クランツ商会の歴史

田賀井篤平(東京大学総合研究博物館)

 クランツ商会は、1833年にAdam August Krantzによって設立された、世界的に有名な鉱物・岩石・化石標本の取り扱い商である。

 1808年にSilesia地方のNeumarktに生まれたAdam August Krantzは、当初、薬学を勉強し、父の薬局を引き継いだ。彼の修業時代の親方が鉱物のコレクターで、Adam Krantzの鉱物への関心に火をつけたようである。その影響で1832年には、Saxony地方のかの有名なFreiberg鉱山学校のGeognosie(Geology)の学生になっていた。Freiberg周辺には多くの鉱床があり、Adam Krantzは以前学んだ薬学よりも鉱物により魅せられたようである。自身のコレクションを充実させる一方で、ヨーロッパ各地から当地を訪れる多くの科学者や収集家たちとの交流を深めることができた。その結果として、Adam Krantzは鉱物をビジネスとして考えるようになり、1833年、Freibergに鉱物標本店を設立した。この設立については、彼の最初の手書きのカタログが残されている(右写真)。そこには、「1833年12月14日、Freibergにて鉱物商を始める」と書かれている。当時の顧客リストには、Freibergの著名なReich教授、Breithaupt教授などの名前が見られる。

 1837年には、店をプロシアの首都Berlinに移した。Berlinは学問の中心であり、商売を発展させて行くには適切な場所であった。Berlinにおいては、Adam Krantzと多くの科学者や収集家との永続的な接触も増えた。残されている当時の書簡集を見ると、Dufrenoy, Dunker, Hauer, Hoernes, Jameson, Michelin, Oppel, Partschなどの名前がある。またAdam Krantzは、社員を全ヨーロッパから北アメリカまで派遣して、試料の収集や顧客の開拓に努めた。

 1850年に、Adam KrantzはBonnに店を移した。その理由は、Bonn大学が、特に地球科学科が、当時、世界中から評価の高かったからである。かれは、対岸に美しいSiebengebirgeの山々を望むライン川のほとりに立ち、周囲をワイン畑が取り囲まれた大きな建物を活動拠点とした。Bonn大学を訪問した人々は、Adam Krantzの素晴らしい鉱物コレクションに魅了されたという。訪問者の中には著名な科学者達、Humboldt, Geinitz, Beyrichなどがいた。1872年にAdam Krantzは死去したが、そのころにはKrantz商会の名前は世界的なものとなり、そのコレクションは万国博覧会で金賞に輝いたこともある。彼の個人的なコレクションはBonn大学のG. von Rath教授によって購入され、現在ヨーロッパ有数の鉱物コレクションで知られるBonn鉱物博物館の基盤となった。Adam Krantzによる鉱物標本、木製の結晶模型などの教育標本、展示用標本などは、世界中に販売されて、地球科学の魅力を人々に伝え、学問の発展に貢献したのである。Adam Krantzの死後は、彼の義理の息子であるTheodor Hoffmannが経営を受け継いだ。鉱物学の知識のないHoffmannは、当時最も優れた鉱物学者であったC. Hinzeの助けを受けた。Hinzeは、Krantz商会での6年間の仕事の後、Silesia地方のBreslau大学の鉱物学の教授になった。Breslau大学でHinzeに学んだ学生の中にAdam Krantzの甥であるFriedrich Krantzがいた。彼は、博士号を取得後、HoffmannからKrantz商会を譲り受け、その経営に手腕を発揮した。Friedrich Krantzの鉱物学者としての知識と優れた経営手腕でKrantz商会は黄金期を迎えた。Friedrich KrantzはHinzeとの交流の中で、結晶学に強い興味を示し、多くの木製の結晶形態模型を作成し、世界に販売した。その最大のコレクションは928個の形態セットである。Friedrich Krantzもまた、世界中に社員を派遣して、試料の収集に努めた。

 しかし、その後ドイツを襲った、第一次世界大戦、第二次世界大戦は、Krantz商会に多大な打撃を与えた。その中にあってもKrantz一族はKrantz商会を守り続けて、現在に至っている。現在は、Bonn郊外に拠点を移して、活動を続けている。地下には、膨大な試料を収容している倉庫が有り、歴史を刻んだ木製のケースに、Krantzを代表する標本類が収納されている。その一方で、地球科学教育への教育標本やハンマー・ルーペなどの教育資材も重要な柱となっており、例えば、木製の結晶形態模型は、未だにカタログにある。驚いたことにFriedrich Krantzの時代にKrantz商会のために結晶模型を製作していた職人の末裔が今もKrantz商会のために結晶模型を製作している。しかも、Friedrich Krantzの928個の結晶形態模型セットの結晶学的データは、現在でも製作するためのに保存されている。まさに、伝統の技術が、今でも生きて活用されているのである。




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