かれた縮尺鉛筆画9点(1857;1:10):アキレウスによるトロイア人捕虜の殺毅(40.5×33.5cm);解放されるカエリウス・ウィベンナ(40.5×31.5cm);トロイア人捕虜と解放されるカエリウス・ウィベンナ(31.7×40cm);アイアクスとカッサンドラ(33×40.5cm);フォイニクスとネストール(33×42㎝1);刺し違える兄弟エテオクレスとポリュネイケス(33×42cm);シシュフォスとアンフィアラオス(32×40.5cm);ウェル・サティエスと従僕アルンツァ(32×40.5cm);動物格闘図フリーズ(32×40.5cm)およびハインリッヒ・ブルンによる縮尺鉛筆画1点(1860;1:10):ゲネイウス・タルクイニウスの殺害(11.5×34cm)である。
有名なフランソワの墓は1857年4月にトスカーナ人アレッサンドロ・フランソワにより発見され発掘されたが、その際発掘事業を経済的に支えたフランス人の東洋学者/考古学者のアドルフ・ノエル・デ・ヴェルジェーはその学術的成果の公表権を独占した。ヴェルジェーは考古学情報研究所の秘書ウィルヘルム・ヘンッェンの仲介で、若い線描家ニコラ・オルティスにエトルリア絵画史上ひとつの時期を画する同墓の絵画の模写を委託し、ヘンツェンはオルティスの仕上げたデッサンがヴェルジェーへ送られる前に、線描家/銅版画家のバルトロメオ・バルトッチーニにこれらのデッサンをコピーするよう依頼した。ヴェルジェーはオルティスのデッサンを著書“LEtrurie et les Etrusquesou dix ans de fouilles dans les Maremmes toscanes−エトルリアとエトルリア人・トスカーナ、マレンマ地域における発掘10年(Paris 1862/64)”にのせる銅版画の準備に使ったが、バルトッチーニのコピーは“未公表の記念物(VI,1859,Pls.XXXI−XXXII)”に公表された銅版画のために使用された。オルティスのデッサンはその後消失している。1860年にハインリッヒ・ブルンが墓を見学した際には新たに別の絵画が発見され、同画家はそれを鉛筆画で記録した。
 今日ローマのヴィッラ・トルローニア(旧ヴィッラ・アルバーニ)に保管されているフランソワの墓の絵画は非常に悪い保存状態にあるが、その中にはトーガ・ピクタを着け貴族として描出された墓の建立者ウェル・サティエスの姿も見られる。クラシック後期からヘレニズム初期にかけてのエトルリア葬祭絵画における最も広範かつ賛沢なイコノグラフィーを呈示する同墓の絵画では、明暗効果、斜線影やハイライトなどギリシア大絵画から生み出された革新的成果が非常によく把握される。ウェル・サティエスは、一門の“先祖”としてのギリシアの英雄達やギリシア神話の情景、またヴルチ初期の時代の歴史的出来事を自己とともに描かせることで、一門の栄光に輝く由来と尊い身分を顕示しようとしたのである。

前4世紀第3四半期;T字形の主室の大きさ:長さ6.15m;幅6.83m;高さ3.5m;ME p.207ff.,n.XIX;EM n.178.

Fig.64 ヴルチ:フランソワの墓:アキレウスによるトロイア人捕虜の殺戮
Vulci,Tomba Francois:Schachtung der trojanischen Gefangenen durch Achill


Fig.65 ヴルチ:フランソワの墓:カエリウス・ウィベンナの解放/エトルリア人同志の戦闘
Befreiung des Caelius Vibenna und Kampfe zwischen Etruskem


Fig.66 フランソワの墓:トロイア人捕虜/カエリウス・ウィベンナの解放
Gefangener Trojaner und Befreiung des Caelius Vibenna


Fig.67 フランソワの墓:アイアクスとカッサンドラ
Aias und Kassandra


Fig.68 フランソワの墓:フォイニクスとネストール
Phoinix und Nestor


Fig.69 フランソワの墓:テーバイの刺し違える兄弟エテオクレスとポリュネイケス
Brudermord von Eteokles und Polyneikes


Fig.70 フランソワの墓:シシュフォスとアンフィアラオス
Sisyphos und Amphiaraos


Fig.71 フランソワの墓:ウェル・サティエスと従僕アルンツァ
Vel Saties und Knabe Amza


Fig.72 フランソワの墓:動物格闘図フリーズ
Tierkampffries



11  画家カルロ・ルスピの肖像:ME p.21ff.,Fig.12.    Fig.73
Fig.73 カルロ・ルスピの肖像画
Portrait von Carlo Ruspi




12  古書:Adolphe Noel des Vergers,LEtrurie et les Etrusques ou dix ans de fouilles dans les Maremmes toscanes−エトルリアとエトルリア人・トスカーナ、マレンマ地域における発掘10年(Paris1862/64)

13  古書:James Byres,Hypogaei or Sepulchral Caverns. Tarquinia−タルクィニアの地下墓/葬祭洞窟(London1842)

14  古書:Monumenti inediti−未公表の記念物Vol.1(Roma1833)

15  古書:George Dennis,The Cities and Cemeteries of Etruria−エトルリアの都市とネクロポリス(London1848)