貝原益軒は江戸時代の寛永七年(1630)年、福岡に生まれた。当初、黒田藩に仕えたが藩主の怒りにふれ、数年間の浪人生活を余儀なくされる。この浪人生活の間に、益軒は「民生日用の学」を志すようになった。その後、京都に留学し本草学や朱子学を学んだ。藩に戻ってからは藩主や藩士に儒書を講義しつつ、「黒田家譜」や「筑前国続風土記」を編纂したり、朝鮮通信使の応対なども行った。自然科学分野においては「大和本草」を発刊した。花や野菜を自宅で栽培し、その経験に基づいて「花譜、菜譜」を発刊しただけでなく、農学者である宮崎安貞に中国の農書の講義をした。更に、教訓書「養生訓」「和俗童子訓」を執筆し独自の精神修養法を示した。こうした彼の著作は膨大なもので、全部で六十部二百七十余巻に及ぶ。