デジタル小津安二郎展開催によせて

東京大学の総合研究博物館が、2年前に資料館から改組された際の新しいコンセプトの一つが「デジタルミュージアム」であった。

デジタルミュージアムとは何か。その具体的な内容は、昨年開催した「デジタルミュージアム展」において例示されたので、ここでは詳しく触れない。重要なことは、デジタルミュージアムとは決してデジタル技術を駆使した博物館を意味するに留まらないということである。

もちろんデジタルミュージアムにおいて、デジタル技術は重要である。大学における博物館活動は、学術資料の収集・整理・保存の全過程にわたる研究教育と実験展示である。学術資料の収集には偶然性が大きな要因として働くにしろ、デジタル技術の導入は、必然性を高めるにちがいない。また学術資料の整理にデジタル技術が大きく貢献していることは、よく知られた事実である。さらに、いかなる性質の学術資料であれ時間とともに劣化することは避けられない運命にある中で、デジタル技術は半永久的な保存を可能にしたという点において、一種の魔法のような技術にさえ思われる。

このようにデジタル技術の優れた特性を数え上げればきりがないが、しかし私たちはデジタルミュージアムをより大きなコンセプトでとらえている。それは、総合研究博物館の今日的な意義を、新しい知の創生の場ととらえることと不可分である。新しい知とは、従来の個別科学の枠組みを超えた知であり、それは、個別科学に隷属させられていた学術資料が、すべての科学に公開されたとき、はじめて可能となる知である。

今回の「デジタル小津安二郎展」は、おそらくデジタルミュージアムの発展に、新しい地平を切り拓くものになるだろう。小津安二郎監督の作品を1つの学術資料として、映画にかかわってきた従来の科学から、すべての科学に発信する作業の過程を、私たちは特別展という実験展示の中で、感じ、味わい、触れることができるのである。

これは長年にわたって小津映画のキャメラマンを勤められた厚田雄春氏の御遺族が、小津映画にかかわる遺品を東京大学に寄贈されたことによって、はじめて可能になったものである。また、新しい知の創生という困難な作業に取り組んでこられた、東京大学の総合文化研究科・表象文化論研究者たちと、総合研究博物館の共同作業の産物であり、御協力いただいた、関係各機関、各位に心から御礼申し上げる次第である。

東京大学総合研究博物館長
東京大学大学院農学生命科学研究科教授

林 良博


緒言

今回、小津監督の名コンビ、名キャメラマンであった厚田雄春氏のご遺族から東京大学に寄贈された、貴重な未公開の資料をベースにして、わが国にある、小津監督関係のほぼすべての資料を集めた展示会を開けることは喜びにたえない。これは、小津映画の研究者にとってもファンにとっても貴重な機会である。

また、今回の展示会ではデジタルミュージアム特別展として、デジタル技術を資料の整理や展示手法として使うというだけでなく、小津監督の作品の修復にも利用し、現在のデジタル修復技術の成果をお見せすることとした。 古い映画のデジタル修復は、人類の遺産の保存のための技術として現在注目を集めている分野であるが、予算の問題などで必要な処理が行えないのが現状である。木造建築における「古び」はそれなりの歴史であり良さもあるが、再生が命の映画においての「古び」は監督の意図するものを伝える能力をメディアが失うという悲劇以外のなにものでもない。デジタル修復さらにはデジタル保存というデジタル技術により、この悲劇を完全に過去の物にすることが可能となった。

小津の初期の作品もそうであるが、多くの映画が種々の理由により失われてしまった。この中にはもちろん紛失や焼失によりなくなってしまったものもあるが、光学フィルムの経年変化により失われつつあるものは、今ならば、まだ救えるのである。そして、このようなものが数多く存在する。今回の展示会の目的は、大量の資料をもとに小津映画の秘密を探ることであるが、同時にこのデジタル修復技術自体にも注目していただきたいと思う。この特別展をきっかけとしてこの技術分野に注目があつまり、多くの失われつつある映画が、この恩恵を受けられれば望外の喜びである。

関係各位のご協力によりこれらの大量の資料が展示できる運びとなったことを感謝するとともに、本展示によって多くの方々に古い映画の魅力を再発見していただければ、それらのご協力にいくぶんなりともお返しができると考えている。

デジタル小津安二郎展実行委員会委員長
東京大学総合研究博物館教授

坂村 健