数理模型レファレンス標本について


河野俊丈 東京大学大学院数理科学研究科



 ヨーロッパの大学の数学教室などを訪ねると、硝子のショーケースにおさめられた古い幾何学模型を見いだすことがある。模型の素材は石膏、木などで、大部分が19世紀末から20世紀初頭に、おもにドイツで製作されたものである。ドイツ製のこのような模型の一群が、実は、かなりよい保存状態で、東京大学大学院数理科学研究科にも保管されており、現在、修復整理の作業が行われている。このたび開催された特別展で、その一部が展示されている。東京大学名誉教授の彌永昌吉先生によると、これらの模型は、東京大学理学部数学教室に1904年から37年まで在職された中川銓吉先生が、第一次大戦中あるいはそれ以前に輸入されたとのことである。当時は、理学部数学教室の授業にも模型が用いられていたようである。模型には、20世紀初頭にマルチン・シリング社によって刊行されたドイツ語のカタログ[MARTIN SCHILLING 1904]が添えられており、模型の製作も、前述の通り19世紀末から20世紀初頭であったと推察される。なお、今回の特別展には、日本で製作された木製の幾何学模型なども含まれている。

 このような模型のもっとも完全なコレクションは、ゲッチンゲン大学に残されているものである。ゲッチンゲン・コレクションの資料によれば模型の組織的な製作が始まったのは1870年頃のようである。1873年のベルリン科学アカデミーの月報に、アカデミーの会合で当時のドイツを代表する数学者の一人であるクンマー(E. Kummer)が、彼自身の製作によるシュタイナーのローマン曲面のモデルを披露し議論が行われたことが記されている。シュタイナーのローマン曲面のモデルは、残念ながら東大のコレクションには含まれていないようであるが、挿図1に文献[G. Fischer 1986]に掲載されている図版と、現代のコンピュータ・グラフィクスによるシュタイナーのローマン曲面をあわせて示した。マルチン・シリング社のカタログの解説の中にもクライン(E. Klein)、ブリル(A. Brill)らの名前が見え、当時、一線で活躍した数学者が、模型製作のプロジェクトに関わっていたことをうかがわせる。とりわけ、クラインは視覚的な曲面の形状の把握に裏付けられた幾何学の研究、教育に熱心であったようで、特別展にも展示されている三次曲面の模型[157-1]は、彼の学生の学位論文のテーマと関連して製作されたものである。


 我々は、これらの模型の精緻さと、現代のコンピュータ・グラフィクスにもまさる圧倒的な量感に驚かされる。また、模型を通して、当時の数学者の追究したテーマが直裁的に視るものに伝わってくる。模型は、いわゆる石膏どりという技法で、粘土のオリジナル模型から石膏による複製を製作するというものである。製作の技術的側面に関して残っている文献は一点のみである[Catalog der Modellsammlung 1882]。挿図2にその一部を示したが文面から高度の職人芸がうかがわれる。模型の製作は、第一次大戦によって中断され、その後、模型の需要の減少などにより、それまで製作にあたってきたマルチン・シリング社は1932年をもって製作を中止する。これが抽象代数学の基礎の確立と期を一にすることは象徴的である。50年代以降、幾何学の研究も抽象化の道を歩み、スキームの理論、コホモロジー理論など高度な概念が開発されていく。このような概念により、数学者は例えば、数論の問題を幾何的に考察するなど、いままでかけはなれていると思われていた分野の間の共通言語を創造することに成功した。しかし、このような数学の発展によって、模型の意義が失われるわけではない。たとえば、フラクタルの理論などは、20世紀はじめにすでに理論の萌芽があったが、数学者がコンピュータ・グラフィクスの技術を手にして、図形を実際に視ることができるようになってから、急速な発展を遂げた。抽象的な高度なテクニックを得た我々も幾何学的対象の実体を視たいという欲求は、つねにあるわけで、視ることは理論的な側面と一体になって数学の発展を支えているといえる。


 今回展示されている模型は、おおまかに分けて、代数曲面とその特異点の構造をあつかった代数幾何学に関するもの、定曲率曲面、極小曲面などをあつかった微分幾何学に関するもの、楕円関数など複素関数論に関するものに分けられる。以下、ジャンルごとに代表的なものをとりあげて、その見どころと数学的背景を若干説明しておく。詳しくは、文献[G. Fischer 1986, D. Hilbert and S. Cohn-Vossen 1993]を参照されたい。

i 代数曲面

 二次曲面は、大学初年級の数学でも教えられるように楕円面、双曲面、放物面に分類される。一葉双曲面はいわゆる線織面であり、その上に無限個の直線がのっている。複素三次曲面の場合には、一般には27本の直線がのっていることが知られているが、[157-1]の模型は27本の直線がのっている実三次曲面を示したものである。模型には、実際に27本の直線が描かれている。曲面上には、3本の直線が交わる点が10個ある。また、ねじれの位置にある6本の直線が2組あり、他の15本の直線はこれらの直線との交わり方によって特徴づけられている。この直線の配置は、シュレフリ(L. Schläfli)によって詳しく調べられた。一群の模型では、特異点をもつ三次曲面上の可能な特異点とその組み合わせの可能性が詳しく研究されている。これは、いわゆるディンキン図形を用いて記述することができる。

ii 微分幾何

 挿図3のように、曲面をある点で曲面に直交する直線を含む平面で切断し、切り口としてあらわれる曲線を考える。これらの曲線の符号つきの曲率の最大値と最小値の積はその点における曲面のガウス曲率とよばれる。また、両者の平均値が曲面の平均曲率である。


 三次元空間内の曲面で、その焦曲面が一次元に退化するものは、その発見者の名前にちなんで、デュパンのサイクリッド曲面とよばれている、[158-6]はデュパンのサイクリッド曲面の一例である。焦曲面とは、ガウス曲率の定義にあらわれる最大値と最小値を与える2本の曲線の曲率中心の描く曲面である。模型の上に描かれている曲線は、曲率曲線とよばれるもので、各点において、接方向が、右の2本の曲線の方向に対応する。デュパンのサイクリッド曲面は、曲率曲線がすべて円になるという性質で特徴づけられる。

[159-1]は、ガウス曲率が常に負の一定値をとる曲面として知られているもののうちもっとも複雑なパラメータ表示をもつもののひとつで、クエン曲面とよばれている。また[159-6]は、正の定曲率をもつ曲面である。そのほかにも、回転面としてあらわれる曲率一定の曲面が展示されている。

 極小曲面は、いわゆる、石鹸膜のつくる曲面で、曲面積を極小にするという変分問題の解である。ラグランジュは18世紀半ばにオイラー方程式の重要な例として、極小曲面の方程式を求めている。これは、よく知られているように、平均曲率がつねに0であるという条件と同値である。[159-4]の模型は極小曲面の一例である。

iii 複素関数論

[164-2]はワイエルシュトラスのペェ関数の実数部分の挙動を示した模型である。4カ所の項上の点が、ペェ関数の極に対応しているわけであるが、そのまわりの切り口の曲線の形にも注目されたい。[164-5]はヤコビの楕円関数の挙動を表した模型である。



【参考文献】

Mathematische Abhandlungen aus dem Verlage Mathematischer Modelle von MARTlN SCHILLING, Halle a. S. 1904.
G. Fischer, Mathematical Models, Vieweg 1986.
Catalog der Modellsammlung des Mathematischen Instituts der kgl.
Technischen Hochshule München, aufgestellt im Januar 1882 unter Leitung von Prof. A. Brill.
D. Hilbert and S. Cohn-Vossen, Anschauliche Geometrie, Verlag von Julius Springer 1932.(芹沢正三訳『直観幾何学』、みすず書房、1966年)



[東京帝国大学理学部数学科]



153 特異点実体模型(八点一揃い、カールスルーエ工科大学校教授Chr・ウィーナー博士考案)

空間曲線とその特異点、および空間曲線を平面へ射影して得られる尖点などが扱われている。(河野)

154 軌跡作図器群(ゲッティンゲン大学教授 Fr・シェリング博士考案)


154-3 軌跡作図器(Serie XXIV, nr.3)
1898年、鉄、ガラスにペイント、紙、独国ハーレ社製、縦27.0cm、横22.0cm、厚6.5cm、大学院数理科学研究科

154-7 軌跡作図器(Serie XXIV, nr.9)
1898年、鉄、紙、独国ハーレ社製、縦25.3cm、横20.0cm、厚3.0cm、大学院数理科学研究科

154-9 軌跡作図器(Serie XXIV, nr.11)
1898年、鉄、紙、独国ハーレ社製、縦25.3cm、横20.0cm、厚3.0cm、大学院数理科学研究科

平面内で図形を動かすことによって得られる点の軌跡が扱われている。(河野)


156-1 曲率一定曲面実体模型群、柱実体模型(Serie V, nr.4)
ミュンヘン工科大学教授A・ブリル博士監修、1880年、石膏、独国ハーレ社製、径15.0cm、高25.5cm、大学院数理科学研究科


157-1 三次曲面上27本直線実体模型群、実体模型(Serie VII, nr.1)
ダルムシュタット工科大学数学教授カルル・ローデンベルク博士、1881年、石膏、独国ハーレ社製、縦16.5cm、横14.7cm、高24.0cm、大学院数理科学研究科


158-6 デュパン曲面実体模型群、実体模型(Serie V, nr.□)
ミュンヘン工科大学A・ブリル博士監修、1880年、石膏、独国ハーレ社製、径18.0cm、大学院数理科学研究科


159-4 極小曲面実体模型群、実体模型(Serie XVII, nr.1)
1886年、石膏、鉄棒、木製台座、独国ハーレ社製、台座縦28.0cm、台座横29.8cm、高29.0cm、大学院数理科学研究科


161 線織面実体模型群(I)(ドレスデン王立工科大学数学教授カール・ローン博士考案)

161-1 実体模型(Serie XIII, nr.1)
1886年、金属平型枠に赤糸、独国ハーレ社製、縦25.0cm、横12.0cm、高18.5cm、大学院数理科学研究科

161-7 実体模型(Serie XXI, nr.5)
1892年、金属平型枠に赤糸と緑糸、独国ハーレ社製、縦20.0cm、横20.0cm、高21.5cm、大学院数理科学研究科



[東京帝国大学理学部鉱山学科]



169 光学顕微鏡(木製ケース入)
大正10(1921)年頃購入、ケース縦19.5cm、横17.4cm、高38.5cm、「Seibert in Wetzlar」の刻印、ケースに「大正十三年十一月購入 ¥272 ライツ地質学教室 M140」の記載あり、理学系研究科鉱物学教室


170 複円測角器
鉄、真鍮、縦59.0cm、横59.0cm、高48.0cm、「Itoe & lie Ink. Fritz Rheinheimer Heidelberg Germany」の記載あり、理学系研究科鉱物学教室

結晶の外形に現れた結晶面間の角度を正確に測定する機械。結晶をゴニオメータと呼ばれる所に接着し、その方位を自由に変化させながら、光源からの光が結晶面で反射されて生じる反射光を観測し、その時のゴニオメータの角度を記録する。用いた結晶の結晶定数が解っていると軸角と軸率から面角を計算することができる。いくつかの面について実測値と計算値を比較して、面に指数を与える。これによって、結晶の方位の決定や結晶の同定を行うことができる。必要な結晶のサイズは2—5ミリ程度である。(田賀井)


171 結晶面研磨装置
鉄、真鍮、縦22.5cm、横68.0cm、高47.0cm、理学系研究科鉱物学教室

復円測角器で結晶面間の角度を正確に測定するためには、良好な結晶面が必須である。結晶面が鏡のように美しい平面であると面間角の測定誤差は±1,まであげることが可能である。しかし、結晶面が腐食していたり、波立っていると測定誤差は、直ちに±10,以上になってしまう。そのために、この装置は、ゴニオメータの所に結晶を接着し、結晶面を正確に水平面に設置し、その面を(機械的または化学的に)研磨して清浄な結晶面を得るための研磨装置である。(田賀井)


[東京帝国大学工学部船舶工学科]




[東京帝国大学工学部土木工学科]



176 模型「蔵前橋(東京石川島造船所建築、昭和2年竣工)」(縮尺100分の1、ガラスケース入)
木製、艦船模型製作所籾山作次郎製作、縦6.9cm、横19.2cm、高12.3cm、工学部一号館


177 模型「永代橋」(縮尺100分の1、ガラスケース入)
木製、縦5.3cm、横21.2cm、高12.3cm、工学部一号館

「永代橋」は関東大震災後に復興された隅田川の大橋梁で、総延長185メートル、幅22メートルに及ぶ。2カ所の橋脚を河中に持つ三梁間の橋。鉄製の拱形梁を渡し、それより鉄の釣り柱を櫛の歯のように下ろして橋の路面を釣り上げている。泥土の堆積した地盤は弱く、荷重を減らすためにこうした工法が採られたのだという(中村鎮「建築時評—新『永代橋』を讃す」、『中央美術』第13巻第5号、昭和2年5月、86—92頁)。「蔵前橋」の雛型を製作した籾山作次郎は、工学部三号館船舶工学科演習室に残されている大型模型船「日本郵船長崎丸」の製作者でもある。(西野)



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