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和田 維四郎   日本鉱物誌
 
和田維四郎肖像
- 和田 維四郎 肖像 -
 和田維四郎は安政3年(1856年)若狭国(福井県)小浜に生まれた。維四郎は、明治3年に14歳で貢進生に選ばれ、大学南校の独語コースに入学し、開成学校では、ドイツ人の鉱山技師Karl Schenkの指導で地質学・鉱物学を学んだ。当時はJohannes Leuniesの博物学の教科書一冊と約150点の鉱物標本しか備えられておらず、学生たちは紙で鉱物の模型を作って形態を理解したと伝えられている。維四郎は、明治8年にSchenkの推薦で開成学校の助教となったが、この年に来日したHeinrich Edmund Naumannとともに新設された金石取調所に勤務し、Naumannの指導を受けることとなった。明治10年の東京大学設置と共に、Naumannが理学部地質学科の教授に就任し、維四郎は助教となり、地質学・金石学(後の鉱物学)を担当した。この頃から維四郎は、矢継ぎ早に著作を出版する。明治8・9年に「金石試験記」、続いて明治9年「金石学」、明治10年「金石識別表」、明治11年「本邦金石略誌」、明治12年「晶形学」、「日本金石産地」・「金石対名表」、明治13年「博物館列品目録」である。
 これらを並べて、その内容を比較してみると、教育書と標本の整備が行われていった過程を時系列で追うことができる。鉱物標本収集・記載の集大成として、維四郎は明治37年に「日本鉱物誌」、明治40年に「本邦鉱物標本」を出版した。また大正5年には、和田維四郎の還暦記念として神保小虎・瀧本鐙三・福地信也によって「日本鉱物誌」が改訂版として出版された。さらに 戦後、新たに伊藤貞市・桜井欽一によって新版「日本鉱物誌」の出版が試みられ、第一部は昭和22年に出版されたが、第二部(珪酸塩鉱物)は未刊に終わっている。
     明治8年各府県金石試験記
     明治9年各府県金石試験記
     本邦金石略誌
     日本鉱物誌
     本邦鉱物標本
     日本鉱物誌(改訂版)
 
 
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