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【全910件 】

写真番号 3036
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の農民。
掲載カタログ 第4部
プレート 18
カタログ補足説明 撮影地点不明.当時写真撮影の困難のひとつは,人々が写真を恐れて逃げ出してしまうことにあった.この老人はカメラの前に立たされて,思わず拝んでしまった.さぞかし恐ろしかったことだろう.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3037
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 興京から集安への山越え。
掲載カタログ 第4部
プレート 16
カタログ補足説明 鳥居の調査の旅の様子を知る上で貴重な映像資料である.馬車の上でオ-バ-にくるまっているのが鳥居.
「乾板に刻まれた世界」掲載 130ページ 掲載番号 5-3-9
興京から集安への山越え(その2)
3007と一連のカットである。鳥居の調査行の様子をよく伝えている。馬車の上でオーバーにくるまっているのが鳥居。
写真番号 3043
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 賓図王府での記念撮影。
掲載カタログ 第4部
プレート 14
カタログ補足説明 今回満州関係の写真75枚のうち,唯一モンゴル族を撮影したものである.この写真は一連の4カットのうちの一枚であり,他のカットではこの建物が草原中の小高い丘に建った大邸宅であることが知れる.1905-06に「(康平から)三四日行程の蒙古の賓図という王様の所へ参って御馳走に呼ばれたりして,ともに写真をとりました」とあるのがこれに該当する.
「乾板に刻まれた世界」掲載 128ページ 掲載番号 5-3-7
賓図王府での記念撮影(推定)
この写真は実は一連の4カットのうちの一枚であり、他のカットによってこの建物が草原中の小高い丘に建った大邸宅であることがわかる。畑はなく草原であることから、撮影地点が絞られる。この調査行では一度しか蒙古草原に足を踏み入れていないからである。『満州に於ける人類学的視察談』(1905~6年)に「(康平から)三四日行程の蒙古の賓図という王様の所へ参って御馳走に呼ばれたりして、ともに写真をとりました」という、そのおりの記念写真と推定される。
写真番号 3048
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 9
カタログ補足説明 これも鳥居が注目した熊の剥製.乾隆19年(1754年)に将軍阿送到が献じたとされている.鳥居はシャ-マンの祭具や鹿角椅子やこの熊などは「満的心性及び固有の風習を示せるものにして,余は幾多高価の金玉類よりも斯くの如きものの調査に重きを置くものなり」と結んでいる(1905).右端が鳥居.
「乾板に刻まれた世界」掲載 125ページ 掲載番号 5-3-4
奉天宮殿(瀋陽故宮)西寧宮内の宝物(その2)
これも鳥居が注目した熊の剥製。乾龍19年(1754年)に将軍阿送到が献じたもの。鳥居は鹿角椅子やこの熊などは「満的心性及び固有の風習を示せるものにして、余は幾多高価の金玉類よりも斯くの如きものの調査に重きを置くものなり」(『満州調査復命書』1905年)と述べている。
写真番号 3049
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。
掲載カタログ 第4部
プレート 5
カタログ補足説明 左端の人物は1910c図版32B「磚棺内部ヲ発掘スル所」と題された写真にも写っている.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3057
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。『皇清職貢図』の貴州苗族の部分。
掲載カタログ 第4部
プレート 11
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 126ページ 掲載番号 5-3-5
奉天宮殿(瀋陽故宮)西寧宮内の宝物(その3)
西寧宮の文書中、鳥居が最も注目したのが満州語による盛京省地図とこの『皇清職工図』の原本であった。テーブルの上で巻物を広げ、立てた状態で写真複写したもの。これは貴州省苗族を描いた部分。漢語、満州語対照となっているのがわかる。
写真番号 3058
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 6
カタログ補足説明 この写真は1909gに「奉天清寧宮内保存の薩満教祭具」として収められている.それによればこれらは乾隆帝当時のものであるという.このなかでも鳥居はとりわけシャ-マンの用いる太鼓に注目し「この太鼓(手鼓)及び鞭は,尤も古形を有するものにして,現今黒龍江方面に行わるるそれと全く相等し」と述べている.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3061
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 10
カタログ補足説明 鳥居がとりわけ注目したのがこの『皇清職貢図』の原本であった.ここには一般に流布している『皇清職貢図』にはない満州語が並記されている.これは台湾の「帰化生蕃」を描いたもの.このように巻き物をひろげて,立てた状態で複写したことがわかる.参考:1906,1926a
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3062
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。
掲載カタログ 第4部
プレート 2
カタログ補足説明 3016とちょうど逆のアングルで撮影したもの.遠くに見える塔は,遼陽の西城壁の外にある磚塔(いわゆる白塔).遼の聖宗・興宗のころ(10世紀末~11世紀初頭)のものと鳥居は判断している.
「乾板に刻まれた世界」掲載 123ページ 掲載番号 5-3-2
遼陽陸軍兵站病院敷地内の漢代磚墓の発掘現場(その2)
3016とちょうど逆のアングルで撮影したもの。遠くに見える塔は、遼陽の西城壁の外にある磚塔(いわゆる白塔)であり、現在では遼陽市白塔公園として整備されている。
写真番号 3065
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 7
カタログ補足説明 同じく1909gに紹介されたシャ-マンの宝冠(写真は掲載されていなかった).シベリアにもよく似たものがあると説明されている.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
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