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[ニュースという物語]


見聞細吟 諸方出火画図

見聞細吟 諸方出火画図
伏見
正月三日酉ノ刻より京ばし北詰より
東豊後橋西ミす迄南中条
じま北大手すじ迄焼る又夜亥ノ刻下
板ばし西つめ薩州様御屋敷やける
かまど 凡二千軒ヨ土蔵三十ヨ死人けが人かづしれず
下鳥羽同四日辰ノ刻より一村七分
通りやけるかまど凡三百けんヨ
横大路同日
壱けんやける
冨の森同
壱村のこらず
やける 凡かまど
    二百ヨ 

見聞細吟 諸方出火画図
図194

同五日
小ばし
北つめ
東へ三丁
ばかり
小はし
大橋
まで
町家の
こらず
焼る
御城
別状
なし
かまど
凡三千
八幡
町家
七分通
焼る
其外
天神
やけ
山上本
社別状
なし
かまと
凡五百
橋本
六日町
家八分通
やける
かまと
凡三百
葛葉
同九分通
やける凡四百ヨ
枚方同夜やける
かまと凡二十けんヨ
大坂同四日朝丑ノ刻
土佐ほり二丁目
薩州様御やしきやける
同八日朝丑ノ刻なんば
土ばし西つめより東千日
までやけるかまと凡八百

同日錦の町より
綾ノ丁西ハ中浜
まで東濃人町迄
やける凡かまど八百ヨ
大坂九日夜亥ノ刻北
在小曽根村
ゑんしよう蔵やける
同十日夜亥ノ刻天満
北町やしき一軒やける
同九日朝卯の刻より
御城すじかね門内より
火の手上ル京ばし
御門内
御門外御小屋より
火の手上り又火手
三ツに成追手御門
内火の手二ツなる
十日辰ノ刻ゑんし
よう蔵やけはぜる
其音あたかも天
地のくつるるがごとし
猶遠国までも
ひびきけりとかや
辰正月十一月夜
御城火よふやくニ
しつまり人々まづ
あんしんのこころして
よろこびかたり
あへしとなり 

 

本しらべ城州伏見大火の図

本しらべ城州伏見大火の図
図195
本しらべ城州伏見大火の図
慶応四年
辰正月三日
申の刻より
出火いたし候
伏見 淀其外 同五日鎮火いたし候
所々合て竈
数凡四千五百
六拾七軒土蔵数凡三十八ケ
所と云神社仏格もあまた
あるといへとも此しばしつまびか
ならず
{図には東西南北の表示と地図}

 

 

 

鳥羽伏見の合戦(仮)

大坂城

鳥羽伏見の合戦(仮)
慶応四年(一八六八)一月三日
このかわら版は、大坂城の炎上を図でのみ伝える。鳥羽伏見の戦いの最中、徳川慶喜は一月六日ひそかに大坂城を脱出、一二日江戸城に帰った。

鳥羽伏見の合戦(仮)
図196


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