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[ニュースという物語]

おもちゃとしてのかわら版・新聞錦絵

宮本大人


朝起きて、分厚い新聞を開くと、大量のチラシが折り込まれている。毎日毎日、着々と紙のゴミが家の一角に積み上がっていく。今日の私たちの身の回りには、印刷物が、文字通りあふれかえっていて、それをわずらわしく思うことも多い。だが、その感覚は、かわら版や新聞錦絵の時代には理解できないものだったかもしれない。

日本の出版は、江戸時代、すでに世界的に見ても高い水準の発行点数・発行部数に達していた。だが、にもかかわらず、少なくとも新聞錦絵の時代までは、印刷物は、まだまだその稀少性=ありがたみ(有難み)を保っていたように見える。

なぜなら、この時代の印刷物を見ていると、そこに込められている読み取るべき要素・楽しむべき仕掛け・ありがたがるべき力の、密度の高さに驚かされるからだ。

印刷物は、ただそれが印刷物であるというだけで、ありがたい。そこに文字や絵が印刷されているというだけで、大事なものなのである。そのありがたさから、様々なはたらきが生まれる。せっかくの印刷物を、目一杯、楽しみたい・使いまわしたい・何らかの力をそこから得たいという心持ちが、一枚の印刷物に、何重ものはたらきを期待し、担わせるのである。

たとえば、黒船来航時に流行したとされる絵花火がある。だがそれは、同時に花火仕掛けのかわら版でもあったと言えるように思える。絵では明らかに、今、「噺の種」となっている黒船を描きながら、言葉ではそれを、蒙古襲来という過去の出来事として語る仕方において、かわら版が黒船来航を告げるパターンの一つを踏襲しているし、色数の少なさなど、印刷物としての様態においてもかわら版と共通したものを持っているからだ。

黒船を迎える港の大砲の部分に線香で火を着けると、大砲から玉が飛び出すように火が弾道を描いていき、黒船に命中して燃え上がる。黒船の来航という、外交上の一大事件を伝えつつ、同時に、このような遊びを仕掛けてしまうこと。だが、黒船の来航を「外交上の一大事件」と言ってしまうのは、われわれのものの見方であって、これを作った人々、楽しんだ人々の見方ではないだろう。同じように、「事件を伝える」ことがかわら版の唯一の、あるいは至上の役割だと思うのも、相対化されるべき見方だろう。

鯰絵の場合はどうか。ここでは、さしあたり紙面そのものは、災害を超自然的存在を使って諷刺的に表すという役割しか果たしていないように見える。花火のようにわかりやすい形で、別の楽しみ方が仕掛けられているわけではない。にもかかわらず、こっぴどく叱られる鯰や、復興景気で潤った人々に守られていい気な鯰を描いた絵と文は、護符としての役割を期待され、余震に震える人心の不安を除く働きを持ったという。災害直後の時期には、普段にも増して印刷物のありがたみ・稀少性は高まっていただろう。それに対する人々の期待が、鯰絵に、護符としての力・役割を与えてしまう。

印刷物を、ありがたいもの、繰り返し様々な仕方で愛玩すべきものとして受け止めてしまう心の傾きが、受け手の側にあり、作り手もまたそれに応えるように密度の高い印刷物を送り出していく。そうしたサイクルの中にこの時代の印刷物は置かれている。

視覚的な美しさの鑑賞にではなく、様々な仕方でそれを遊ぶことに重点の置かれたおもちゃ絵もまた、そのようなサイクルの中の印刷物の、典型として理解できる。そしてやはり、新聞錦絵も、事件の速報というにとどまらないふくらみを持った、はたらきを考えるべきだろう。まず何より、その絵も文章も、われわれが今日新聞に期待するような「客観的」な描写を、一向に重んじていない。そのポーズは明らかに歌舞伎などの所作とつながっているだろうし、血みどろの状態を見せたいというより、単にアニリンという物質の発色を見せたいがために描かれているかとも思える、流血の描写がある。文章も、音読してはじめてその調子の良さや地口のおかしさの分かるものだ。

そのとき、一方に事件の報道という役割があり、他方に音読の楽しみとか絵としての鑑賞とかいった別のはたらきがあるといった、足し算的な考え方ではまだ足りない。それは、現在の私たちが自明のものとして持っている「印刷物のさまざまな機能」の分類表に基づいて、かわら版や新聞錦絵というモノのはたらきを、いくつかの要素にばらしてみたにすぎない。それはもちろん、かわら版や新聞錦絵についての認識を深めていく上で、必要なプロセスではある。だが、そこからもう一度、要素をただ寄せ集めるだけでなく、特定の仕方で組み合わせなければ生まれない綜合的なはたらきをもつ印刷物と、それに触れる人間との関係のあり方をまるごと理解するためには、いわば、解剖学的なアプローチではなく、生態学的なアプローチが、必要なはずだ。

だから、とりあえず私たちは、その七五調の文章を声に出して調子や地口を楽しみながら、アニリンというそれまでになかった物質の赤や紫の感触を眼でまさぐりながら、そうした濃密な行為と体験を通してようやく受け手の体に入っていく、そうした出来事の伝わり方を、せめて追体験してみようと試みるべきではないか。

このコーナーでは、さしあたり、モノとしてのかわら版や新聞錦絵、あるいはその周辺の印刷物の、形態的な多様性と、それに接する受け手の享受の仕方の多様性を示すという形で、展示を構成している。しかし、単に多様であるということなら、今でも印刷物の形態は多様だし、享受の仕方も多様である。だから、問題は、今までの議論で少し見えてきたように、「多様」というコトバが前提してしまう、さまざまな要素の足し算的寄せ集めとしてかわら版や新聞錦絵を捉えようとしてしまう私たちの姿勢そのものだ。

もちろん、かわら版や新聞錦絵の時代に印刷物の「多様化」が起こっていなかったということではない。どの印刷物も、それらを互いに比較すれば、その形態においても、その機能のどこに重点があるかにおいても、現在の私たちにも容易に指摘できるような、ジャンルの分化を示している。だが、一つ一つの印刷物の中にはらまれている、その印刷物が持ちうる働きの可能性は、「多様」なはたらきといって容易に分断できない一体性を持っている。その、まだうまく名づけられないありようを、ここでは「おもちゃとしての」という言い方でつかまえようとしてみたのである。

たとえ切りぬき、貼り込むことに重点があることが明らかなおもちゃ絵であっても、その作業をしながら、そこに描かれている出来事について、何も考えないなどということがあるだろうか。ないように思える。手を加えて遊ぶこととそこに盛られた「情報」を受け取ることは、別々の行為であるより、「ながら」で一体となった経験ではないか。

そこでニュースの誕生という事態は、かわら版や新聞錦絵の持っていた可能性のうちの、情報の正確かつ迅速な伝達という部分だけが、特権化していく過程の事だろう。それは、印刷物の数量の飛躍的な増加と、いっそうの多様化がもたらした、個々の印刷物の「ありがたみ」の相対的な低下と、それに伴う、個々の印刷物の機能の分化という、印刷物全般に起こった事態の中で、人々の印刷物との関わり方が大きく変わっていく流れの中で、理解すべき事柄だ。

そのとき、かわら版に花火を仕掛けることはなくなり、新聞錦絵は新聞本紙の付録という従属的な地位を与えられるようになり、おもちゃ絵は、その教育的機能だけが取り出されていく。ならばむしろ、かわら版や新聞錦絵の誕生ではなく、その衰微こそが、「ニュースの誕生」が決定的になった瞬間だったのかもしれない。


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