毛織物の圧痕


図1 イラン南西部、ヘイラバード村での乳製品つくり。1950年代撮影

 動物の家畜化はなぜ始まったのか。狩猟に出かけなくとも食肉を得るため、という見方は今や疑問視されている。家畜化が最初に始まった西アジアでは遅くとも10,500年前頃には家畜を飼養し始めていたのに、当初の1,000年以上もの間は、もっぱら食肉は野生の狩猟獣から得ていたことが明らかになってきたからである。食料としての肉を本格的に家畜から得るようになったのは9,500年前以降のことである。したがって、当初の家畜化は、それをもつことによって発生する社会的価値を追求することに目的があったのではないか、さらには肉以外の資源に注目した行為だったのではないかとの意見が俄然注目を集めている(マシュクール他論文参照)。

 確かに、家畜化の開始は社会が複雑化する時期に相当するから、そのような見方は大いにありうる。いずれにしても、食肉目的以外の家畜利用がいつ頃どのように始まったかのが検討されねばならない。出土する動物骨の年齢分析によれば、ミルク利用の開始は相当に早くから始まった可能性がある。動物のミルクをそのままでは消化できない人が多いのは事実だが、チーズやヨーグルトといった乳製品に加工してしまえば問題はないし、そうした加工は土器がない1万年前でも十分に可能であったに違いない(図1)。

図2 イラクの羊飼い。1950年代撮影

 一方、羊毛の利用が目的になるのは早くとも8,500年前以降であったらしい(図2)。羊毛そのものは有機物であり遺跡に残ることはまずないから、考古学的証拠は多くない。動物骨や紡錘車などなど間接的な証拠をつなぎあわせて、その利用を推測しているのが現状である(図3、須藤論文参照)。そんな中でユニークな証拠として改めて注目されるのが、江上波夫の調査団が1964年にテル・サラサート2号丘で発見した土器に残されていた圧痕である図4)。大きな龍骨部(角張った部分)をもつ粗製土器で、最近の放射性炭素年代測定によれば8,500年くらい前のものである(Nishiaki and Le Miere 2005)。シリアのテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡でさらに古い土器が見つかるまで、メソポタシア最古の土器として知られていた。

図3 イラク、イランの紡錘車。1950-1960年代収集(曾野寿彦コレクション)

 龍骨部をよくみると、織物の圧痕が残っている。土器を作っているとき粘土がやわらかいうちに偶然ついたのであろう。当時これを鑑定した小川章子氏によれば、その特徴は次のようである(松谷1970)。圧痕は幅1.8cm、長さ2.3cmほどの範囲に残っている。緯糸は表面にみえないが、経糸は荒い繊維で太細不均等な、いわゆるS字撚りである。経糸は太く1cm間に約4本、一方、緯糸は細くて直径約1mmたらず、1cm間に約13〜14本みえる。材料は山羊、羊の類であろうとされている。経糸のはりが強く緯糸のはりが弱いのでマットなどの織り方に近いものという(図4、松谷1970:64)。イラクのジャルモ遺跡やシムシャラ遺跡でも土器ないし土製品に類似した圧痕が残されていたとの報告がある(松谷1976)。時期はテル・サラサートの場合とほぼ同じか、それよりやや新しい。

 発見当時は土器の古さのみが注目され、圧痕はあまり話題にもならなかった。しかし、動物考古学という独立した分野の研究が進展したことによって羊毛利用の進展がこの時期にあったことが推定されるようになった現在、きわめて興味深い例として再浮上している標本である。「山羊・羊の類」の毛が利用されたものらしいとは言うが、実際、それがいわゆるウールヒツジであったのかどうか大変興味がもたれるところである。

西秋良宏

 

 

図4 テル・サラサート出土の新石器時代土器に見られる毛織物圧痕

図5 はたを織る女性。イラン南西部、ヘイラバード村。1950年代撮影

Nishiaki, Y. and M. Le Miere (2005) The oldest pottery Neolithic of Upper Mesopotamia: New evidence from Tell Seker al Aheimar, the Upper Khabur, Northeast Syria. Paleorient 31(2):55-68.

松谷敏雄(1970)「粗製無文土器」深井晋司・堀内清治・松谷敏雄編、『テル・サラサートⅡ』62-78頁。東京:東京大学東洋文化研究所。

松谷敏雄(1976)「北メソポタミアにおける最初の紡錘車の形態」江上波夫教授古稀記念事業会編、『江上波夫教授古稀念論集 —考古美術編』281-295頁。東京:山川出版社。