31 模型として保存される「かたち」





 鉱物学標本の模型は、徹底して「かたち」の保存のために存在する。どのようなものも実物から象り復元され、そこに複製された「かたち」が唯一無二の学術情報として保存されることになる。19世紀にドイツのクランツ商会の製造した石膏模型標本では、そのものが何であったのかを示す「標本ラベル」の有無に学術的な価値の大半が依存している。それを欠く模型はただの石膏の塊にすぎないのである。


31-1 世界最大白金塊(レプリカ)
石膏に白金箔、最大長18.0、最大幅8.0、ドイツ、クランツ商会(?)、1850年から72年のあいだ、東京大学総合研究博物館鉱物部門蔵

 このレプリカには標本ラベルが残されていないが、おそらく金塊レプリカと同様、ドイツのクランツ商会製と思われる。クランツ商会の記録によると、これは1843年にロシアのウラル山脈タギルスク(Tagilsk)で採掘された重量9.623キログラムの白金塊をもとにしたものと考えられる。


31-2 世界最大金塊(レプリカ)
石膏に金箔、最大長36.0、ドイツ、クランツ商会、1850年から72年のあいだ、「Modell von der grossten im Seifenwerk von Miask im Ural am 26.Oct,1842 gefundenen 87Pf. schweren Goldmasse, nach dem Original in der Sammlung des Bergcorps in St. Petersburg. Dr. A.Krantz in Bonn」の標本ラベルあり、東京大学総合研究博物館鉱物部門蔵

 標本ラベルによると、このレプリカの原型は1842年10月26日ロシアのウラル山脈ミアスク鉱床で採掘された重量87ポンド(ドイツの1ポンドは500グラムに相当することから43.5キログラム)の金塊である。1872年にオーストリアのニューサウス・ウェールズ州のヒル・エンド鉱山で発掘された214.32キログラムのものによって記録が塗り替えられるが、サンクト・ペテルブルクの鉱山組合の所蔵になった当時としては文字通り世界最大級の金塊であった。制作者は1833年ドイツのフライブルクに鉱物標本商を開業したアダム・アウグスト・クランツ博士である。彼は1837年にベルリンへ移転し、1850年にボンに商会を構えている。その後、クランツ商会は一族の経営するところとなり、現在もボンに「クランツ商会」として存在する。クランツ商会によると、この金塊レプリカはアウグスト・クランツがボンで経営を行っていた時代すなわち、1850年から1872年のあいだに売却したものであるという。
(中村雄紀)


31-3 世界最大金塊(レプリカ)
石膏に金箔、最大長36.0、ドイツ、クランツ商会(?)、1850年から72年のあいだ、ラベルなし。東京大学総合研究博物館鉱物部門蔵


31-4 鉄隕石(IV-A)(オリジナル)
重量25.0キログラム、1836年発見、東京大学総合研究博物館鉱物部門蔵


31-5 鉄隕石(IV-A)(レプリカ)
ポリエステル樹脂に彩色、日本製、東京大学総合研究博物館鉱物部門蔵

 ナミビアのギベオンに落下したもので重量25.0キログラムの隕石。1838年に発見された。90パーセントが鉄でできているため非常に重い。内部はオクタヘドライトと呼ばれる規則正しい八面体構造を持っている。これは十万気圧で約300度までゆっくりと冷却するときにできるもので、そのことからこの隕石は惑星規模の母天体内部で生成されたと考えられる。
(中村雄紀)


31-6 鉄隕石(石膏レプリカ)
ドイツ製、長25.0、幅23.0、「Meteoreisen, Modell der bei Sareta in Russland gefallenen Masse」の標本ラベルあり、東京大学総合研究博物館鉱物部門蔵

 標本ラベルによると、ロシアのサレータ付近に落下した鉄隕石をもとにしたものである。明治時代にドイツのクランツ商会から購入された。



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