中国
唐時代(8世紀)
高さ33.5cm
文学部考古学研究室・列品室
この鳳首扁壺は類例が多く、好んで作られた器種であったと見られる。宝珠を口にくわえた猛々しい顔の鳳首から伸びる把手は植物をモチーフにした唐草様のもので、口部や、胴部周縁のパルメット風の文様と呼応している。胴部には馬に跨がり弓を引く、西方系の人物が型押しで表わされている。こうした細かな型押し文や全体の器形には、金属器の影響が濃厚である。また、植物唐草文や鳳首、騎馬人物文など、西方の香りの強いモチーフがふんだんに盛り込まれており、唐代文化の特徴を良く反映しているとも言えよう。
褐釉と緑釉はそれぞれ漢代には盛んに使われるようになっていたが、単色の使用がほとんどであり、また色合いもずっと暗く地味なものである。それが、唐三彩のように華やかな色の発色と加飾ができるようになったのは、白化粧をした上から色釉をかけているためである。三彩の名の由来といえる白・黄(褐)・緑のうち、白はこの白化粧の上から透明釉をかけたものである。この鳳首壺の場合は釉を流しかけ焼成中の自然な釉の混濁を利用して夢幻的な装飾効果を上げている。
(矢島律子)
中国
山西省大同県城西門外
遼時代(10〜11世紀)
高さ40.0cm
文学部考古学研究室・列品室
(矢島律子)
朝鮮
慶州
統一新羅時代(8世紀)
高さ27.5cm
文学部考古学研究室・列品室
やや末広がりの高台がついた胴部は腰が張った重々しい形であり、それに丈高く盛り上がった蓋がついている。蓋についている鈕は壺形である。蓋と胴部の合わせ付近で横に大きく張り出している突起には穴が開いているが、上下に突起を合わせて穴に釘をさし込み、蓋を固定したものと思われる。全面に瑶珞文や縄簾文、花文が細かく押印されている。こうした印花文は金属器から来るものと推測され、また、次代の高麗青磁に見られる象嵌技法との関連を考えさせる。釉はかかっていないが、焼成温度が非常に高く、灰青色に固く焼き上がっており、吸水率も低い。すでに高度な技術を新羅陶磁が保持していたことを窺わせる。特にこの骨壺は重厚な器形と華麗な印花文が融合して荘重な作となっている。
(矢島律子)
朝鮮
高麗時代(11〜12世紀)
高さ29.0cm
資料館建築史部門(K0135)
中でも、その美しく密やかな釉色を最大限に利用した精妙な刻文のある青磁は、最盛期の作として評価が高い。
この梅瓶は肩が張り、銅裾が細くすぼまった緊張感のある姿の美しい瓶であり、類例を多く見ることができる。胴に片切り彫りで束蓮文を表わしているが、ごく浅く斜めに刀を入れ、釉が濃く溜って明瞭な色の対比が出ることを避けている。この繊細さが盛期高麗青磁の特質といえよう。口部が欠損しているのが惜しまれる。
(矢島律子)
朝鮮
高麗時代(12〜13世紀)
高さ20.5cm
資料館建築史部門(K0134)
(矢島律子)
朝鮮
高麗時代(12世紀)
高さ9.5cm、直径18.8cm
文学部考古学研究室・列品室
この鉢はやや高めの末広がりの高台がついた深々とした形をしており、中国のいわゆる汝官窯に通じるような高い格調を持っている。淡い天青色に近い青磁釉を通して印花で表わされた折枝牡丹文が白と黒の象嵌で描かれている。また、土銹の滲みた大きな貫入にさえぎられているが、象嵌模様の背後にはごく細い陰刻で一面に牡丹唐草文が表わされている。高台にも唐草文が白象嵌されており、かなり手のこんだ作行きといえる。高麗青磁最盛期の作といってよい。
(矢島律子)
朝鮮
李朝時代(15世紀)
高さ7.4〜8.1cm、直径19.2〜19.4cm
資料館美術史部門
近年朝鮮陶磁史研究が進展すると、こうした三島手などは、灰色または灰黒色の土を白土で粉粧し、青磁釉から転化した青みを帯びた透明釉をかけるという共通の手法で包括される粉青沙器の一部であると捉えられるようになった。「粉青沙器」の装飾法は象嵌文、印花文と発達し、掻き落としや線刻、鉄絵文などが現れ、刷毛目文や粉引きへと展開したと捉えられている。また、その始まりは後退した高麗象嵌青磁に求められるとも考えられている。
三島手は粉青沙器の中でも早い時期——15世紀——の手法によるものである。菊花文や縄簾文をスタンプ状の施文具を用いて全面に刻し、その上に白土を化粧掛けすることで象嵌と同様の効果を現したのである。その産地としては嶺南地方(慶尚道)、湖南地方(全羅道)が挙げられている。
(矢島律子)
中国
南宋〜元時代(12〜13世紀)
高さ4.9cm、直径11.6〜12.3cm
資料館建築史部門(K0041)
(矢島律子)
中国
宋時代(11〜12世紀)
高さ22.2cm、直径11.9cm
資料館美術史部門
この水注は非常に薄手で、鋭い作りを見せる。こうしたシャープな白磁は景徳鎮系特有のもので、細く伸びる注口と、直立した首に添うように伸びる把手と瓜形の胴部とを特徴とする、宋代に盛んに作られた水注である。ここでは補修となっているが、必ず把手の頂上に小さな穴のある鈕がつき、へこんだ中央部にやはり穴のある鈕がついた蓋がついているものである。2つの穴にひもを通してつなげていたのであろう。また、宋墓の壁画に時々見受けられるように、輪花の深鉢にこの水注が納められるようになっていたようで、おそらく水注には温酒をいれ、輪花鉢に湯を注いで温めたものと思われる。
(矢島律子)
朝鮮
李朝時代(18〜19世紀)
高さ32.0cm、胴径20.4cm
資料館美術史部門
この十長生文瓶は後期の作で、よく言えば陰りがないが下手をすれば重みに欠ける釉調の白磁である。文様は白土をちょうどケーキのデコレーションのように絞り出して描いたいわゆる「いっちん」という手法による。十長生は元日に王が家臣に下賜するといった、長寿を象徴する吉祥文様である、歳画に通じる、朝鮮ならではの文様といえよう。
(矢島律子)