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【全910件 】

写真番号 3066
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 瀋陽の北陵。
掲載カタログ 第4部
プレート 13
カタログ補足説明 陵墓のマウンド(宝頂)の西側から南を望む.正面奥,三層の建物が隆恩門.3006はその門上から撮影したもの.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3069
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。発掘途中の磚墓をスケッチする鳥居。
掲載カタログ 第4部
プレート 4
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3070
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の農民。
掲載カタログ 第4部
プレート 20
カタログ補足説明 撮影地点不明.85年前に撮ったとは思えないほどファインな一枚である.当時のカメラでも壷にはまるとこれだけのものが撮れたという良い例といってもよい.むろん鳥居の技術の高さを証明するものでもある.
「乾板に刻まれた世界」掲載 131ページ 掲載番号 5-3-10
農民の一家
撮影地点不明。袖の長い綿入れ。白く乾いた土。風雨にさらされて剥がれた春聨。中国北方の初冬の雰囲気がよく伝わってくる。調査のため、時には嫌がる土地の人を、なかば無理やりレンズの前に立たせることもあった鳥居だが、この写真のカメラアイは不思議と静かで優しい。
写真番号 3073
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の農民。
掲載カタログ 第4部
プレート 19
カタログ補足説明 3036と一連のカット.女性のかんざしに満州族の特徴が表れている.鳥居の集合写真の撮り方がよくわかる.まずロングで撮ったあと,アップで撮る.今日でも行われている方法を,鳥居は経験のなかから考えだしたのであろう.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3075
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 8
カタログ補足説明 鳥居が清寧宮の宝物中最も高い評価を与えた鹿角椅子と鳥居.満州族が長白山下興京にいた当時の古風を伝えるものと述べ,「殆どすべてが漢的作品になるに拘らず,なほこの満的作品あり.万緑中の紅一点とも称すべきものなり」と讃えている(1905).
「乾板に刻まれた世界」掲載 124ページ 掲載番号 5-3-3
奉天宮殿(瀋陽故宮)西寧宮内の宝物(その1)
8月末もしくは9月に撮影されたと推定される。西寧宮は清の太宗ホンタイジの居室。ここで鳥居(当時35歳)は少壮気鋭のシノロジストであった市村○次郎(中国史、同41歳)、伊東忠太(東洋建築史、同38歳)、内藤湖南(中国史、同39歳)と合流し、ともに西寧宮の入口にある一室に宿泊し宮殿内の調査を行った。写真は鳥居が西寧宮の宝物中、最も満州族の古風を伝えるものとし称賛した鹿角椅子と鳥居自身。
写真番号 6003
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 沖縄相撲をとる少年たち(八重山)。
掲載カタログ 第4部
プレート 98
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6011
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 伊波貝塚(沖縄本島中部・石川)。
掲載カタログ 第4部
プレート 79
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6014
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 道を往く男性たち(沖縄本島南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 70
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6016
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 八重山の男性の衣服。
掲載カタログ 第4部
プレート 99
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6017
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 八重山・川平の獅子舞芸能。
掲載カタログ 第4部
プレート 101
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 175ページ 掲載番号 7-3-13
八重山・石垣島川平(かびら)の獅子舞芸能
獅子舞は悪霊を払い、豊穣・繁栄をもたらす芸能として沖縄各地で行われる。
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