I プーリア地方の墓建築と葬祭絵画


39  ダウニア地方:      Fig.113-115    Pl.44-46
前4世紀末から前3世紀にわたる一部は彩色、彫刻、レリーフなどの装飾の施された大型記念墓は、特にアルピ、カノーサ、サラピアの3つの中心地に集中したが、そのうちカノーサの幾つかの地下墓の中には、最高で9つの墓室を備えるものもあり、南イタリアでは最も大きな墓集合体に数えられる。本展で特に取り上げるのは、アルピの前3世紀初頭のメドゥーサの墓であるが、この墓は大型の羨道、ゴルゴネイオンの浮彫りされた破風や形象装飾柱頭で飾られたファサード、画像入り絵画装飾のある前室、半円ヴォールト天井、層序式絵画および巻蔓文フリーズを備える横並びの3つの墓室から成り立ち、中央の主室の床にはモザイクが施され、両翼室には中が石棺同様に刳りぬかれた寝台が備えられていた。ダウニア上層階級の墓の構想と装飾にマケドニアからこのように強い影響がおよんだ背景には、世界帝国マケドニアを模範とするイデオロギーがあったことは想像に難くない。ダウニア葬祭絵画の画像入りの主題としては、特に騎手の描出や"冥界への旅"の情景が挙げられる。

Fig.113 アルピ:メドゥーサの墓:入口周辺と主室の半円ヴォールト天井:前3世紀前半
Arpi,Tomba della Medusa,Eingangsbereich und Tonnengewolbe
der Hauptkammer:1.Hälfte 3.Jh.v.Chr.


Fig.114 アルピ:メドゥーサの墓:前室:絵画で描出された画家の署名入りのピナケス
(馬の則に立つ戦士、トガを着た人物が表出された額入りの絵画)
Arpi,Tomba della Medusa:Gemalter Pinax mit Krieger vor Pferd,
Togatus und Kü nstlerinschrift im Vestibulum


Fig.115 カノーサ:ラグラスタ地下墓:入口周辺
(半円柱で枠取りされたファサード):前3世紀初頭
Canosa,Ipogeo Lagrasta,Eingangsbereich mit von Halbsäulen
gerahmten Fassaden:Anfang 3.Jh.v.Chr.



40  ペウケティア地方:      Fig.116    Pl.47-48
墓建築と葬祭絵画に関しては、ルーヴォ、モンテ・サンナーチェおよびグラヴィーナが最も多くの情報を提供する。鮮やかな色彩で葬祭舞踊の描かれたルーヴォの有名な踊る女達の墓は、恐らくまだ前5世紀末と年代評価される。それに対しモンテ・サンナーチェのアクロポリスやグラヴィーナ近郊のボトゥロマーニョ高原出土の半墓室墓は、前4世紀から前3世紀初頭と年代比定され、主として構築ないし装飾文モチーフの絵画で飾られている。

Fig.116 モンテ・サンナーチェ:"アクロポリス"の半墓室墓
(ブクラニオンとパテーラのフリーズ):前300年頃
Monte Sannace,Halbkammergrab auf der"Akropolis"
mit Bukrania-Pateraefries:um 300 v.Chr.



41  メサッピア地方:      Fig.117-119    Pl.49
メサッピア地方においても、ウジェントの例証のようにすでにアルカイック後期に散発的に現れた先例はあるものの、最も重要な墓室墓と葬祭絵画はヘレニズム初期以降の年代評価を受ける。グナティアからは一番数多くの絵画が例証されるが、一般的に画像入りの主題ではなく、構築や植物文モチーフあるいは武具のモチーフが描出されている。建築的に非常に興味深いのは前4世紀末のレッチェのパルミエリ地下墓とヴァステのカリュアティデス(人像柱)の墓であるが、両墓ともレリーフ(パルミエリ地下墓の羨道:巻蔓文および格闘図フリーズ)や彫刻(カリュアティデスの墓のファサード:カリュアティデス、ライオンの挽く車に乗るクーピドのフリーズ)で豪華に装飾されている。レッチェの南に位置するルーディエには、特に多数の墓室墓が集中している。溝型およびカッソーネ型などもっと簡素なタイプの墓の集まるその他のネクロポリスは、マンドゥリアやアレツィオなど若干の出土地で原位置によく保存されている。

Fig.117 レッチェ:パルミエリ地下墓:羨道の巻蔓文フリーズ(部分):前4世紀末
Lecce,lpogeo Palmieri,Detail des rankenfrieses im Dromos:Ende 4.Jh.v.Chr.


Fig.118 レッチェ:パルミエリ地下墓:羨道の戦闘図フリーズ(部分)
Lecce,lpogeo Palmieri,Detail des Schlachtfrieses im Dromos


Fig.119 マンドゥリア:市壁付近の溝型墓のネクロポリス
Manduria,Nekropole mit FossagräbemvordenStadtmauem



42  メサッピア地方:      Fig.120-122    Pl.50
ターラント:有名なギリシア植民都市ターラントには、南イタリアでは群をぬいて数多くの墓室墓(170基以上)が集中しているが、葬祭絵画もプーリア地方では一番多く例証される。アルカイック後期の少数のいわゆる“競技者”の墓を除けば、ほとんどの墓室墓は前3世紀から前1世紀にかけてと年代評価され、しばしば美しく仕上げられた石製の彩色装飾寝台に特徴付けられた。また墓の上には、時には彫刻やレリーフで装飾されたナイスコス型の葬祭記念物が設置されるケースが多かった。ターラント葬祭絵画のイコノグラフィーでは、主に葉綱などの植物文モチーフが優勢である。

Fig.120 ターラント:前5世紀初頭の競技者:用の墓から出土の石棺および全アテネ祭賞品アンフォフ:
ターラント考古学博物館蔵
Tarent,Mus.Archeologico:Sarkophag und
panathenäische
Preisamphoren aus einem tarentiner Athletengrab,Anfang 5.Jh.v.Chr.


Fig.121 ターラント:前5世紀初頭の競技者用の墓から出土の石棺:
石棺蓋部(メアンダー文フリーズとパルメット型アクロテリオン):
ターラント考古学博物館蔵
Detail des Sarkophagdeckels mit Mäanderfries
und Palmettenakroteria


Fig.122 ターラント:石製寝台の備わる墓室墓:前3−2世紀
Tarent,Kammergrab mit Steinkline:3./2.Jh.v.Chr.