目次 メッセージ 常設展示 資料部から コレクション 案内 ニュース

骨を見ること

木下 直之


写真絵葉書
写真絵葉書「本所被服廠跡惨死者遺骨の区分け」1923年(絵葉書帖『骨』法学部附属明治新聞雑誌文庫所蔵より)
常設展示
「骨 —かたちと機能を支えるシステム—」
会場:東京大学総合研究博物館
会期:1999年4月19日(月)〜9月10日(金) (展示は2000年度、2001年度にも継続します)
開館時間: 10:00〜17:00(入館は16:30まで)土日祝日休館
入館料:無料
普通のヒトならば、骨とは身体の中に隠されたものだと考える。だから、たまに骨が肉を破って姿を現わすと、本人ばかりか周囲も大騒ぎになる。「あいつは骨がある」と感心したり「骨抜きにしてやる」などと口走るのは、骨が自分の中心にあり、その周りに肉が付き、さらに上から皮をかぶっているのだと思い込んでいるからだ。
しかし、エビやカニに言わせれば、それはちゃんちゃら可笑しな話だということになる。彼らにすれば、骨とは、身体のいちばん外側にあるものだからだ。骨を中心に身体について考えるのは、ヒト中心の、あるいは脊椎動物中心の見方にすぎない。
ヒトは内骨格、エビは外骨格と呼ばれる。骨格とはかたちを支えるという意味を持たされた言葉で、それを細胞レベルにまで探っていけば、細胞骨格と名付けるほかないものにぶつかる。 展示は、電子顕微鏡で見たヒトの細胞骨格の姿を、ヒトの全身骨格が眺めているシーンから始まる。いわばマクロの骨によって眺められるミクロの骨である。展示されているのは片や模型、片や写真だが、たとえ実物がそこで向き合ったところで、両者の共通点はかたちを支えるという機能ぐらいしかない。それをヒトはどちらも骨格と呼んでいるのだ。
展示の企画を練り始めたころは、展示室に骨を並べればいいと軽く考えていた。しかし、骨がヒトと無関係に存在するのではなく(もちろん物理的には存在する)、何を骨と呼ぶかによって骨は意味を変えるのであれば、ヒトが骨をどう眺めているかが検証されねばならない。そこで、骨とヒトの関係に視野を広げ、骨の保存や骨の利用の仕方を紹介することになった。 展示室の一隅にそっと組み入れた宮武外骨(みやたけがいこつ)の旧蔵絵葉書帖は、骨をテーマにした絵葉書だけを集めたものである。それは骨の即物的な利用とは次元がまったく違う。骨は絵葉書というメディアを得て、眺められるためのイメージと化しているからだ。
ここに紹介する遺骨の絵葉書を、「こんなものまで商売にして」と眉をひそめて済ますわけにはいかない。関東大震災(1923年)の直後には、遺骨ばかりでなく、犠牲者の遺体の写真も絵葉書になって大量に出回った。それを手にすることは、単なるニュースの入手というよりは、慰霊や鎮魂につながる行為だったかもしれない。というのは、この78年前に起こった安政大地震(1855年)の際に、やっぱり大量に市中に出回ったかわら版や災害誌は、個別の情報提供とは別に、総体として、被災体験の沈静(今でいう被災者の心のケア)という役割を果たしたと思われるからだ。
関東大震災当時の日本人と76年後のわれわれとでは、死や死者に対する見方が違っている。絵葉書帖『骨』は、そんなズレを教えてくれる貴重な資料である。
ちなみに、反骨のジャーナリスト宮武外骨の本名は亀四郎(1867〜1955)。亀は外側に骨を持つ。よって外骨を名乗ったのだといわれる。これだけでも、外骨は、この展覧会への参加資格を十分に有している。

footer

(本館助教授/近代日本美術史)

  

Back Up For

目次メッセージ| 常設展示| 資料部からコレクション案内ニュース


Ouroboros 第8号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成11年6月1日
編者:西秋良宏/発行者:川口昭彦/デザイン:坂村健