付録 〜本郷キャンパス発掘地点マップ〜




図1 本郷キャンパス発掘地点マップ


本郷キャンパスでおこなわれてきた発掘は現在までに60件近くにたっしている。その大半は加賀藩本郷邸に関わるものである(表1)。藩邸の大半は明治元年の火災で焼失し、また以後の大学建設で取り壊されたため、地上にみえる江戸の遺構は少ない。しかし、今のキャンパスの主な建物や通りの向き、広場(御殿下グラウンド)などの位置は加賀藩邸時代のそれをふまえて設計されていることは明らかである。また、キャンパスの区画に当時の石垣を再利用している箇所がいくつかある。


山上会館地点 加賀藩本郷邸の庭園(育徳園)にあたり、人工的な築山、切り通し、石垣などが複雑に構築されていた。

法学部4号館 文学部3号館地点 先土器時代と江戸時代加賀藩邸の調査である。かわらけと骨・貝が多量に出土する宴会の跡が検出された。

御殿下グランド地点 享和2(1802)年に前藩主の夫人の隠居所として建てられた梅之御殿の遺構が確認された。

医学部病院中央診療棟地点 斜面を屋敷地として利用するための大土木工事で、大聖寺藩邸の建物跡など様々な遺構が何層にも重なって検出された。

理学部7号館地点 検出された井戸と絵図面との対比から調査地点を復元し、地下室が長屋の庭部分に作られたことが明らかになった。

医学部附属病院外来診療棟地点 加賀藩と大聖寺藩の境に位置している。塀、石組溝、地下室、井戸、ごみ穴、土採穴、建物の礎石などが確認された。

工学部校舎(14号館)地点 中仙道を警護する御先手組の組屋敷の調査である。問口五問の屋敷割りと地下室、井戸、ゴミ穴、塀などが検出された。

薬学部新館地点 加賀藩邸御殿内の調査であるが、江戸時代の面が近代に削られ、井戸や地下室など深い遺構だけが検出された。

工学部校舎(1号館)地点 19世紀前半の加賀藩邸のゴミ捨て場の跡である。西側の巨大なゴミ穴からは多くの陶磁器、漆器、骨貝類が出土した。

医学部附属病院看護婦宿舎地点 富山藩邸に関する建築遺構を多数検出した。江戸最下層の土坑からは、火災によって焼けただれた唐物嗜好の茶道具がセットで出土した。

本郷福利施設地点 加賀藩邸の屋敷境にあった長屋塀の調査で、建物の礎石、屋敷外に通じる石組の排水路と溜桝、便所が検出された。

医学部教育研究棟地点(2次) 門には、屋敷の正門である「表御門」の他に、屋敷境、御門と家臣の境などに多く設けられていた。発掘調査では、医学部教育研究棟地点から、加賀藩下屋敷時代の表門の跡と推定される礎石列が確認された。

医学部附属病院看護婦宿舎建設II期地点 富山藩邸内より検出された池状遺構。内側全面に漆喰と粘土を貼り付け、その上に握り拳大の石をおいていた。

医学部附属病院第2中央診療棟地点 大聖寺藩邸の発掘では初めて、御殿建築と考えられる巨大な礎石建物遺構群が検出され、その周辺から、水禽窟も検出された。
 



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