考古部門
所蔵資料
総合研究博物館考古部門は、
研究活動・資料の保管において文学部考古学研究室、
文学部考古学列品室 (人手がないため一般公開はしていない) 、
文学部附属北海文化研究常呂実習施設 (一般公開の大きな展示施設を有する)
と一体であり、
たまたま現在博物館に置いてあるもののみを博物館所蔵資料とみなして
他から切り離すことはできないので、
ここでは上記の資料をひっくるめて紹介する。
資料は大きく分けて、
- 戦前に中国・朝鮮など東アジア大陸各地における
発掘調査で収集された資料
- 考古学研究室が北海道常呂の文学部実習施設を拠点として行った
(一部はその設置以前にさかのぼる)
一連の発掘で得られた遺物
- 関東近辺の様々な時代の遺跡発掘で得られた遺物
- その他
である。
東アジア大陸各地の資料
この標本群をもっとも特徴づけるものは、
- 朝鮮の楽浪土城 (漢が設置した楽浪郡治址)
- 石厳里古墳群 (楽浪郡の古墳)
- 中国遼寧省牧羊城 (漢代の県治址)
- 中国黒竜江省東京城 (渤海国の首府)
- 内蒙古元上都 (元時代の都城)
- 河北省邯鄲 (漢代の都城)
- 遼寧省遼陽漢代墳墓
- 山東省曲阜魯城 (東周・漢代の都城)
など、主に歴史時代の遺跡から得られたさまざまな種類の遺物で、
戦後大陸での発掘が不可能となったため、
現在ではまったく入手不可能な標本ばかりである。
北海道の資料
北海道東北部の常呂、北見、網走、知床地域において
文学部考古学研究室が40年間ほとんど毎年欠かさず行ってきた
発掘調査で得られた資料であり、旧石器時代、縄文時代、続縄文文化、
擦文文化、オホーツク文化、アイヌ文化の各時期文化にわたる。
北海道東北部の先史時代研究の体系を作ってきた
基準資料を多く含む大資料群である。
代表的なものに
- 旧石器時代の紅葉山遺跡・緑丘遺跡
- 縄文時代の朝日トコロ貝塚・トコロチャシ南尾根遺跡
- 続縄文・擦文・オホーツク各文化にわたる栄浦第1・第2遺跡
- 岐阜1〜3遺跡・ライトコロ川口遺跡・ライトコロ右岸遺跡・モヨロ貝塚
の資料などがある。
関東近辺の資料
さまざまなテーマと関心から地理的に大学に近い関東近辺の遺跡で
発掘された資料で、
旧石器、縄文、弥生、古墳、歴史のさまざまな時代に属する。
- 三鷹市東京天文台の旧石器時代資料
- 茨城県廻戸貝塚の縄文時代資料、
- 学史上有名な東京都文京区向ヶ岡貝塚推定地の弥生時代資料
- 茨城県安孫子古墳群出土資料
- 神奈川県二宮町諏訪脇横穴出土資料
- 戦国時代の山梨県黒川金山遺跡資料
などがある。
その他の資料
これには、日本国内・海外での採集・寄贈・購入で得られた
さまざまな資料であるが、重要なものに、
- タイ国の石仏・金銅仏コレクション
- ベトナムドンソン文化資料
- アメリカインディアンの土器
- アジア各地の陶磁器資料
などがある。
資料の利用状況
これらの資料の研究利用状況を記すと、
東アジア各地の資料は、大貫助教授によるオロス貝塚資料の再検討、
谷豊信氏による楽浪土城址の再検討、
北九州や北陸における大陸からの搬入土器の同定などに利用されている。
上記のように第二次大戦後、日本の考古学者が東アジア大陸において
発掘調査を行うことが不可能になったため、
再入手不能な貴重な資料となった。
学外博物館からの借用展示希望がもっとも多い資料でもある。
北海道の資料に関して、
北海道は本州以南に稲作が伝わり弥生文化に移行しても狩猟採集文化である
続縄文文化が継続し、さらに擦文文化、オホーツク文化、アイヌ文化など
内地の日本とはまったく異なる歴史の歩みをたどった。
このような独特の文化の展開過程を解明した
諸研究の基準になった資料であり、
現在も藤本教授、宇田川教授、熊木助手らによる研究が進められている。
現在の活動
研究室として取り組んでいる研究は、
すでに40年以上継続している北海道東北部の遺跡調査であり、
現在は毎年8〜9月に学生の発掘実習をかねて
常呂町トコロチャシの発掘が行われている。
そのほかは教官や大学院生、客員研究員が個人的に、
また外部のグループの一員として行っている調査研究があり、
いくつか例をあげるなら、
- 今村部門主任による山梨県黒川金山遺跡の調査
- 同じくベトナム、ランヴァク遺跡の調査
- 藤本教授による東ロシアの先史古代遺跡の調査
- 宇田川教授による樺太での調査
- 大貫助教授による中国北方の新石器時代遺跡調査
- 山形真理子客員研究員によるベトナム、チャキウ遺跡の調査
などがある。
研究成果の公表
以下は総合研究博物館で出版されたものではないが、
上記の資料を報告している主な出版物である。
『東京城』 (東京城発掘の報告書、昭和十四年発行)
- 中国・朝鮮関係
『楽浪』、『楽浪土城址の調査』、『楽浪土城址の調査 (継続) 』、
『牧羊城』、『東京城』、『元上都』、『邯鄲』、
『遼陽発見の漢代墳墓』、『曲阜魯城の遺跡』
- 北海道関係
『オホーツク海沿岸・知床半島の遺跡 (上・下) 』、『常呂』、
『トコロチャシ南尾根遺跡』、『岐阜第三遺跡』、
『ライトコロ川口遺跡』、『栄浦第一遺跡』、『ライトコロ右岸遺跡』
- その他
『向ヶ岡貝塚』、『安孫子古墳群』、
『甲斐黒川金山遺跡調査報告』など
また、文学部考古学列品室所蔵資料を解説する『考古図編』があり、
教官や院生による研究成果の一部は
『東京大学文学部考古学研究室研究紀要』1〜13号に収録されている。
(今村 啓爾)
観音像
|
|
| 観音像 (中尊と両脇侍) |
観音像 (両脇侍) |
| 出土地 |
朝鮮 平壌(?) |
| 時代 |
十一世紀初頭 |
| 大きさ |
高さ(中尊) 67.5cm 高さ(両脇侍) 37.6cm |
|
金銅造 |
| 所蔵 |
福井武二郎氏旧蔵 文学部考古学研究室・列品室 |
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「観音像」の項を参照して下さい。
菩薩頭部
菩薩頭部
| 出土地 |
中国 山西省天龍山石窟 |
| 時代 |
八世紀初頭 |
| 大きさ |
高さ20.5cm |
|
石造 |
| 所蔵 |
文学部考古学研究室・列品室 |
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「菩薩頭部」の項を参照して下さい。
曲阜魯城
曲阜は、周の始め、魯公白禽が封じられた都であると伝えられ、
紀元前三世紀に楚によって滅ぼされるまで続いた。
しかもその後も地方都市として栄えた。
漢代には広くその名を知られた霊光殿は、
西と北に洙水が流れている平野の中、曲阜県城の北東にあり、
1942年、1943年に原田淑人らによって調査された。
ホリンゴール土城
中国の内蒙古のホリンゴール (和林格爾) 土城の北に一大土城が残っている。
ここは、漢成楽、北魏盛楽、遼 (金) 振武県 (鎮) の土城があるが、
この漢代成楽県治址の土城を、1943年、東亜考古学会が調査した。
臨し斉城
中国山東省にある。周代に斉の都が置かれた。
『史記』によれば、斉の献公は、紀元前859年に臨しに都し、繁栄したが、
紀元前21年に秦によって滅ぼされた。
邯鄲趙王城
中国河北省にある。趙は敬侯の元年 (紀元前336年) に邯鄲によったといわれ、
紀元前21年、秦に滅ぼされた。この間159年であったが、
後に前漢、後漢においても、趙の建城となっていた。
『黄梁一炊』の夢の地である。
1940年、東亜考古学会によって調査された。
渤海国上京竜泉府 (東京城)
中国黒竜江省にある。渤海は7世紀末に建国され、初めは震国といったが、
後に渤海と国名を改め、926年に契丹族に滅ぼされた。
渤海は五京の制を取り、その上京竜泉符がこの東京城の地に比定されている。
1933年、1934年に、東亜考古学会によって調査された。
半拉城は吉林省にあり、
鳥山喜一氏らの調査により渤海の東京竜原府に比定されている。
石製獅子頭
大きさ : W 36.7cm、出土地 : 渤海東京城
石製獅子頭
大きさ : W 35.5cm、出土地 : 渤海東京城
展示品リスト
| 展示品目名 |
大きさ |
出土地 |
| 樹木文半瓦当 |
W 16.0cm |
曲阜魯城 |
| 方せん(注)片 |
W 22.0cm |
曲阜魯城 |
| 獣文瓦当 |
W 13.0cm |
曲阜魯城 |
| 獣文瓦当 |
W 12.0cm |
曲阜魯城 |
| 方柱状のせん(注) (4体) |
H 9〜6.5cm |
曲阜魯城 |
| 軒平瓦 (3体) |
W 15.5〜17.0cm |
曲阜魯城 |
| 蕨手文瓦当 (4体) |
R 16.0cm |
曲阜魯城 |
| 樹木文瓦 (3体) |
R 16.5〜15.0cm |
曲阜魯城 |
| 方せん(注) |
W 37.0cm |
曲阜魯城 |
| 幾何文方せん(注) |
W 36.0cm |
曲阜魯城 |
| 出土一括土器 |
H 6.5cm、R 14.5cm |
ホリンゴール土城 |
| 出土一括土器 |
H 7.5cm、R 19.2cm |
ホリンゴール土城 |
| 出土一括土器 |
H 11.5cm、R 11.5cm |
ホリンゴール土城 |
| 出土一括土器 |
H 10.5cm、R 10.5cm |
ホリンゴール土城 |
| 出土一括土器 |
H 24.0cm、R 22.0cm |
ホリンゴール土城 |
| 蓮華文瓦当 |
R 15.0cm |
ホリンゴール土城 |
| 蕨手文半瓦当(3体) |
R 13.5cm〜18.5cm |
臨し斉城 |
| 樹木文半瓦当 |
R 16.0cm |
臨し斉城 |
| 縄蓆文瓦頭 |
R 14.8cm |
邯鄲趙王城 |
| 縄蓆文瓦頭 |
W 19.5cm |
邯鄲趙王城 |
| 素文瓦頭 |
R 12cm |
邯鄲趙王城 |
| 四葉走獣文瓦頭 (複製) |
|
邯鄲趙王城 |
| 縄蓆文丸瓦 |
H 36.0cm |
邯鄲趙王城 |
| 石製獅子頭 |
W 36.7cm |
渤海東京城 |
| 石製獅子頭 |
W 35.5cm |
渤海東京城 |
| 緑釉軒丸瓦 |
R 12.0cm |
渤海東京城 |
| 金堂仏 |
H 9.4cm |
渤海東京城 |
| 青銅製騎馬人物像 |
H 5.2cm |
渤海東京城 |
| せん(注)仏座像 (6体) |
H 6.5cm〜10.0cm |
渤海東京城 |
| せん(注)仏立像 (6体) |
H 10.6cm〜11.0cm |
渤海東京城 |
| 石製獣形器足 |
L 9cm |
渤海東京城 |
| 鉄製扉樞 |
H 12cm |
渤海東京城 |
| 鉄製扉樞 |
H 11.5cm |
渤海東京城 |
| 鉄製風鐸 |
R 10.6cm |
渤海東京城 |
| 銅馬 |
L 4.3 cm |
渤海東京城 |
| 緑釉蓮弁柱座 |
W 20.0cm |
渤海東京城 |
| 緑釉蓮弁柱座 |
W 11.0cm |
渤海東京城 |
| 蓮華文瓦頭 (3体) |
R 16.0cm |
渤海東京城 |
| 軒平瓦 |
W 32.0cm |
渤海東京城 |
| 軒丸瓦 |
W 36.0cm |
渤海東京城 |
| 緑釉鬼瓦 |
W 43.0cm, H 34.0cm |
渤海東京城 |
| 華文方せん(注) |
W 35.5cm |
渤海東京城 |
| 華文方せん(注) |
W 22.0cm |
渤海東京城 |
| 縄蓆文方せん(注) |
W 40.0cm |
渤海東京城 |
| 唐草文長方せん(注) |
W 21.0cm |
渤海東京城 |
| 唐草文長方せん(注) |
W 15.0cm |
渤海東京城 |
| 蓮華文瓦頭 (軒丸瓦) (4体) |
W 36.0cm |
渤海東京城 |
| 石仏頭部 |
H 10.2cm |
渤海半拉城 |
| 石仏頭部 |
H 14.0cm |
渤海半拉城 |
| 石仏 |
W 13.4cm |
渤海半拉城 |
| 石仏 |
W 15.0cm |
渤海半拉城 |
| 瓦頭 (軒丸瓦) |
R 14.0cm |
渤海半拉城 |
(せん) は補助漢字で、
ほとんどのブラウザで表示することができませんので、仮名表記にしました。
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