現在も作られる土偶


 先史時代の遺跡からよく土でできた人物、動物などの像が出土する。それを土偶という。縄文時代の土偶はよく知られているが、西アジア新石器時代遺跡においても土偶は一般的な遺物である。特にポピュラーになるのは先土器新石器時代Bの後期以降、つまり9,500年前頃より後である。当初は日干しの非焼成土偶であるが、土器が作り始められる8,900年前頃になると焼成土偶が増え始める。

 新石器時代の人たちが土偶を何のために作ったのか、何に使ったのか。答えは難しい。単なる飾り物、愛玩物、おもちゃ、儀礼の道具、…など、現代の人形を見ても用途は多様である。先史時代にあっても、さまざまであったと用心してかかる方がよい。

 西アジアの伝統的農村では現代においても土偶が作られている。1960年代に南イラクのユーフラテス川流域にあるヒバという村の民族誌を記載したE.L.オセンシュラーガー(Ochsenschlager 2004:79-85)によれば、多くの場合、子供がおもちゃとして作っているという。ヒツジ、ヤギなどの動物や人物、家や家具、舟や乗り物などおよそあらゆるものを作って遊んでいるのだそうだ。ただし中心は身近な題材であって、見たこともないのに作っているのは本などで知っているライオンくらいだと述べられている。

 
図1 現代シリアの土偶作り。セクル・アル・アヘイマル村、2006年 図2 次々にできあがる土偶

 私たちが発掘しているシリアのテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡の村人も、かつては土偶を作って遊んでいたという。発掘を手伝ってくれている若者の二人が、再現してくれた(図1、2)。近くを流れるハブール川でビニール袋いっぱいに粘土をとってきて、遺跡の脇で作り始めた。いずれも20代の若者である。どうやって作るのか興味深く見ていたが、製作は実にあっけない。手慣れた風に粘土をこねて次々に作った。一個あたりの製作時間はものの2-3分と言ったところだ。できあがったのは、ヒツジやヤギ、ラクダ、そして女性土偶であった(図3)。

図3 できあがった土偶

 発掘でヒツジやヤギ、女性土偶が出土するのを知っている若者たちだから、それらを思い浮かべて対象を選んだことは十分に想像できるが、ラクダは別である。そんな土偶は新石器時代の遺跡から出土しない。ヒツジは実によくできている。特に写真中央手前(図3)の雄ヒツジは細工が細かい。ひねりの加わった角や首筋の筋肉の盛り上がりなどは、同行していた動物学の専門家をうならせるほどであった。また、どのヒツジにもおしりには平たい座布団のようなものがぶらさがっている。しっぽにたっぷり脂肪を蓄えた現代のシリアヒツジである。新石器時代にはそこまでの品種改良は進んでいなかったはずである。一方、女性土偶は少々、不細工である。見知った家畜の出来映えが秀逸であるのに対し、女性像はそうでもないのは興味深心。

 
図4 テル・セクル・アル・アヘイマル出土の女性土偶。先土器新石器時代B期後半、約9,200年前 図5 テル・セクル・アル・アヘィマル出土の女性土偶。土器新石器時代初頭、約8,800年前
図6 テル・セクル・アル・アヘイマル出土のヒツジ形土偶。土器新石器時代初頭、約8,800年前

 南イラクの現代土偶にしてもテル・セクル・アル・アヘイマルの例にしても、細部は別にして新石器時代の作品と似ていると言えなくもない(図4-8)。遺跡で見つかる土偶にもこのような玩具が含まれている可能性は確かにある。しかし、考古学者の多くは、少なくとも女性土偶は玩具でなく儀礼用品であったと考えている。今回テル・セクル・アル・アヘイマルで見つかった写実女性土偶のように実に手の込んだ作りをもつ特殊な作品が含まれていることや(Nishiaki in press)、広い地域で定型化が進んでいることなど、気まぐれで製作したものにはとうてい見えない。また、室内を中心とした特定の場所から出土することが多いことも、特殊な用途を示唆している(Hamilton 1996)。

図7 イラン、マルヴ・ダシュト平原の動物土偶。土器新石器時代、約8,300-7,200年前。背筋を伸ばした右上の作品はヤギか。
 
図8 刺突痕が残る動物の脚部。テル・セクル・アル・アヘイマル、先土器新石器時代B期末、約9,000年前。

 一方、動物土偶はどうだろう。新石器時代の動物土偶には各地で著しい共通点がある(図6-8)。それは題材が、ヒツジやヤギ、ウシなどの家畜動物にほぼ限られていることである。ガゼルやノロバのような狩猟動物とも身近に接していたに違いないが、そのような表現は稀であるし、まして現代の玩具にみられるような多様性は全く認められない。動物土偶も、多くは玩具と言うより、やはり一定の目的で製作された品物であったと考えるのがよいのだろう。

 土偶が一般化する前の先土器新石器時代A期からB期前半には石像や石版などが作られていたが、そこでモチーフにされていたのは食用動物ではなかった。ライオンや猛禽類、サソリといった、人がコントロールできない恐ろしい生物であった(フェルフーフェン論文参照)。ヒツジ・ヤギ、ウシなど身近で人間の支配がおよぶ家畜動物が土でつくられるようになるのが先土器新石器時代B期後半以降なのであって、それは家畜化が完了しつつあった時期に一致している。動物界に対する人々のとらえ方が広い地域で一様に変化したものらしい。

図9 テル・セクル・アル・アヘイマルの9,000年前頃の屋外炉
このようなところの土をフルイにかけると土偶の破片がみつかる。

 その頃の集落であるテル・セクル・アル・アヘイマルでは既に100点を超える動物土偶が見つかっている。他の遺跡と同じく、種が同定できそうなものは家畜動物ばかりである。興味深いことに、出土した場所を集計してみると、炉の中やその周囲、灰層など火を使う施設付近に集中していた(図9、西秋2006)。しかも首がなく壞れたものが大半であった。用途の推定はなお簡単ではないが、あるいは「送り」の儀礼がおこなわれていたのだろうか。

西秋良宏

Hamilton, N. (1996) Figurines, clay balls, small finds and burials. In: I. Hodder (ed.) On the Surface: Catalhoyuk 1993-96, Ankara: British Institute of Archaeology at Ankara, pp.215-263.

Nishiaki, Y. (in press) A 9000-year-old realistic female figurine from Tell Seker al-Aheimar, Northeast Syria. Paleorient.

Occhsenschlanger, E. L. (2004) Iraq's Marsh Arabs in the Garden of Eden. Philadelphia: University of Pennsylvania Museum.

西秋良宏(2006)「北メソポタミア農耕村落の起源—テル・セクル・アル・ア ヘイマル遺跡の第6次調査(2005年)『考古学が語る古代オリエント』日本西アジア考古学会、22-28頁。