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陶磁器

(中国・朝鮮・日本)


36 三彩鳳首扁壷


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中国
唐時代(8世紀)
高さ33.5cm
文学部考古学研究室・列品室

唐三彩の特徴は、当時の風俗や文化をいきいきと伝える写実的な描写と、複数の色彩を使って器面を装飾するという、それ以前の中国陶磁には見られない新しい手法を生み出したことの2つに集約されよう。

この鳳首扁壺は類例が多く、好んで作られた器種であったと見られる。宝珠を口にくわえた猛々しい顔の鳳首から伸びる把手は植物をモチーフにした唐草様のもので、口部や、胴部周縁のパルメット風の文様と呼応している。胴部には馬に跨がり弓を引く、西方系の人物が型押しで表わされている。こうした細かな型押し文や全体の器形には、金属器の影響が濃厚である。また、植物唐草文や鳳首、騎馬人物文など、西方の香りの強いモチーフがふんだんに盛り込まれており、唐代文化の特徴を良く反映しているとも言えよう。

褐釉と緑釉はそれぞれ漢代には盛んに使われるようになっていたが、単色の使用がほとんどであり、また色合いもずっと暗く地味なものである。それが、唐三彩のように華やかな色の発色と加飾ができるようになったのは、白化粧をした上から色釉をかけているためである。三彩の名の由来といえる白・黄(褐)・緑のうち、白はこの白化粧の上から透明釉をかけたものである。この鳳首壺の場合は釉を流しかけ焼成中の自然な釉の混濁を利用して夢幻的な装飾効果を上げている。

(矢島律子)


37 加彩弁口壷


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中国
山西省大同県城西門外
遼時代(10〜11世紀)
高さ40.0cm
文学部考古学研究室・列品室

口縁を花弁状につまんだ弁口は、唐三彩などにも見られる西方起源の形と思われるが、遼の焼きものが唐代の古い形式をとどめているという一面を示しているのか、あるいは遼自体が西方との繋がりをもっていたことを反映しているのか、判断は難しい。釉をかけずに還元炎で焼成したため、器表が黒灰色に発色している。ほとんど剥落しているが、胴部にはもともと顔料で絵文様が描かれていたものと見える。こうした加彩の土器は時々遼墓からの出土が報告されている。日常に使用された実用本位の焼きものが副葬品として転用されたと推測されよう。しかしそこに、図らずも遼白磁や遼三彩には見られない、量感にあふれた独特の造形感覚をみとめることができる。

(矢島律子)


38 印花文鈕蓋壷


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朝鮮
慶州
統一新羅時代(8世紀)
高さ27.5cm
文学部考古学研究室・列品室

統一新羅時代中期は新羅文化の全盛期で仏教を通じて唐の文化が導入された時期である。この印花文共蓋壺はそうした仏教の隆盛を反映して、8世紀ごろ盛んに作られたといわれる骨壺の代表的な形の1つである。

やや末広がりの高台がついた胴部は腰が張った重々しい形であり、それに丈高く盛り上がった蓋がついている。蓋についている鈕は壺形である。蓋と胴部の合わせ付近で横に大きく張り出している突起には穴が開いているが、上下に突起を合わせて穴に釘をさし込み、蓋を固定したものと思われる。全面に瑶珞文や縄簾文、花文が細かく押印されている。こうした印花文は金属器から来るものと推測され、また、次代の高麗青磁に見られる象嵌技法との関連を考えさせる。釉はかかっていないが、焼成温度が非常に高く、灰青色に固く焼き上がっており、吸水率も低い。すでに高度な技術を新羅陶磁が保持していたことを窺わせる。特にこの骨壺は重厚な器形と華麗な印花文が融合して荘重な作となっている。

(矢島律子)


39 青磁刻花蓮花文瓶


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朝鮮
高麗時代(11〜12世紀)
高さ29.0cm
資料館建築史部門(K0135)

高麗青磁は、すでに高度な陶磁器焼成技術を保有していた朝鮮陶磁が、9〜10世紀ごろ中国越州窯青磁を受容して始まったと考えられている。その後、北中国諸窯の影響を受けつつ急速に展開を遂げ、12〜13世紀に全盛期を迎えたと考えられる。北宋末年に高麗へ使いした徐兢が著した『高麗図経』に「翡色」青磁のあることが記されていることは余りに有名である。

中でも、その美しく密やかな釉色を最大限に利用した精妙な刻文のある青磁は、最盛期の作として評価が高い。

この梅瓶は肩が張り、銅裾が細くすぼまった緊張感のある姿の美しい瓶であり、類例を多く見ることができる。胴に片切り彫りで束蓮文を表わしているが、ごく浅く斜めに刀を入れ、釉が濃く溜って明瞭な色の対比が出ることを避けている。この繊細さが盛期高麗青磁の特質といえよう。口部が欠損しているのが惜しまれる。

(矢島律子)


40 青磁刻花柳文瓜形水注


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朝鮮
高麗時代(12〜13世紀)
高さ20.5cm
資料館建築史部門(K0134)

瓜の形をそのまま写したような形の胴部に屈曲した注口と把手がついた水注は高麗青磁で好んで使われたものである。この水注は蓋が欠失しているが、もともとは蔓のついた帶を象った蓋がついていたと思われる。瓜形状に型押しされた胴部のそれぞれの凸部に、縦長の文様を刻すのも、このタイプに常套の装飾である。ただ、この水注は釉調がやや乳濁し、刻文も粗く力のないものとなっているので、盛期をやや過ぎた頃の作かと推測される。

(矢島律子)


41 青磁象嵌花文鉢


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朝鮮
高麗時代(12世紀)
高さ9.5cm、直径18.8cm
文学部考古学研究室・列品室

象嵌青磁は朝鮮独特の技法である。胎に文様を刻し、白土や赤土を刷り込んでから素焼きし、更に青磁釉をかけて焼くという、この技法の淵源については、従来から新羅陶器の印花文との関連や、高麗螺鈿や銅器の象嵌からの影響などさまざまな説が唱えられてきたが、いまだにはっきりしていない。その出現は盛期の12世紀のこととされている。

この鉢はやや高めの末広がりの高台がついた深々とした形をしており、中国のいわゆる汝官窯に通じるような高い格調を持っている。淡い天青色に近い青磁釉を通して印花で表わされた折枝牡丹文が白と黒の象嵌で描かれている。また、土銹の滲みた大きな貫入にさえぎられているが、象嵌模様の背後にはごく細い陰刻で一面に牡丹唐草文が表わされている。高台にも唐草文が白象嵌されており、かなり手のこんだ作行きといえる。高麗青磁最盛期の作といってよい。

(矢島律子)


42 粉青沙器印花文鉢


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朝鮮
李朝時代(15世紀)
高さ7.4〜8.1cm、直径19.2〜19.4cm
資料館美術史部門

日本ではこうした文様の朝鮮陶器を「三島」「暦手」などと呼び、茶道で賞翫してきた。この鉢はいくつかに割れたのを金継ぎして菓子鉢などに使ったと思われるが、よく見ると継いであるのは別の器の一部であり、いわゆる呼び継ぎであることがわかる。

近年朝鮮陶磁史研究が進展すると、こうした三島手などは、灰色または灰黒色の土を白土で粉粧し、青磁釉から転化した青みを帯びた透明釉をかけるという共通の手法で包括される粉青沙器の一部であると捉えられるようになった。「粉青沙器」の装飾法は象嵌文、印花文と発達し、掻き落としや線刻、鉄絵文などが現れ、刷毛目文や粉引きへと展開したと捉えられている。また、その始まりは後退した高麗象嵌青磁に求められるとも考えられている。

三島手は粉青沙器の中でも早い時期——15世紀——の手法によるものである。菊花文や縄簾文をスタンプ状の施文具を用いて全面に刻し、その上に白土を化粧掛けすることで象嵌と同様の効果を現したのである。その産地としては嶺南地方(慶尚道)、湖南地方(全羅道)が挙げられている。

(矢島律子)


43 白磁櫛描文碗


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中国
南宋〜元時代(12〜13世紀)
高さ4.9cm、直径11.6〜12.3cm
資料館建築史部門(K0041)

先が櫛状になった工具で器表をひっかくようにして文様を刻した、櫛描文の白磁碗である。土は粗く、高台の仕上げなども手荒い雑器である。しかし、手早い櫛描で描かれた楚々とした一枝の草花は不思議に日本人の感覚に訴えるようだ。櫛描文を多用したものでは村田珠光が好んだといわれる珠光青磁がよく知られている。これは福建省の同安窯を中心に中国南部各地で焼かれ、日本や東南アジアに輸出されたものである。中国陶磁全体から見れば下手な部類に入るが、日本の茶人の美意識にかなったものとして取り上げられ称揚されたものである。青磁と白磁の違いはあるが、この草花文碗もまた、広東や福建といった中国南部に広がる白磁窯の1つで焼かれたものと思われる。

(矢島律子)


44 白磁瓜形水注


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中国
宋時代(11〜12世紀)
高さ22.2cm、直径11.9cm
資料館美術史部門

玉のように白い焼きもの「白磁」は、器を形作る胎とその上にかける釉とから可能な限りの不純物を取り去って初めて生まれる、最も高度な陶磁である。白磁が登場したのは唐代であるが、宋代に入ると白磁を産する窯は中国各地に見られるようになる。北の定窯、南の景徳鎮窯が2大中心地であったが、窯や燃料の違いによって白磁の色合いが異なり、定窯の白磁はやや黄色みを帯びた「牙白」、景徳鎮窯の白磁は青みを帯びた「青白」磁(影青)と捉えられている。

この水注は非常に薄手で、鋭い作りを見せる。こうしたシャープな白磁は景徳鎮系特有のもので、細く伸びる注口と、直立した首に添うように伸びる把手と瓜形の胴部とを特徴とする、宋代に盛んに作られた水注である。ここでは補修となっているが、必ず把手の頂上に小さな穴のある鈕がつき、へこんだ中央部にやはり穴のある鈕がついた蓋がついているものである。2つの穴にひもを通してつなげていたのであろう。また、宋墓の壁画に時々見受けられるように、輪花の深鉢にこの水注が納められるようになっていたようで、おそらく水注には温酒をいれ、輪花鉢に湯を注いで温めたものと思われる。

(矢島律子)


45 白磁十長生文瓶


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朝鮮
李朝時代(18〜19世紀)
高さ32.0cm、胴径20.4cm
資料館美術史部門

白磁は李朝陶磁の美的特質を最もよく表わすものとして評価が高い。そうしたものの多くは、李朝初期のおおどかな量感にあふれた、質朴とも儒教精神にあふれたとも見える、やや曇った釉調の白磁である。しかし白磁自体は李朝を通して作られており、中期には澄んだ釉調で、軽やかな姿の白磁が作られるようになる。

この十長生文瓶は後期の作で、よく言えば陰りがないが下手をすれば重みに欠ける釉調の白磁である。文様は白土をちょうどケーキのデコレーションのように絞り出して描いたいわゆる「いっちん」という手法による。十長生は元日に王が家臣に下賜するといった、長寿を象徴する吉祥文様である、歳画に通じる、朝鮮ならではの文様といえよう。

(矢島律子)


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