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ほこりをかぶった博物館—博物館と保全生物学の新しい動き—

高槻 成紀


偉大な植物生態学者にして、生態系という概念を作ったことで知られるタンスレー(A. G. Tansley, 1871-1955)は、生態学を、「広義においては、動植物のすみかにあるままに研究する分野である」といっている。彼のこのことばは、生態学がいわゆる博物学の流れを汲むものであることをよく示している。博物学はこの「ありのままに」ということばに象徴されるように、地上のありとあらゆるものをそのままに記述しようとする精神に支えられてきたといえるだろう。そのことは一方で近代的な生物学からの批判を受ける原因ともなった。近代生物学の主流は「一般原理」の追求にあり、たとえばDNAの発見はその最も輝かしい成果といえる。あの植物やこの動物にある無数の個別性にではなく、すべてに共通にあるものこそが普遍性があり、したがって価値があるとされる。生物学の中でも生理学に代表されるミクロバイオロジーあるいは生命科学と呼ばれる分野は、この一般性を重視するから、同じ生物学の中でも旧態然と「ありのままに」記述を続ける分類学や生態学とは相容れない部分があった。生物学者の中には分類学や生態学は過去の遺物であるとしてきびしい批判をする人もいたし、今もいる。

当然、生態学者自身の中からも、近代生物学への「脱皮」を測るべきだという声は上がった。皮肉なことにタンスレーの提示した生態系という概念は、「ありのままに研究する」方向へはあまり進展せず、むしろ湖の植物量と生産量がトータルでいくらあるかといった「一般性」解明へと流れていった。教科書として影響力をもったオダムの研究はそのひとつの到達点であろう。しかしその湖に生育する植物をひっくるめてトータルの重さで表現することによってそこに暮らす植物の個々の生活が無視されてよいはずはない。ここに、「近代生態学」と、後者の博物学的精神との軋轢が生じることになる。もちろん近代生態学をオダムひとりに代表させることはできないが、1970年以降の近代生態学に個別性の軽視があったことは否定できないだろう。

研究者には常に先鋭的に新しい理論や概念を求めるタイプと伝統的な流れに心惹かれるタイプがあるように思う。前者は新しいものを開拓しそれによって学問を押し進めるが、中には単に流行好きで次から次とはやりものを追いかけている人も少なくない。一方、後者は時間をかけて伝統を修得し、新知見をその中に取り込んでその伝統を構築してゆく。このような資質は知識や経験が重要である分類学や生態学では不可欠な要素だが、枚挙的になったり、ひとりよがりになる危険性がある。戦後の日本の社会状況を考えれば日々同じであるということに肯定的な考えをもつことは歓迎されにくく、研究者の数も後者よりは前者が多くなるのは必定であったように思われる。我々が欧米に行って強く印象づけられるのは後者のタイプの研究者が多く、それを支える研究機関が充実していることである。

さて、前者のタイプの研究者であれば必ず読むであろう雑誌のひとつにTrends in Ecology and Evolutionがある。頭文字をとってTREE と愛称されている。TREEは月刊誌で次々と最新の情報が取り上げられる。その中に私の目を引く記事があった。というのは一見この雑誌にふさわしくない、博物館がとりあげられていたからである。その記事の文章の書き出しは次のようなものであった。

「若手で前進的な生態学者には博物館はほこりをかぶった場所とみなす傾向があるようだ。」著者であるBrooke, M. de L. はそれに続けて、実はそうではないことを紹介する。1999年11月にイギリス鳥学協会がイギリスの自然史博物館で開いた集会はその考えが間違っていることを雄弁に示したというのである。

分類学についていえば、世界に鳥類の標本はおそらく3億点あり、これは鳥類学だけでなく分類学、系統学のかけがえのない材料である。したがってこの標本集団を有効に利用できるようにするのが博物館の大きな使命のひとつであるとする。

また鳥類は絶滅の危機にあるものが少なくない。絶滅を回避するためにも生息状態を知る必要があるが、博物館の標本データはこれを提供できる。ことに第二次世界大戦の前後の分布比較によって分布の変化を知ることができる。メキシコの鳥類について国内外50の博物館の1069種、30万点の標本について8年間のプロジェクトでデータベース化をしたところ、気候変動が鳥類の分布に与える影響が驚くほど見事に示されたという。さらに、1860年に絶滅したとされてきたフィンチの一種が、このような解析によって生息の可能性ありとされた場所で1995年になって実際に再発見されたという。これなどは博物館情報がまさに現代、そして将来的な保全生物学に見事に貢献した例というべきであろう。

私が最も関心をもったのは生態学に関するものである。これまで環境汚染によってスラッシュ(ツグミの仲間)の卵殻がしだいに薄くなっていることは知られていたが、最近の研究によると自然保護運動が始まって以来急に卵殻の厚さが回復したことも明らかになったという。これは現代の生態学者が野外調査だけをしても決して知ることはできないことで、博物館に標本が長年収集され保管されてきたからこそわかった事実である。

この記事を読むしばらく前、我々はわが国の博物館の情報を集結することによって動物や植物の分布縮小や絶滅の過程を明らかにすることはできないだろうかと考えて議論したことがある。そしてそのことを経時的に示すことによって地域的絶滅のスピードや、その原因が示唆されると考えた。残念ながら日本の博物館が保有する標本は欧米のそれに比較すればあまりに貧弱ではある。それでも日本の博物館には百年ほどの歴史があり、少なくとも本州の高等植物や、鱗翅目、鞘翅目などについてはかなりの標本がある。そしてこの百年は日本の動植物にとってまさに激動の時代であった。多くの動植物が環境汚染、都市化、生息地の分断などによって地域的絶滅をし、失われてきた。これらの変化が全国規模で整理されれば地域絶滅の過程がおぼろげながらも浮かんで見え、そこから逆に生き残るための条件を知るきっかけを示すことができるのではないかと考えたのである。そうであれば野生動植物の保全という21世紀の我々の社会にとってきわめて重要なテーマに重要な指針を与えることになるであろう。これは博物館が研究の成果を社会へ発信するひとつのよい例であると思われる。

そういう訳でTREEの記事はまさに我々の考えそのものを論じていたので驚いたのだが、それだけでなく、「ほこりをかぶった博物館」に新しい風を吹き込みたいと考えている人がいることを嬉しく思った。そして、そのことが古いものに批判的であると思われる進歩主義的な雑誌に掲載されたことに興味を覚えたのである。

 

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(本館助教授/動物生態学)

 

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Ouroboros 第12号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成12年10月1日
編者:高槻成紀/発行者:川口昭彦/デザイン:坂村健