植物園と系統保存事業

下園文雄


東京大学理学部附属小石川植物園は、今から約三〇〇年前の貞享元(一六八四)年に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」に源を発しており、園内には本植物園の長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物が系統保存されている。

植物園の歴史から見た系統保存
 園内植生から見た植物蒐集の歴史をたどってみると、徳川時代には幕府の薬草園として中国や朝鮮半島から薬用植物を導入し、漢方や本草学の研究が行われ、カリンやサンシュユ、サネブトナツメ、イチョウ、クスノキなどの古木が現在も系統保存され、当時の面影を残している。

 明治時代になると近代植物学をヨーロッパやアメリカに学び、近代的な植物園として改造され、世界各地の植物が導入されるようになった。日本で最初に輸入されたスズカケノキやユリノキ、アメリカスズカケノキは園の中央部に説明板が立てられて保存されている。明治時代の後期には、洋式の大温室が現在の場所に建設され、珍しい熱帯植物や洋ラン、シダ植物等が蒐集栽培されてきた。植物学教室が本郷から植物園内に移って、本格的に植物学の研究が進められ、名実共に東大植物園は近代植物学の発祥の地となった。その後、大正の関東大震災と昭和の大東亜戦争によって、それまで蒐集系統保存されていた植物のほとんどが荒らされてしまったが、戦後、東アジア地区を中心とする植物調査研究が行われるようになり、大学附属植物園の保有すべき植物種が検討され、東アジアを中心にした野生植物を収集・系統保存する植生配置実行計画がまとめられた。現在、中国産のハンカチノキやツツジの仲間、第三紀植物のメタセコイア、ニッサボクなど東アジアを中心とした野生植物が小石川本園に四、〇〇〇種、日光分園に二、二〇〇種が蒐集系統保存されている。東大植物園は、時代と共に研究目的において蒐集する植物種も変わってきたが、どの時代もできるだけ多くの生きた植物種を蒐集・栽培保存することが行われてきた。

精子発見のイチョウ
1 精子発見のイチョウ

ハンカチノキ
2 ハンカチノキDavidia involucrata(ダヴィディア科)



地球環境時代の植物園
 近年の地球規模における自然環境破壊など、野生植物の危機が訴えられている今日、絶滅危倶種の問題は、切実で急を要することとなっている。絶滅の危機に瀕する植物の現状調査や原因の究明、自然保護のあり方など、野生植物の保全のために植物園がどのように対処し、その役割を担っていくか、今日的な問題として植物園に対する期待には大きなものがある。

 東大植物園では、一九八一年頃から絶滅危倶種の問題と取り組んできた。当時から最も危機的な状況にあった小笠原の固有植物を植物園の施設に確保することからはじまった。しかし、野生植物は自生地の生育環境において進化し、これからも分化繁殖していくものである。人間が関与した自然環境破壊によって危機的な状況になった絶滅危倶種を植物園の施設に確保すればことたりる問題ではなかった。野生植物は自生地において繁殖し、系統保存されることが最も重要なことである。一九八五年、危機的な状況におかれた絶滅危倶種を自生地で復元する試みが東大植物園と小笠原支庁の協力のもとにはじめられた。この絶滅の危機に瀕する小笠原固有植物の復元事業について詳記してみたい。




なぜ小笠原の固有植物か
 小笠原諸島は東京の南約一、〇〇〇kmの太平洋上に浮かぶ島々で、これまでどの大陸とも陸続きとなったことのない典型的な海洋島である。ガラパゴスやセントヘレナ島を例にとるまでもなく、海洋島には他の陸地から偶然に渡った植物が、そこの環境に適応し隔離された環境下で適応放散を繰り返し、分化した固有植物が多く生育していることが知られている。また、海洋島の植物は特有の環境下で生育しているものが多く、生育個体数が極端に少ないもの、急激な環境変化に弱いもの、生育競争力の弱いものなどが多く、開発や自然環境破壊に非常に弱い特徴があり、世界中の海洋島で絶滅の危機に瀕する植物が多く報告されている。小笠原も例外ではなく、環境庁の調査報告書「小笠原固有植物保全対策緊急調査」によれば、小笠原諸島に自生する維管束植物四〇〇余種のうち八〇種が絶滅の危機にあり、とくに二一種については絶滅は時間の問題とされている。なかでも父島に一株だけとなったムニンノボタン、三株だけが生き残るオガサワラツツジ、母島に数株しかないホシツルランは最も危機的状況のものである。小笠原は十六〇年前までは無人島であった。明治時代に入殖が奨励され、開拓の名のもとに林は切り開かれていったという。そのつけが今、植物種の絶滅という危機を迎えているのである。人間の手で絶滅へ追いやられた植物は、今、人の手助けを待っているのではないか。
ムニンノボタン
3 ムニンノボタンMelastoma tetramerum(ノボタン科)の花



絶滅危倶種を自生地に復元植栽するには
 [生育特性の解明]生態系が破壊されると、生育できる環境条件の幅の狭い種が大きな打撃を受けることになる。また、絶滅の危機に瀕する野生植物には栽培の困難なものが多いということが経験的に知られている。野生植物の種の生育特性は、種ごとに異なっていている。生育特性は、自生地での野外調査と人工的な生育環境下における栽培実験などによって明らかにすることができる。東大植物園では、一九八三年、移植可能に育ったムニンフトモモの若苗二〇〇株を小笠原支庁に送り、自生地に植栽してもらったが、ムニンフトモモの自生地での生育環境と生育特性を調べずに植栽を依頼したために失敗した経緯がある。絶滅の危機に瀕する野生植物を自生地に復元植栽する場合は、その植物種の生育特性に基づいた植栽地の選定を行い、生育環境を整えていくことが絶滅危倶種の回復と生態系の保全につながる。

 [種子からの増殖]個体数の減少した種では、残存個体を傷めない注意が何よりも大切である。そこで、成体を損傷せず、散布体の形で得られる種子からの増殖は、最も有効な手段である。また、野生植物は、自然界で生育していくために多様な変異を蓄積しており、自然淘汰圧に耐えられる仕組みを維持している。絶滅危倶種の場合は、株数が非常に少ないか、生育地が局所的なものが多い。そのために遺伝子構成が比較的単純になっていることが考えられる。また、挿し木増殖や生長点培養などのクローン増殖の場合は、均一な遺伝子構成の集団を作ることとなり、栽培品種と同じ状態を作り出すことになる。管理が行き届かないと病害虫などで一斉に枯死する危険があり、自生地に植え戻して放置することは危険である。絶滅危倶種を自生地に植え戻す目的で人工増殖する場合は、できるだけ多くの株から種子を採集し、育てることが必要である。また、もう一つ重要なことは、種子採集を行った自生地に植え戻すことである。野生植物は、地域集団ごとに遺伝的変異を蓄積して分化している。同一の種であっても自生する地域・場所によって異なった変異型がつくられていると考えなければならない。遺伝子構成が同一であることが確かめられているのであれば別であるが、たとえ同一種と同定されるものであっても、ほかの地域の材料で、増殖したものを絶滅が危倶される場所に植え戻すことは、避けなければならない。

 [追跡調査]人工増殖によって得られた植物が自然環境下に植栽され、どのように植生を回復していくのか、種の生育特性と自生地の生育環境との関連で、植栽株が自生地にどのように定着していくかを追跡調査し、記録に残すことは、今後の自然史研究の上からも必要なことである。また、増殖した株を植物種の最適環境に植え戻して、活着したからといって復元が成功したわけではない。自然状況下で花をつけ、果実(種子)を結び、発芽生育する世代の交代が行われてはじめて、絶滅危倶種の回復の目処がたったということになる。




ムニンノボタンの増殖と復元植栽
 ムニンノボタンMelastoma tetramerum Hayataは、一九〇五年小笠原の父島で採集された標本にもとづき、一九一三年早田文藏によって命名された。戦前は、母島に自生するノボタンも同一種と考えられていたが、戦後の調査から両者は形態的に明らかな違いがあり、母島産はハハジマノボタンとして別種にされた。ハハジマノボタンは母島の乳房山に多くの群落が見られるのに対し、ムニンノボタンは、父島の中央山東平に一本の野生株が残存するだけの、まさに絶滅寸前の植物であった。この植物種がこれ程までの危機に追い込まれた原因は何か。その原因が明らかにならなければ、人工的に増殖して自生地に植え戻ししても植生の回復は望めないことから、ムニンノボタンが生育する自生地の調査と人工施設内での栽培実験を行った。
ムニンノボタン
4 ムニンノボタン−父島の東平に一株が残存した野生株

ムニンノボタン
5 ムニンノボタン−植物園の温室で育苗増殖

ムニンノボタン
6 ムニンノボタンの若苗を自生地に植栽


[自生地調査] 父島に現存する一株のムニンノボタンは、ヒメツバキとタコノキ、リュウキュウマツなどの生える疎林下で、雨水の溜る湿った場所に生育している。樹高一・二m、枝張り一・五mの小低木で樹勢も強く、毎年、良く花が咲き、一株から自殖で結実が見られた。種子は、人工施設内では良く発芽するのに、親木の周辺には発芽苗は一本も確認することはできなかった。一般にノボタンの仲間は、日当たりの良い林縁や草地の排水の良いところに生育する種類が多いのに、ムニンノボタンの生育地は、この属の植物としては例外的である。そこで、生育地の状況を参考に光条件と土壌条件、耐潮性等について比較栽培実験を試みた。

[光条件]東京の人工施設内で比較実験を行った。ムニンノボタンの発芽苗(五cm)、中苗(一〇cm)、大苗(一五cm)を実験区に三株ずつ植栽して、七月〜九月まで温室内と室外で比較栽培した温室内では、遮光幕なし(遮光率三〇%)と寒冷紗1枚遮光下(遮光率六〇%)、二枚遮光下(遮光率八〇%)で比較栽培した結果、遮光率三〇〜六〇%の実験区で最も良く生育し、遮光率八〇%では、芽先が枯れ樹勢が弱っていった。温室外の陽光下では、どの株も葉が紅紫色に変わり、成長が見られず芽先が縮れた。幼苗ほど被害が大きく枯れる株も見られた。このことから、ムニンノボタンは遮光率三〇〜六〇%くらいの明るい半日陰が適正生育光条件といえる。

[土壌水分条件]ムニンノボタンは土壌水分を多く必要とする植物である。鉢植えで栽培した場合は、鉢地の表面がやや乾いた状態でも苗の萎れが見られ、夏場は一日に二回の潅水でも萎れる株が見られることから、過湿ぎみに水を与えることが必要であった。このことは、ムニンノボタンは土壌水分を多く必要とする植物で、自生地の父島に残存する野生株が湿潤地に生育していることと一致する。

[耐潮実験]温室内で栽培するムニンノボタンの若苗に海水を霧吹きで噴霧して耐潮性を調べた。幼苗は一回軽く噴霧しただけで三〜四日後に枯死した。大苗でも三〜四日で落葉し、のち萌芽が見られた。同時に実験したムニンフトモモでは、まったく影響が見られなかった。ムニンノボタンは潮風に弱いことがうかがわれ、現存株が潮風を避ける凹地の樹林下にあることと一致する。

[自生地での植栽実験]施設内で得られたムニンノボタンの生育特性の結果を自生地で確かめるために、次の四ヵ所で予備的な植栽実験を行った。(1)日照地で土壌の乾いた場所、(2)日照地で土壌の湿った場所、(3)半日陰で土壌の乾いた場所、(4)半日陰で土壌の湿った場所。一年後のそれぞれの生育状態は、施設内での実験結果とほぼ一致するもので、(1)〜(3)ではほとんど成長が見られず、枯れる寸前のものもあった。(4)では良く成長し、強いシュートが伸びた株とやや暗過ぎるためか徒長ぎみの株が見られた。このことから、ムニンノボタンの生育環境は、明るい半日陰で土壌の湿った場所が適することが自生地でも確かめられた。

[自生地復元植栽]自生地の調査と施設内実験、自生地での植栽実験の結果をもとに一九八五年十一月、父島東平のムニンノボタンの野生株が残存する近くに生育条件を満たすと推定できる光条件、土壌水分条件に多少の幅をもたせて、潮風のあたらない七ヵ所を選定して一〇〇株を植え戻し植栽した。七ヵ所の植栽地のうち五ヵ所は、植栽当時、リュウキュウマツがマツノザイセンチュウで枯れた直後でヒメツバキとコブガシの明るい林内であったので、ムニンノボタンを植栽したが四〜五年で林内が暗くなり、徐々に枯れていった。当初からの植栽地二ヵ所と新たにつくった植栽地に追加植栽を行いながら育成を図った結果、一九九六年三月現在、一七四株が順調に生育している。最初の植え戻し植栽から一〇年が経過し、大きく育った植栽株には花も咲き、多くの果実(種子)をつけるが、自然状態ではこれまで次世代の発芽が見られない。その自生地において人工的に播種すると発芽生育することが実験から明らかにされている。自然状態で自己繁殖(世代の交代)が無ければ復元に成功したとは言えない。自生地で不発芽の原因が何に起因するのか、復元にあと一歩というところで足踏みをしている状態である。

[ムニンノボタンの新群生地発見]ムニンノボタンはこれまで父島の東平に一本の野生株が残存するのみであったが、一九九三年五月、父島の東海岸に一〇〇株以上の新しい群生地が発見された。これまで、遺伝的に極めて均一と考えられる、東平の一株からの増殖苗を自生地に植え戻してきたが、この発見によって多様な遺伝子を持った株の増殖が可能となり、自生地の復元も容易になると考えられ、自生地での不発芽の原因も解決できるものと期待された。しかし、東海岸の新群生地を調査し、東平の生育株と形態比較を行った結果、表現形質に大きな違いのあることが確認された。

ニンノボタンの生育株
7 自生地に植え戻したムニンノボタンの生育株

ムニンノボタンの五弁花
8 ムニンノボタンの五弁花

ハハジマノボタン
9 ハハジマノボタンMelastoma pentapetalumの花

ムニンノボタン
10 ムニンノボタンの種子
上:東平株。右下:東海岸株。左下:ハハジマノボタン



ムニンノボタン(東平、東海岸地区)とハハジマノボタンの形態的表現形質の相違点

ムニンノボタンの東平地区
 葉…葉脈が葉裏に三本凸出しており、五本目が僅かに見られる。
 花…白色四弁(東大植物園の系統保存株で一花の五弁花が咲いたことがある)
 種子…長さ 1mm〜1.2mm、幅0.66mm〜0.86mm、重さ(50粒)12mg。

ムニンノボタン東海岸地区
 葉…葉脈が葉裏に五本明瞭に凸出している。
 花…通常は白色四弁で五弁花が多く混ざって咲く。
 種子…長さ0.8mm〜0.93mm、幅0.53mm〜0.66mm、重さ(50粒)5mg。

ハハジマノボタン
 葉…葉質がやや薄く、葉脈が葉裏に五本明瞭に凸出している。
 花…淡紅色で五弁花
 種子…長さ0.73mm〜0.8mm、幅0.4mm〜0.6mm、重さ(50粒)5mg。

 以上のことから東海岸のムニンノボタンは東平のムニンノボタンとハハジマノボタンの中間的な要素をもった群落株であるといえる。そこで、種子からの次世代にも受け継がれる固定した表現形質であるのか、東大植物園の施設内で播種実験した結果、葉脈と花については固定していることが観察された。種子は未確認である。

[ムニンノボタンの野生株の枯死]父島の東平に一株が残存していた、ムニンノボタンの野生株が一九九五年一〇月枯れてしまった。これまで増殖してきた植栽株はこの一株の種子から始まっている。しかし、東大植物園には、一九八三年にこの野生株の枝から増殖した、遺伝的に同じと考えられる、挿し木による系統保存株が栽培されている。本年度は野生株の枯れた場所にこの系統保存株から挿し木増殖した若苗を植え戻すことが計画されている。




おわりに
 東大植物園では絶滅の危機にある小笠原固有植物の復元植栽をこれまでオガサワラツツジ、コバノトベラ、ムニンフトモモ、アサヒエビネ、ホシツルラン、タイヨウフウトウカズラなど一〇種類を東京の施設で増殖して自生地に植え戻してきた。どの植物も種の生育特性を調べ、試験植栽を行い植え戻すまでには時間のかかる仕事である。地球に生を受けて四〇億年の歴史の中でそれぞれに分化してきた命が、今、人間生活の影響で自生地から消えようとしている。植物園は、今何をなすべきか。ムニンノボタンは絶滅危倶種の持つ問題点をまざまざと我々に見せてくれている。これからの自然保護・自然の中における系統保存、地球環境時代の植物園における系統保存植物を考えることが、小笠原をはじめ、その他の地域で絶滅の危機に喘ぐ植物たちの声に答えることになるのではないだろうか。    (しもぞの ふみお)


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