第1章

エクスペディシオンの原風景—明治から戦前




国が外に開かれた時代。東京大学が帝国大学と呼ばれていた頃、「外」は学術の一大キーワードであった。お雇い外国人の招聘や教授候補生の留学など外からの学術輸入。

その一方で、江戸時代以来続いていたカラフト等の国防調査に加えて、大学派遣の海外調査も始まった。スウェーデンのスウェン・ヘディンやイギリスのオーレル・スタインら欧米諸国の探検家がアジア奥地の踏査に覇を競っていた頃である。東京大学の教官や学生も東アジア諸国で、習俗、文化、資源、生態等、多岐にわたる調査を繰り広げた。

それは大陸情報の収集という国策にかなうものでもあった。

外遊そのものが希であった頃の海外調査においては、派遣された研究者の意気込みも責任も戦略も現在とは大きく異なっていた。戦前、戦後間もなくの調査を回顧することで、未知の土地の踏査に胸おどらせた研究者の冒険心や探検心にふれてみたい。




前頁へ   |   表紙に戻る   |   次頁へ