自身除妙法
地震鯰たちを見おろし、威圧する鹿島大明神。絵の右下には災難避けのまじないが見られ、鯰絵に地震避けの護符としての機能が期待されていたことが伺える。余震の続く中、多くの江戸庶民が「鹿島大明神の護符」としての鯰絵をこぞって買い求めたのである。
図213 自身除妙法
安政二年十月二日夜
江戸并関東筋大地震
大火二付 鹿島大明神託曰
「其方共義前々
より申聞(きか)セおく通り
此沙婆(しゃば)せかいのうち
大日本国中の上ハ天照
大神其外諸神の御守護(しゅご)にして地の下ハ金輪(こんりん)ならくゑんま王
の任所迄堅牢(けんろう)
地神とそれがしのあづかる所也しかるに例年(れいねん)のことにして朔月
より出雲大社へ参りいる留すの中(うち)を見こミ
其方共平常(へいぜい)の戒(いましめ)をわすれ乱行(らんげう)いたし御府内(ふない)
近国に至迄揺潰(ゆりつぶし)家蔵(いへくら)石垣其外を崩(くづ)し其上
出火と被成数ケ数の焼失(せうしつ)のミならずけが人尚(なを)又一命に及(およぶ)もの甚多きよし是皆其方共かねてのいましめを
やぶりたる大ざい也いかに某(それがし)るすのうちとてもかくのごとき
異変(いへん)ありてハ某の守護役(しゅごやく)のかど立ちがたく我をないがし
ろするふらち一人も其ままさし置きがたしへんとう有るやとふかく
いかりをあらハし仰せけるに一どうのなまづ身ぶるひして大におそれ
一言をはくものなく此ときかしら立たると見ゆるもの慎(つつ)んで申ス
「おそれながら仰のおもむきかしこまり候也此たび大へんのことハ一とふりおきき遊され下さるべし此義ハ申上ずとも御存の義にて
はるなつあきふゆのうちにあついじぶんにさむい日あり
さむいときにあたたかなる日ありかくのごとく気候のくるひ
有てかんだんの順(じゅん)なるとしハ少(すくな)く候今年最(もっとも)ふじゅん
ながら五毅(ごこく)のよくミのり候ハ八百万神の御守り遊され候
御力による所也さて天地にかんだんの順のさだまり
ありてはるなつと其きのじかうことの外くるひ候ゆへ
わたくしとも地下(くに)のすまひにてハ以の外おもしろき
じせつになりたりとわきまへなきものどもらん
しんのごとくくるひまハりそうろうゆへわたくしども
いろいろせいとうをいたせどもみみにもかけず
らんぼうにくるひさハぎ候よりつひに思ひよら
ざる日本へひびき御しはいの内なる家倉
をそんじ候だんいかなるつミにおこなハる
共いはいこれなく候也され共わけてお願
にハわたくしどものこりなく御かりつくし候共
そんじたるいへくらのたつにもあらねバまづ
しバらくの命をおあづけ下され是より
日本のとちをまもりいかなるじかう
ちがいにても此たびのごときことハもう
とう仕らず天下たいへいごこくほう
ねん君が代をまもり奉り候べしと
一とうにねがひけるゆへおゆるし有て
いづれもかへされけりそれにつき
ぢしんをよける御まもりハむかしより
これありといへども又下にあらハし置候
△それ地しんハ五ケ国十ケ国もゆるものにて
そのいえばかりのがるるといふ事なしされど
かしま明神の御宮居をはじめ其御領(ごれう)
ぶんの内にすむ家あまたありて
むかしより地しんにてわざハいある
ことをきかずいま右にしるす
東方 西方 南方 北方 四方へしるす
家の中なる天井にはる又守りに入れ首にかける也
右の守ハたとひぢしん有りても
此家ばかりハさハり有ことなし万化宝(ばんくハほう)といふ本をみるべし此ことを
信(しん)じて用(もち)ひたる家ハ何ごともなく
あざケりたるものハゆりつぶれ
たることあきらかに書たり
されバ是も世の心得にならんと
ここにしるしはべりうたがふ
人ハさしおき此守を信じて
いらい地しんのなんを
のがれ為ハい幸(さいハい)此上
なしと申のミ
鯰にのる伊勢の馬(仮)
地震で助かった人の服の袂には、伊勢の神馬の白毛があったという噂にもとづく鯰絵。普段から善行を積んでいた人は、神意によって助かったのだとする内容の鯰絵もある。
図214 鯰にのる伊勢の馬(仮)
安政二年十月二日の夜
大地震おびただしく家くづれ
人おおく死す内に
あやうき命をたすかりし人ハ
伊勢大神宮そのほか神々
信心ともからハ
神馬御府内を
はせめぐり
人袂(たもと)に
此毛出る也
是(これ)神の
守らしむる也
ありがたや
ありがたや
「これごらんハたしのたもとにも
こんな毛があるよ
ふしぎたねヘ
「これハこれハこれハ
めうだめうだめうだ
「おやふしぎだねへ
わたしもみよや
「こいつハめうだめうだめうだ
まことにふしぎだ
「神馬にのられてハ
もちやげる事も
いすぶる事も
できねへできねへ