るいせう道しるべ 文化八年(一八一一)
文化八年(一八一一)二月一一日、江戸市谷谷町より出火し、西北風にあおられて赤坂、麻布などへ燃え広がり、武家屋敷三百、町屋二万、死者数百人を出した火事のかわら版。「親をもてる人ははやく書状にふうしこみ」めば、親は子の無事を確認できるから、「孝行の一助」だとする。こうした文言を摺りこむかわら版がこの頃より多く出版された。
江戸神田佐久間町の大火 文政一二年(一八二九)
文政一二年(一八二九)三月二一日神田佐久間町河岸材木屋の材木小屋から出火して、日本橋、京橋など江戸の中心街を焼き尽くした大火。武家屋敷、町屋を延焼丁数一里にわたり、焼死者二千八百人を出したという。この火事では、火元の材木問屋は、所払いになった。この火事のかわら版では、既成の江戸図に焼失範囲を書きこんだものが登場した。