「シーボルト展」開催にあたって


 オランダは,江戸時代の鎖国下にあって海外に開かれたほとんど唯一の窓口として,多くの西洋科学技術や文化の移入に寄与しました.今年は日蘭修好400年に当たり,これを記念した様々な行事が日本とオランダで開催されています.

 日本植物の科学的分析と分類は,オランダ商館付き医師として来日した学者たちによって着手されました.なかでもケンペル(Engelbert Kaempfer),ツュンベルク(Carl Peter Thunberg),シーボルト(Philip Franz[Balthasar]von Siebold)は重要な貢献をしました.この3人の学者は,それぞれ『フロラ・ヤポニカ(Flora Japonia)』(日本植物誌)を刊行しました.ケンペルが収集した標本は,大英博物館に保管されております.ツュンベルクは,ケンペルが収集した標本に自分のコレクションを加えるとともに,ケンペル標本の再研究を進めました.シーボルトもまたケンペルとツュンベルクの研究を発展させるかたちで,自分の『フロラ・ヤポニカ』を著しました.

 このように日本の植物研究は,学問の継承を重んじた学者たちのおかげで,その出発点から単に記述された情報だけでなく,標本という実物に遡って検証できる幸運に恵まれています.わが国がヨーロッパという,当時の文化の中心から最も遠い国であったことを考えてみますと,これはかなり奇跡に近いことだと言えます.

 シーボルトの日本植物研究は,立場や時代の差もあり,それ以前の先達たちとはかなり異なるものでした.標本・資料の収集が組織的に行われ,オランダが国家として彼の活動を援助しました.このような状況のもとで,シーボルトは膨大な植物標本をもち帰りました.その標本の大部分は,現在オランダの国立ライデン植物学博物館に保管されており,同博物館の日本植物コレクションの中核をなしております.

 シーボルトが商館付き医師として来日したのは江戸時代後期の文政6年(1823)から文政12年(1829)でした.日本人に植物のおし葉標本の作成方法を教えたのはシーボルト自身であり,彼に師事した伊藤圭介,平井海藏らが作製した標本もシーボルト植物標本コレクションの中に含まれています.残念ながら,日本にはこのような古い時代の植物標本は皆無でした.国内にはシーボルトが来日時に持参したピアノや医療器具のような遺品類が各地の博物館などに収蔵されておりますが,シーボルトが最初の来日時に収集し持ち帰った標本は国内には全くありませんでした.

 シーボルトが収集した標本には,重複標本が含まれています.重複標本とは同じ株の木から同時に作製されたような,科学的に等価な複数の標本のことをいい,植物標本の収集では,重複標本を意識的につくるように努めています.今回,日蘭修好400年を記念して,国立ライデン植物学博物館のバース(Pieter Baas)館長のご厚意により重複標本のうち約200点が東京大学総合研究博物館に寄贈されることになりました.これらの標本は,植物学の研究資料としての価値のみならず,シーボルト自身の手による収集品という文化史的な意義,さらに日本で保管される最古の植物標本としての科学史的な意義をも有するものです.この標本が,わが国の植物学,博物館学など多く分野の発展に貢献することは疑いのないことであります.

 東京大学を代表して,ピーター・バース館長はじめオランダ王国の関係の方々に心からお礼申し上げる次第です.

東京大学総合研究博物館長   川口 昭彦
 


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