記録媒体としての新聞

写真記事に見る世相

 

158.日刊紙『大阪朝日新聞』

第一四一八二号、大正一〇年六月一六日発行
大阪、朝日新聞社大阪朝日新聞発行所
The Osaka-Asahi-Shimbun No.14182, 15 June 1921 Osaka, Asahi-Shimbun-sha P.1, 550 x 405

皇太子殿下御着英画報とある。昭和天皇は皇太子時代、英国をはじめヨーロッパ諸国を半年間外遊した。掲載写真によると、英国王ジョージ五世のヴィクトリア駅までの出迎えをうけている。

159.日刊紙『萬朝報』

第一〇八八一号、大正一二年九月一〇日発行
東京、萬朝報社仮事務所

The Yorodzu-Choho No.10881, 10 September 1923 Tokyo, Yorodzu-Choho-sha P.1, 385 x 275

九月一日に起こった関東大震災後、仮事務所から発行することのできた第一号。以後しばらくこの判型が続くが、これは用紙の確保が難しかったためだろう。被災状況のほか、「火災保険はどうなる」といった記事、米大統領の救援支援声明、張作霖による米の寄贈を紹介する記事もある。

 

160.日刊紙『大阪毎日新聞』夕刊

第一四四七四号、大正一二年九月二〇日発行
大阪 大阪毎日新聞社

The Osaka-Mainichi-Shimbun No.14474, 20 September 1923 Osaka, Osaka-Mainichi-Shimbun-sha P.1, 540 x 410

関東大震災で未曾有の受けた国民に対して、摂政宮(昭和天皇)が心情を述べ、自らの結婚の延期を決めたことが報じられる。

 

161.日刊紙『大阪時事新報』付録

付録、(大正一四年)五月二五日発行
大阪、大阪時事新報社

The Osaka-Jiji-Shimpo Supplment, 25 May 1925 Osaka, Osaka-Jiji-Shimpo-sha 2pp., 540 x 405

五月二三日に発生した北但馬地震の惨状を報じる。マグニチュード六・八で、死者四百二十八名を数えたという。付録とはいえ、発行年のないものは珍しい。

 

162.日刊紙『東京日日新聞』

第一七六五五号、大正一四年一一月一日発行
東京、東京日日新聞発行所

The Tokyo-Nichinichi-Shimbun No.17655, 1st. November 1925 Tokyo, Tokyo-Nichinichi-Shimbun-hakkosho P.1, 560 x 405

明治五年二月、東京における最初の日刊紙として創刊された。震災前に撮影された東宮妃(香淳皇后)ご成婚直前の写真がようやく発見され、掲載。神宮競技の記録や写植機の誕生など興味の尽きない紙面である。

 

163.日刊紙『時事新報』

第一五四〇八号、大正一五年五月二五日発行
東京、時事新報社

The Jiji-Shimpo No.15408, 25 May 1926 Tokyo, Jiji-Shimpo-sha P.1, 550 x 405

石狩硫黄山大爆発と見出しにはある。知床硫黄山はあるが、噴火記録がない。気象庁の記録によると、前日に噴火したのは十勝岳。情報が混乱していたのだろう。

 

164.日刊紙『大阪朝日新聞』第二号外

大正一五年一二月一七日発行
大阪、朝日新聞社大阪朝日新聞発行所

The Osaka-Asahi-Shimbun 2nd Special Number, 17 December 1926 Osaka, Asahi-Shimbun-sha 2pp., 550 x 410

大正天皇の御容態が思わしくないことを報じる。照宮(第一皇女子照宮成子内親王)が両親宮に呼ばれ葉山御用邸へとある。葉山に向かう朝香宮ら三殿下の軍服姿の写真も。一週間後の二五日に大正天皇は崩御された。


 

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