38 今日の複製技術と文化財——「デジタル・コピー」の可能性





 近年デジタル画像の加工技術が目覚ましい発展を遂げている。写真や印刷など従来の複製技術は、それがいかに高度な水準に達していても、つねになんらかの「モノ」を支持体に利用せざるを得ない。その意味で、言葉の厳密な意味での「同一物」を複製することはできないのである。それに対し、デジタル画像は理論上まったく「同一」のヴァーチャル・イメージをいくらでも複製することが可能である。デジタル技術は写真の登場を契機に花開いた「複製文化」を近代の遺産として過去に葬り去り、複製の技術的可能性に新たな位相をきり拓きつつある。


38-1 複製絵画掛図『藤原隆信筆源頼朝像 神護寺』
写真複製画、額装、縦126.0、横89.0、「東京帝國大学図書印」「東京帝国大学附属図書館 村山龍平氏寄贈」「大正三年十月二十八日」の蔵標あり、東京大学総合研究博物館美術史部門

 日本美術史学の教育用複製。写真による複製も今日ではありふれたものであるが、当時としては実に貴重な教材であったに違いない。乾燥により画面に亀裂が走り、また劣悪な修理が施されている。


38-2 同上の現状デジタル修復復元
パネル貼り、縦126.0、横89.0、2001年、日立製作所試開発センタ

 傷んだ箇所をデジタル技術により修復したもの。これは「現状」の修復復元物である。

38-3 同上の仮想デジタル復元
パネル貼り、縦126.0、横89.0、2001年、日立製作所試開発センタ

 近年、東京大学総合研究博物館は、いわゆる大学の中にだけ閉じこもったミュージアムでなく、広く一般に門戸を開いたオープンなミュージアムへと大きく変貌を遂げようとしている。こうした中、新しいミュージアムの方向を模索し、多様の展示が計画され、実施されてきた。そして、そのいくつかはマスコミでもとりあげられ、注目されている。

 ところで、「ミュージアムとはいったい何であろうか?」、この問いに対し、国際美術館会議初代議長ジョルジュ=アンリ・リヴィエールはミュージアムを次のように定義している。「知識の増大、文化財の保護・自然財の保護と発展、教育、文化を目的として、自然界、人間界の代表的遺産の収集、保存、伝達、展示を行う社会的施設」。図1-1は、この概念を示したものであり、収集・保存、管理、伝達等の各機能が相互に関連し、ミュージアムを構成している。

図1-1 ミュージアムの定義

 また近年、デジタル技術の急速な発展にともない、これを応用しミュージアムを一新する構想、すなわちデジタルミュージアム構想の重要性が増している。図1-2は、この考えを示したもので、ディジタルミュージアムの機能を示すものである。文化財・自然財などの素材はデジタル化され、データベースで蓄積・保存・管理される。このデジタルデータを元に、デジタル修復・復元、デジタルプリント・レプリカの作成、ビジュアル講演会、ディジタルシアターなどデジタルアーカイブ活動の様々な展開が可能となる。ここでは、素材の持つ情報を最大限に引き出すことが重要であり、このため、どのようにデジタル化を行うか、またこれをどのように活用するかが大きな問題となる。

図1-2 ディジタルミュージアムの機能

 日立製作所では画像を中心としたデジタル処理技術とその応用システムとしてDIS(Digital Image System)を開発しており、ここでは真長寺所蔵『月天』、国宝『源氏物語絵巻』のデジタル化・デジタル・プリントを具体例として、その内容を報告する。

 DISは「時間と空間を越えて美と感動を伝える」を基本コンセプトに、画像を中心としたデジタル処理技術と処理したデータをマルチユースに展開するシステムの総称である。DISではコンテンツの入力・処理・保存・出力の各プロセスを一貫してデジタル処理することで、コンテンツの持つ情報を最大限に活用可能とする。画像処理技術としてはディエイジング(時間経過とともに退色、変色した画像を、描かれた当時の色調に復元)、リペアリング(経年変化や取扱い不良によるしみや汚れあるいは傷などの不要成分を除去し、描かれた当時の状態に復元)、変形(撮影時のレンズによるひずみの補正等、画像を目的の形状に変形)、カラーモーフィング(画像の色調を目標とする色調に変更)などがある。

 これらの処理を組み合わせた例を図2に示す。素材は京都西芳寺(苔寺)の庭園を4カ所から撮影した写真である。各写真には、微妙な色調の違い、撮影時の角度の違い、レンズによる歪み等が存在する。これら各写真間のズレを補正し、違和感のない一枚の写真に合成した。完成した映像は人間の視野角、あるいは周辺の木々の影響により、実際には一度に見ることができない映像である。DIS技術を用いることにより、実物に極めて忠実な映像、制作当時の状態を再現した映像、さらにはヴァーチャルでありながら、よりリアルな映像の作成が可能となる。

図2

『月天』は岐阜市三輪の真長寺が所蔵する十二天のうちの一幅の掛け軸で(他には「日天」「風天」など)、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて制作された仏画(日本画)である。今春、この掛け軸が東京芸術大学によって修復され、風格のある穏やかさがよみがえった。この修復した原本をもとにDIS技術を使ってデジタルプリントを作成した[図3-1]。作成は以下の手順で行った。まず、画像をデジタル化してシステムに入力する。次に質感や色合いを忠実に再現するための様々な画像処理をコンピュータ上で行う。さらに処理結果を大型カラープリンタを使って出力する。最後に掛け軸の形に表装を行う。今回はさらに、これを二倍の寸法に高品位拡大したデジタルプリントも併せて作成した。以下、デジタルプリント作成にあたっては、質感の再現を重視した。入力時の情報量と出力する素材の選択は、プリント出力の質感に大きく影響を与える。細かなタッチや和紙などの画材の表現が充分に行えるだけの映像情報を入力するため、全体を一度で入力せずに、数回に分けて分割入力した。入力した複数画像をコンピュータ上で再合成する事で、高品位な画像データが得られる。さらに、様々な素材を使って実際にプリントを行い、本物に最も近い質感が得られる素材を選択した。今回はつや消しの合成紙と布とが最終候補になったが、表装に適した布を採用した。また、色合いの再現については、日本画で用いている岩絵具の発色を、プリンタで使っている数色のインクの組み合わせで完全に再現するのは本来不可能な事であるが、鑑賞する場所など、ある特定の条件を加えれば、かなり忠実な再現が行える。忠実な色再現のため物理的手法と主観的手法の二つの方法を用いた。物理的手法(実物とプリント出力の物理量を測定し、それぞれが等しくなるようにすること)は主に初期段階に用い、主観的手法(実物とプリント出力を人間の目で評価し、同一箇所の色合いが近づくようにすること)は最終段階での微調整に用いた。

図3-1

 一旦デジタル化された作品は、様々なサイズの画像へ変換し、細部を鑑賞することができるようになる[図3-2]。また、赤外線映像などとの比較も容易となり、肉眼では見ることのできない下絵などとも比較することができ、その表情の違いなどが確認できる[図3-3]。これらのデータは、細部の鑑賞などのほかに、コンピュータを用いた作品解説システムなどにも利用することが可能となる。

図3-2
図3-3

 国宝『源氏物語絵巻』は平安時代に紫式部が著した世界最古の長編小説「源氏物語」を絵画化したもので、平安の美を現代に伝える我が国の至宝である。絵巻は本文を書き写した詞書とそれに対応する絵により構成されるが、現在は保存目的のため絵巻形態を解き、詞書と絵を切断し保管されている。現存する絵巻は全体の四割以下で、徳川美術館に十六段、五島美術館に四段が所蔵されている。これらの絵巻は多くの人に公開する必要があると同時に、後世へ向けて保存する必要があり、これらは両美術館のかかえる相矛盾する問題である。両美術館では年に一回程度のごく限られた機会に一部を展示しており、なかなか見ることができないというのが現状である。

 これらの問題を解決するため、両美術館所蔵の全二十段をデジタル化し、データベースを作成した。これによりデジタル映像による作品の鑑賞を可能とした。また一部の絵に対し、科学的分析結果を踏まえ、平安の美しい色彩を再現するデジタル修復を試みた。さらに、デジタル技術により質感を表現するため絵巻の再現を行った。現在は分割して保存されている詞書と絵とをコンピュータ上で一枚に再結合し、得られた高精細データに、ディジタルプリント技術と伝統の装丁技術を合わせ、絵巻形態の再現を行った[図4]。絵巻の制作では、色調の忠実な再現に加え、質感の表現あるいは耐久性も含めた検討を行った。作成した絵巻は細部まで忠実に再現されており、展示・鑑賞用、さらには研究用途から絵画や書道の手本として幅広い活用が期待できる。

図4

(神内俊郎+池庄司伸夫+持丸芳明+本田浩一)




【文献】

ダニエル・ジロディ&アンリ・ブレイ『美術館とは何か ミュージアム&ミューゼオロジー』、高階秀爾監修。
神内他「ディジタルイメージシステムの開発とその応用」『日立評論』、第79巻、1997年、27−34頁。
神内他「ディジタルイメージシステムの開発とその応用(その二)」『筑波大学感性評価構造モデル構築プロジェクト年次報告集』、第2巻、1999年、399−404頁。
神内他「ディジタルイメージシステムの開発とその応用(その三)」『筑波大学感性評価構造モデル構築プロジェクト年次報告集』、第3巻、2000年。
「先導的アーカイブ映像制作支援事業」報告、(財)新映像産業推進センター編『デジタルアーカイブ』、1999年。
『先導的アーカイブ映像制作支援事業作品集』、(財)新映像産業推進センター、1999年。
神内他「ディジタルイメージシステムの開発とその応用(その四)」『筑波大学感性評価構造モデル構築プロジェクト年次報告集』、第4巻、2001年。



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