東京大学総合研究博物館

東京大学コレクション展
博士の肖像
人はなぜ肖像を残すのか

1998年10月1日(木)〜11月15日(日)
東京大学総合研究博物館

出展物より

[Image:外山亀太郎像]
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「外山亀太郎像」

高島野十郎作、製作年不詳、64.5×52.0cm、油彩・布
画面右下にサイン「Y.Tkashima」
農学部養蚕学研究室蔵
撮影 上野則宏

外山亀太郎(1867〜1918)は養蚕学研究室教授。神奈川県に生まれ、東京農林学校を卒業後、しばらく福島県立蚕業学校の校長を務めた。蚕の遺伝の研究に従事し、1902年に東京帝国大学農科大学助教授となると同時に、シャム国政府顧問に招聘され、バンコクで蚕業指導にあたった。

高島野十郎(1890〜1975)は本学水産学科出身という異色の画家。福岡県久留米に生まれ、農科大学で魚の神経の研究をした。長兄に岩野泡鳴や青木繁と交わった詩人高島宇朗(号泉郷)がおり、その感化からか学問の道には進まず、画家となった。とはいえ、美術学校にも通わず、美術団体にも属さず、徹底して自己流を貫いた。


[Image:数藤斧三郎]
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「数藤斧三郎像」

中村彝作、1920年作成、80.0×61.0cm、油彩、布
画面右下にサイン「T.Nakamura」
教養学部美術博物館蔵
撮影 上野則宏

数藤斧三郎(1871〜1915)は第一高等学校数学教授。島根県松江に生まれ、東京理科大学数学科を卒業したあと、久留米尋常中学校教諭となった。その後、第二高等学校教授を経て、一高に移り、45歳の若さで病に倒れるまで数学を教えた。

中村彝(1887〜1924)は大正期を代表する画家。水戸に生まれ、はじめ軍人を志したが肺結核のため挫折し、画家となった。白馬会、ついで太平洋画会に学び、中原悌二郎、萩原守衛から大きな感化を受けた。彝(つね)には、ほかに「田中館博士の肖像」(東京国立近代美術館蔵)がある。こちらは、物理学者田中館愛橘の東京帝国大学在職二十五年を記念したものである。




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