東京大学総合研究博物館

「骨〜かたちと機能を支えるシステム」

展示解説


骨を入れた容器

  1. 甕棺(縄文時代後期、岩手県大船渡市大洞貝塚A地点出土)
  2. 壷棺(弥生時代中期、栃木県宇都宮市野沢遺跡出土)
  3. 陶棺(古墳時代後期、岡山県倉敷市長尾町出土)

 遺体を容器に入れて葬る習慣は現在でもおこなわれている。その初源は先史時代にさかのほる。確実な例は土器が発明された直後から知られており、世界各地で類例がみられる。

 初期には死産児や乳幼児の直葬が多い。大人が独立した墓地に葬られることが多かったのに対し、死産児ら住居の床下や集落の中に埋められることが一般的であった。そうした違いは当時の儀礼を反映していると同時に、大人を葬ることのできる大形土器の製作が技術的に困難であったことにもよるのであろう。成人を土器に葬る場合は、取り出した骨のみを容器に納めた再葬がほとんどである。

 日本列島で大人の甕棺葬が本格化するのは弥生時代以降である。北九州を中心に長さ1m前後の甕の口を二つ合わせた伸展葬が流行した。古墳時代には長方形の大形陶棺が作られたが、やがて仏教思想の伝来によって火葬が流行し始めると陶棺は小形化した。奈良時代以降の火葬骨をいれた壺は一般に蔵骨器とよばれる。


●甕棺

[IMAGE]岩手県大船渡市、大洞貝塚A地点出土
縄文時代晩期
1925年に長谷部言人らが発掘
 中から嬰児骨が見つかった。長谷部によれば胎児10ケ月の死産(早産)児である。死産児の甕棺葬は、縄文時代には広くおこわれていた。なぜ大人とは違った埋葬方式が採用されたかについては、乳幼児は社会の成員と認められていなかった、その再生を願ったなどの説がある。



●壷棺

栃木県宇都宮市、野沢遺跡出土
弥生時代中期
1894年に小林興三郎が発掘
 納められていたのは成人骨。壷の口が小さいため、全身骨ははいらない。遺体を腐敗させた後、洗骨し、その一部を再葬したものであろう。本土器は弥生時代のものであるが、縄文文様が目立っており、土器様式の点では縄文時代の伝統がよく残っている。発見当時には縄文土器(貝塚式)と考えられた。


●陶棺

[IMAGE]岡山県玉島市長尾町出土
白鳳時代
1910年に坪井正五郎が入手 
 町内の古墳出土というが発見状態の詳細は不明。古墳時代の陶棺には長さ2mを越える作品もある。それに比べてこの陶棺が小形なのは、火葬骨を納めたためと考えられる。火葬の習慣は、古墳時代後期から普及し始める。本品は、火葬の採用にともなって小型化した陶棺の一例である。


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